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文系にも学問としての再現性を!

理系は理論的、文系は感情的といった捉え方をする人がいます。

人がいる、程度ではなく結構割合としても多いようにも思えますが、実際の学問としては当たり前の話ですが、文系だろうが理系だろうが理性に裏打ちされた理論に基づいて成り立っています。

というか、科学というもの一時期、文系学部廃止論みたいな話題がありましたが、今は完全に消えましたね。誰が言っていたんでしょうか?

個人的には、本当にそれを実践するなら文科省を初めとする官庁でまず文系学部出身者を全員クビにしろよ、と思っていたのですが、さすがにそんな事態にはならず良かったです。

文系学部とひとくくりにしても、人文学系・社会学系やその他最近では様々な学部学科が増えてきました。文系理系にまたがるようなものも結構あって、文理の境目が曖昧にはなりつつありますが、依然として大学やあるいは個人の特性の話の際に「文系」「理系」をネタにすることはよくあります。

根拠のない血液型性格判断みたいな単なる世間話レベルで文系理系の話をする程度であればどうでもいいのですが、中には本気で、理系人間は何でも論理的に考えて数字で判断して、文系人間は感性豊かで感情で判断する、という捉え方をする人がいます。そう考えてしまう人が結構割合としても多いようにも思えます。

実際の学問としては当たり前の話ですが、文系だろうが理系だろうが理性に裏打ちされた理論に基づいて成り立っています。というか、科学というものは再現性によって成立します。

文系だって理論に基づく推論と実証を繰り返すことが必要だと教育段階で教えるべきだと思うのですが、文系の科目はどうも理論的に誰もが同じ結論に至る再現性はあまり重要視していないように思えます。

地理歴史などはほぼ記憶してそれを答えるので人による差はないですが、国語はどうも人による差をむしろ積極的に推奨しています。解釈が積み重ねられて洗練されている古文漢文は問題に対する答えは誰でも変わりませんし、感性についてもあくまで過去の人が持っているものを学ぶので答えに差はありませんが、現代文、特に小説や随筆の取り上げ方は感覚のみになっていないでしょうか。

もちろん感性も感情も感覚も独自性も個性も特性も必要ですが、文章を読み取って学問としての再現性を確認する訓練は国語にも必要です。

国語がそもそも感覚的に教えるものではありませんし、読書感想文なんていらないと思っています。筆者がどのように書いたのか、なぜこのような書き方をしたのかを論理的に考えるような勉強は不要なのでしょうか?

理系の学問でも情熱は必要です。文系の学問でも統計分析は必要です。文系と理系の違いなんて学問としては本当はありません。単に大学の内部を分けているだけだと思っておけばいいんです。

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