大統領制のコストと権威

皇族を巡る騒ぎがまだ続きますが、以前、立憲君主制として避けられないコストだと言うようなことを書きました。

直接、政治に関わるわけではなく、実務的には儀礼上の制度である立憲君主制は、維持していくにはそれなりにコストが掛かりますが、無くせば丸々税金が浮くということにもなりません。

君主制を止めたら首相を権威でもトップの存在にするか、あるいは名目上のトップである大統領制を敷くか、はたまた権力も持った大統領を選出するか、いずれかの国体を選ぶことになります。

おそらく世界で最も有名な大統領制であるアメリカ合衆国を例にとると、この制度が結構なコストがかかることに気づきます。

4年に1度の大統領選は、アメリカとしての国家が一つになって盛り上がる祭りのようなものです。民主党と共和党のそれぞれの大統領候補者を選ぶ予備選が全米で大いに盛り上がり、企業や個人からの献金が飛び交います。そして両党の候補者同士がこれまた全米で大騒ぎします。

日本人から見て選挙観が異なるのが、一般人、さほど裕福でもない人でも自分が指示する候補者に個人献金を注ぎ込むことです。もちろん、大企業が自社に有利になる政策、つまりは利権を求めて献金して、当選したら利権を得る仕組みでもありますので、個人からも企業からも金で買われる大統領と言うことも可能です。

保守もリベラルも関係なしに多額の献金を集めるか、そうでなければロス・ペローのように大富豪でないと大統領選は戦えません。

この大統領選に費やされる献金やら経費やらを全部貧困層の福祉に回せば相当な額になるが、そうすべきというアメリカ人はまずいないでしょう。

また、4年か8年に一人、必ず元大統領が生まれて、死ぬまで年金やシークレットサービスの経費が必要になります。若くして大統領になったクリントンやオバマはおそらく、数十年間の警護費用がかかります。昔に比べて数が減った日本の皇族の警護費用と比べてどうでしょうね。

権力の無い大統領だと、選挙費用や警護費用も多少は安くなるでしょうけれど、それはそれで結局は交代可能で世襲しない君主制のようなものです。多少はコストは下がるでしょうけれど、選挙の費用はかかりますし、もし君主制の国が国体を変えるとしたら、政治的なリソースやコストは大きなものでしょう。何かしらのとんでもない事態でも発生しないと起こり得ないでしょう。

儀礼的な大統領には大して権威もありません。もし、議会を支配した首相が暴走したときに、権威の無い大統領が歯止めを効かせられるか、という問題もあります。そこでストッパーになれないなら、そもそもそんな大統領も不要でしょう。

その一方で、立憲君主制でコストを減らし過ぎると結局権威も無くなります。権威がある君主制であれば、議会を支配した首相が暴走したときにストップをかけられる可能性は残ります。

昭和天皇は満州某重大事件での田中義一内閣に怒りを見せて辞任をさせたことを後悔していましたが、完全に行き詰まった太平洋戦争では御聖断を仰がれてポツダム宣言受諾を決めました。あの時は首相の決定だけでは軍部は止められなかったでしょう。御聖断があってもクーデター未遂も起きたくらいでしたし。

かつてのタイでのプミポン国王は、クーデターや政変がたびたび起きる中でも超然的立場で仲裁していました。

権威がある君主制は国民の支持を失った政府へのカウンター、国民にとっての精神的な支えになり得ます。

権威と権力の分離によってイギリスも日本も何とか安定した政治になっています。もちろん、問題は山ほどあるでしょうけれど、歴史も伝統も無視して無理やり欧米式の大統領制を強引に持ち込んだ途上国では、大統領に権威も権力も集中してしまっていて、激しい権力闘争、憲法の無理な改正、クーデターなどが頻発します。

アメリカ合衆国大統領は知名度やメディア的な影響力と比べて、振るえる権力は限られていますが、そこは取り入れずに大統領を国家権力の頂点のようにしている国が、政治的に安定するわけもありません。

立憲君主制の維持が良いか、あるいは共和制なり大統領制なり他の制度なりが良いか、選択するには相当な準備と調査と検討が必要ですね。何か一つの理由でどうのこうの言うことでもないでしょう。

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