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契約を神聖視する日本人?

新型コロナによる社会的な混乱は未だに収まっていませんが、日本における失業率だけを見ると、それほど急激には悪化していません。

もちろん良くなっているわけではないのでアカンのはアカンのですが、この点に関しては政府や自治体の失業対策、企業救済は成功していると思われます。対策費用の捻出というか将来の債務は別の問題ですが。

失業と転職は意味合いが異なりますが、一旦、今の仕事を辞める点では同じです。辞めてから次の仕事が無ければ失業、あれば転職となります。

欧米に比べて日本の労働市場は流動性が低いと言われます。ステップアップのための転職というのは、昔との相対的な比較で言えば増えましたが、絶対的にはまだまだ少ないということです。

一番の原因は、そもそも終身雇用・年功序列の体系で行われてきた雇用慣行とそれに対する意識がまだ労働者にも企業にも残っているからでしょう。それだけではなく、転職が必ずしも良い結果を招かないかも、という不安心理もあります。それはバブル崩壊後の不景気感覚(数字上は好景気もありましたが)によると思います。

それに加えて、雇用に関する制度設計の問題だけではなくて、就職するときの決意や退職するときの悲壮感が強すぎるのではないかと密かに思っています。

入社する時には会社に骨を埋めます!という決心を企業側は求める上に、労働者側もアピールするものです。

その一方で、辞める時には入社する時以上の決断力が必要になります。より良い条件での転職、今が辛いので辞める、ブラック企業に耐えられない、家族の介護で辞める、と辞める人の理由は様々ですが、今時は人手が余っている企業なんてほぼありませんので、辞める準備も大変です。

もっと気楽に入社して気楽に辞められるようになれば、流動性は勝手に高まるのではないでしょうか。

これは雇用に関わることだけではなくて日本社会全体にも通ずるものかも知れません。

結婚・離婚も欧米と比べると、それに対する思いが強すぎるかもとも思います。将来的に破棄するかも知れない単なる契約、という気持ちで結婚する人はなかなかいません。

この辺は、キリスト教などの神と契約する宗教で成り立った国・文化との違いがあるのではないかと勝手に推察します。

契約によって成り立つ関係は、契約を破棄することで関係を終了することが出来ます。雇用契約にしろ婚姻契約にしろ、契約は結ぶものであり破棄することもあるという大前提を持っているのと持っていないのとでは大違いです。契約を破棄することに罪悪感を覚えるかどうかの違いにそのまま直結します。

近代以降に近代法に基づく契約概念に触れた日本人にとっては、契約は神聖なものであり破ってはいけないものだという意識が強いのではないでしょうか。

もちろん、近代以前の日本において契約という概念が無かったわけではありません。中世の自力救済社会における契約なんて、破棄したり交渉して有利に変更したりするのが当たり前でしたが、近世になり儒教の普及でカチコチになったような気がしますが、仮定が過ぎるでしょうか。

近代化してから、明治のうちはかなり国際法を遵守することに気を配っていた政治家・軍人たちが、昭和に入った頃には国際法を無視するというか、抵触しないように国際法の抜け穴的な行動や、あるいは国際組織に縛られないよう国際連盟を脱退したりしたのは、契約に対して結んでしまったら破れないものだという意識が働いていたのでは……とまで考えてしまうと行き過ぎでしょうか。

少なくとも、まさかの結ばれるとは思っていなかった独ソ不可侵条約の締結に驚き、そしてまたその破棄した上での独ソ戦の勃発に驚いていた人たちにとっては、欧州情勢はまさに複雑怪奇だったのだと思います。

契約は結ぶものであり破棄するものであると覚悟しておけば、現代のことならたいていのことは耐えられるというか、大ショックを中ショックくらいには軽減できるはずです。

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