国家は好き嫌いを選別してはいけない

ポーランド・ベラルーシ間の移民(というか難民)問題がロシアからヨーロッパへの天然ガス供給に飛び火したり、中国がオーストラリアの石炭輸入ストップが韓国の尿素水供給にしたり、2国間の関係が当事国以外にも影響、それも悪影響を与えることはよくあります。

それぞれすぐには関係改善することはなさそうですが、だからと言って永遠に断絶するということもまずありません。本来は不倶戴天の敵であったはずのイスラエルとその周辺諸国間でも、先年にUAE・バーレーン・モロッコ・スーダンと相次いで国交正常化に至りました。アルメニアとアゼルバイジャンのように紛争進行中の国だとそんな先のことまで考えていられないでしょうけれど、中国とロシア(ソ連)のように国境紛争があっても50年後には反米で協力する関係にもなり得ます。

領土紛争は良くある国際問題の種ですが、イギリスとスペインがジブラルタルの領有で300年来の係争を抱えていても、それを理由にした国交断絶や紛争などは今では考えるのも無駄でしょう。おそらく数十年後か数百年後には、日本と韓国における竹島、日本と中国における尖閣諸島、日本とロシアにおける北方領土の問題も、ジブラルタル問題と同じように片方が主張、片方が実効支配という状態で固定されるかも知れません。

今、ヨーロッパ諸国が中国から台湾に関係性をシフトしようとしていますが、少し前まではドイツのメルケル政権が中国政府とは仲良くやっていました。人権問題については時たま思い出したようにちょこっとだけツッコみますが、中国政府が怒り出すほどには主張しませんでした。ある意味出来レース的な批判だったのですが、メルケル政権の終わりと軌を一にして、習近平政権による強権体制批判がヨーロッパからハッキリと出るようになりました。

中国を巡っては独裁権力を強固にして周辺諸国との軋轢も増えてきたこともあってか、欧米諸国が中国離れをし始めました。多額の金を突っ込んできた東欧諸国ですら中国離れ、台湾寄りの姿勢を見せてきたことは、外交を上下関係で見る中国の昔からの悪い癖が出たとも言えます。

人と人でも仲良かったり悪くなったり、ズッ友と言ったり絶交したりと色々あります。

日本語や中国語では、ものすごく仲が良い、深い友情がある関係のことを多くの慣用句で表します。

管鮑の交わり
刎頸の交わり
水魚の交わり
金石の交わり
断琴の交わり
竹馬の友
莫逆の友

多分、他の言語でもたくさんあるのでしょう。ただ、それは人間関係がともすれば拗れやすいからこそ、確固たる人間関係に憧れを持つ裏返しです。

永遠に仲が良い国家関係も人間関係もあり得ません。ただ、人間関係は寿命が来るから仲違いしないまま終わることもあります。国家関係はそう言う訳にはいかない。

人間関係ならいつかは死んで終わります。死んだら、あの人は色々あったけど良いところもあった、と美化されます。しかし国家は滅亡しない限りは続きます。続く限りは国家間の関係性はずっと残ります。

だからこそ、決定的な対立は出来るだけ避けなければならないし、それが出来なければ悲劇が待っています。

人間に親友が存在するのは、嫌いな人間や相性の悪い人間から離れることが簡単に出来るからでもあります。人は好き嫌いを選別できます。しかし国家はそれが出来ません。国家は移動出来ませんから周辺国も変わりません。

例えるなら、立食パーティーは好き勝手に移動出来ますが、座席固定の食事会では移動出来ないようなものです。気に食わない人のそばに居続けるのであれば、嫌い続けるわけにはいきません。

仲が良すぎて依存するような関係も、全くもってとりつく島もないほどの悪い関係もあってはならないのです。

まさに、かつてイギリスのパーマストン子爵が言った、
「大英帝国には永遠の友も永遠の敵も存在しない、あるのは永遠の国益だけだ」
という言葉は至言というよりほかありません。

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