元寇の前例踏襲による黒船対応の失敗に学べ

役人にしろ官僚にしろあるいは政府にしろ、前例を踏襲するのは古今東西どこでもある話です。それを杓子定規で融通の利かない無能として批判しがちですが、もちろん前例を踏襲するのはその方が業務効率が良いからです。

だからと言ってどんな時でも前例を踏襲していると、時代の変化に対応出来ず、大きな失敗を招くことがあります。

18世紀末から日本には外国船が通商を求めて日本沿岸や港に現れるようになりましたが、それが極まったのが1853年アメリカのペリー来航です。その際の日米和親条約、及びその後のハリス来航時の日米修好通商条約を当時の江戸幕府が調印しましたが、その際に幕府は朝廷の勅許を得ようとして遂に得られず、尊皇攘夷運動が活発化することになりました。

幕府がそもそも朝意を伺わずに勝手に調印してしまえば良かったとする考えもありますが、あくまで外交は朝廷が最終判断を下すもの、という認識が時の幕府の政権運営者にはあったわけです。前例たる故事としては、13世紀後半の元寇の際に、鎌倉幕府が元の国書を朝廷に回して検討させた事例がありました。

実際には、その朝廷でも鎌倉幕府の方針が分からなかったために何も決められず、結局は時宗率いる幕府がその後の元の使者を追い返して文永の役に至るわけですが、外交権の全てを朝廷が握っているわけでもありません。あくまで朝廷と幕府の関係性によって決まります。

ということは、黒船来航時の幕府として前例に従い、国交問題を朝廷に委ねたのもおかしくはないのですが、13世紀後半は承久の乱以後、明らかに幕府が朝廷に対して優位に立っていた時期でしたので、最終的に幕府が決められたのに対し、幕末期では幕府の政権運営が揺らいでいて、朝廷との関係性も良くなく、その状況では朝廷との効果的な合議など出来るわけもありませんでした。

結局、元寇の前例に従って日米外交を進めた結果、幕府の権威が落ちてしまい最終的には倒幕にまでつながりました。もちろんこれだけが原因ではありませんが、前例を踏襲するのが効果的なのは時と場合による、という至極常識的な結論が導かれます。

官僚組織が前例を踏襲しがちになるのは仕方ないというか、官僚組織というのはそういうものです。事例ごとに前例を参照せずにその都度独自の判断を下すなんて非効率の極みです。とは言っても、前例にない状況においても無理矢理に前例の対応をそのまま適応してしまうと、とんでもないことになります。

そういう時にこそ、今の三権分立体制であれば立法・政治家の出番になります。平和な時代は前例踏襲による官僚政治で良いのです。乱世において特に、有権者に選ばれる政治家が動く必要があるのですが、さて、今の日本では動けているでしょうか?

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