「国境なき医師団」に寄付しました

以前、別件で作成したVプリカの有効期限が迫ってきて、わざわざ手数料をかけてまで新しくチャージしたくないなあ、でも特にVプリカで買うようなものも無いなあ、と思っていたところ、ふとクレジットカードでも出来る寄付をしようと思いました。

だいぶ前に国連難民高等弁務官(UNHCR)に寄付したことがあったので、今回もそこにしようかと思ったのですが、

国連UNHCR協会
https://www.japanforunhcr.org

寄付金額が1,000円以上の500円単位、ということでVプリカ残額をぴったり使い切れないため、今回は別のところを探した結果、国境なき医師団に寄付することにしました。

国境なき医師団
https://www.msf.or.jp

こちらなら金額を1円単位で指定できたので良かったです。

数日後に、こんな封筒が届きました。

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「命のうでわ」ってなんだろう、と思ってパンフレットを読むと、子どもの栄養状態を見極めるためのものだそうです。これのすごいのはか電気も薬品もそれらに関する知識が無くても簡単に使えて栄養失調かどうかの大まかな判定が出来ることですよね。

さて、世界ではシリアや中東・アフリカからのヨーロッパへの難民、中南米からアメリカへの難民、あるいはミャンマーから追われるロヒンギャ族の難民といった問題が解決されないまま存在しています。

難民問題の解決といっても、そもそも元の国や地域にそのまま戻せばOKというわけにはいきません。元の地域で暮らせないから、あるいは追われてきたからそんな状態になっているわけですから、元の地域で難民が発生した問題を解決しないといけないのですが、それこそそう簡単にはいきません。人道的な配慮というお題目を掲げた諸外国が、難民を発生させた張本人や組織をドカーンと空爆しても解決はしません。むしろそれで新たに難民が発生するでしょう。

元の地域の問題が解決されるまでは、難民は別の国や地域で保護されるしかありません。その場合も、難民キャンプの形でずっと居続けるのか、その地か全く別の国に行って移民という形で過ごすのか、ということになります。本人が望んでの移民ではありませんし、その移住先の社会に上手く溶け込めるかどうかも分かりません。

そもそも、完全に移住先に同化してしまったら難民ではなくなります。そして元の地域に戻ることもないでしょう。それでも日々の暮らしが大幅に改善して命の危険も無いのであれば、その選択肢を選ぶ難民もいるでしょうけれど、現代社会で問題になるのはその移住先の別の住民側の方です。

民族なり文化なり宗教なりが同じあるいは近いのであれば、同化することもそれほど困難ではありませんし、そもそも同化しなくても軋轢は少ないかも知れませんが、全く異なる文化や慣習などを持った状態で移住すると、どうしたって色々な摩擦は出てくるでしょう。

許容範囲内の摩擦であれば問題視されませんが、今、世界各地で問題視されるのは移住先の近隣住民の許容範囲を超えているからです。寛容ではなくなったとも言えるかも知れませんが、そもそも昔はこういった難民が発生するにしても、数百キロも離れた地域に行くことはありませんでした。人間の脚で移動出来る範囲内での難民としての移住のため、かけ離れた文化と共存することもなかったわけです。

しかし今の難民は国際社会の援助により、バスや鉄道、船や飛行機によって遠い地にある受け入れ国まで運ばれていきます。そこでも不便さやストレスの解消のためにある程度のまとまった数で生活するため、現地に同化しなくても何とか生きていけます。これもまた昔には存在しなかった国家による福祉政策によって、無理矢理同化して生きるための仕事をしなくてもいいからです。

こういった難民救済措置自体はヒューマニズムの観点から言えば当然のことです。しかし、難民を受け入れることでかえって問題が起きるようでは、難民を受け入れないという政策を掲げる政治家の支持が増えかねません。欧米で起きているのはまさにこの状況です。

では、難民を移住させずに元の地域に近いところにある難民キャンプに置いておけばいいのか、というと、そういうわけにもいきません。ほとんど全ての難民キャンプは劣悪な環境下であり、長期間の居住をするためのものでもありません。まさかキャンプ周辺に新たに村や町を作るということも出来ません。そもそも居住に適している土地であれば住んでいるはずです。

それなら第三の選択肢として、難民支援を止めてしまい、元の地域の紛争や内戦をさせるがままにしておけばいい、という考えが出てきます。

エドワード・ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」はまさにその理屈から書かれた本です。

戦争にチャンスを与えよ
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166611201

書かれてある理屈は分かりますし、その通りと言えるところも充分にありますが、だからといってなかなか国際紛争や内戦を完全に見過ごす、というのも出来るものでもありません。国連や各種組織に問題があるのは確かでしょう。極端な言い方をすれば、日本が戦後華々しく復興して先進国に再び仲間入りしたのは、日米が徹底的に戦争してもうダメだと思った日本が無条件降伏し、そしてその後の日本の復興を戦ったアメリカが支援したからです。太平洋戦争の途中で強制的に停戦させていたら、日本は軍事国家であり続けたでしょうし、アメリカも冷戦以前に日本との敵対関係が続いて軍事費もかさみ、太平洋・アジアとの経済関係なども結べなかったでしょう。

完全に紛争をほったらかしにしていても、難民は発生します。陸続きの国には歩いて入れますし、国境線全てにフェンスを設けている大陸内の国家などもまずありません。前述のように、そういった歩いて行ける国への難民であれば、移住先で同化して新たな人生を歩むことになりますが、グローバル化した現代社会では無法かつ無謀な国家や独裁者は、陸続きでない国に対しても非道を仕掛けてくることが出来ます。日本にとっては北朝鮮を思い浮かべれば分かりやすいですが、北朝鮮から日本への難民、あるいはキューバからアメリカへの難民が多くなれば、他国や国際社会として無視し続けることも出来なくなります。

結局は何らかの形で紛争・内戦の当事者同士以外も関わらざるを得なくなります。もちろん、内戦の片方あるいは両方に武器を輸出するようなところは問題外ですが、ヒューマニズムの観点から手助けするのは必要だとは思います。ただその援助もあくまで緊急かつ時限的なものであるべきだ、ということをエドワード・ルトワック氏も言いたいのかも知れません。

常態化した長期間の難民援助は、結局のところ難民のキャンプへの固定化か、移住先での非同化の問題を生み出すことで難民援助自体に危機的状況を及ぼしかねません。

長々と結論の出ないことを書きましたが、自分が行った国境なき医師団への支援が、何らかの形で人の命を救うことが出来るのであればそれでいいです。

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