「愛され」の才能
人間、産まれた瞬間っていうのはおおよそ全ての欲求を抱いて産まれてくるらしいね。その中の一つが「愛されたい」の欲求。今時承認欲求として認知されるアレです。
ここで一つ、自分の聞いた俗説
「愛されて愛されて育った子は、誰もが愛さずにはいられない人間になる」
拙はなんて残酷な俗説だと思った。
人間関係ってのはご存知の通り、相対関係で成り立つ。
簡単に言い換えると、期待して期待されて、求めて求められて。与えて与えられての関係。ほぼ全ての人間関係にこの構図が当てはまる。
さらに言うならば、人は相手に与えられたものしか返さないようにできてる。無関心ならば無関心、依存なら依存。恐怖なら恐怖。
そう、愛されれば愛し返すようにできている。
そして全くの初対面であれば、その人は過去に与えられたものしか与えることはできない。それ以上の「人間関係」を提供できないから。
そうして、愛されて愛されて育った子は、何もしなくても他人に愛を与え続ける人に成るというわけで。
ではそうじゃない人は?
愛された経験が全くない子、より愛された経験の乏しい子は、自らの意思が介在しない限り他人を愛することはできない。
それは一般人と同じではないか?と思われるかもしれないが、例えるなら...練習しなくてもボールが的に当たる人と、練習しないと当たらない人ぐらいの違いですかね。
無意識で愛し愛される人と有意識でないと愛し愛されない人、ということです。
いわば才能ですね。「愛され」の才能。
悲しいことに、子供の頃親から十分な愛情をもらえず大人になった人っていうのは、その後一生愛されることを求め続ける人生にならざるを得ません。人間の精神は未成熟な段階で満足感を得ないと欲求が無くならなくなってしまうんです。
そういう人たちには「愛され」の才能が十中八九ありません。愛された経験が乏しいのですから。
でも愛されて愛されて育った健全な人たちは、何もしなくても愛される才能を持って一生を生きていきます。
残酷な世界です。
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