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映画祭とかいろいろ応募してみた、けど…

卒業制作のアニメーションが完成した直後、どうしても作品が評価されたくて(今思えば)狂っていた私は、ありとあらゆる映像コンテストや映画祭に応募した。日本で開催されるものも、海外のものでも、いろいろ応募した。(全部合わせると30件くらい?)

まず最初は、ある程度予想はしていたのだが、落選が続いた。自分の実力はわかっていたつもりだったけれど、(もしかしてワンチャンあるかも…)と心のどこかで期待していた部分もあり、結果を突きつけられるとやはり凹んだ。

落選したとき、通知が来ることもあれば、来ないこともある。海外への応募の場合、専用のサイトに登録して応募していたので、サイト側からの通知は自動で必ず来たけれど、それとは別で映画祭の主催者から直々にメールが来ることもあった。慣れない英語を頑張って解読していくうちに、じわじわと落選したことがわかって、がっかりした。そのうち、メールの最初に「Congratulations!」となければ必ず落選であることがわかってきたので、必要以上にダメージを負うことは少なくなった。

落選ばかりだった日々が半年ほど続き、諦めかけていた頃、ようやく海外の映画祭で上映の機会をもらうことができた。いつもと同じ落選の通知かと思ってメールをよく読み返していたら、そうでないことがわかり、めちゃくちゃテンションが上がった。そのときは、落選が続いていたこと以外にも落ち込むことがいろいろあったので、素直に嬉しかった。

そして、他にもいくつかの映画祭で選択された。ありがたいことに国内と海外で一件ずつ賞もいただいた。周りからは「すごいね」「よかったね」と言われることも増えたし、自分でもほっとした部分はある。ただ、ようやく結果が出た今、「もうこれで満足だな」とは決して言えないことに気づいた。

まず、私の実力では残念ながら、みんなが目指しているようなレベルの高いコンテストでは全く入賞できない。これは仕方のないことだし、これからも頑張ればいいだけのことだと思う。このことに対しては、そこまで落ち込んではいないのだけれど、そういう高いレベルに達する未来は一体いつになったら来るのだろう…とは考える。

もう一つ気づいたのは、せっかく映画祭で上映されることになっても、映画祭のwebページがほとんど更新されていなかったり、上映会場がわからなかったり、タイムテーブルが公開されていなかったりして、映画祭に参加している実感が持てない場合があるということだった。どうやらこれは、海外の規模の小さな映画祭だとよくあることらしい。

もちろん、実際に現地に行くことはできないのだけれど、せめて本当に自分の作品が見られているのかだけは情報が欲しい、と思ってしまう。その分、作品の紹介や上映の情報などがしっかり分かる映画祭に対しては感謝を伝えたくなる。逆に言えばそう思うほど、しっかり運営しているイベントが少ない。

もちろん、これも私の実力不足の面があり、もっとレベルの高い映画祭やコンテストになれば、そのようなケースは少なくなってくるのだろう。今思うと、(特に海外で)どのような映画祭やコンテストが有名で、どんな特徴があるのか、最低限調べてから応募するべきだった。とはいえ、どんなイベントでも自分の作品がピックアップされるのは嬉しいし、手当たり次第に応募した経験は悪いものではなかったのかなと思う。

そして、落選も入選も経験した今になって実感していることは、どちらも孤独であるということ。落選したときの気持ちならある程度予想できていたけれど、入選したあとも孤独が続くことは、以前ではわからないことだった。

映画祭などのイベントで入選しても、必ずしもそれが自分が目指しているレベルであるとは限らない。それでも、SNSで「入選しました!」と発表すれば、周りからは「実力がある」とか「頑張った結果が出た」というふうに捉えられる。「よかったね」と言ってもらえる。だけど、そこにギャップを感じて苦しくなるときもある。

贅沢な悩みだけれど、私はこのことで一時期本気で悩んでいた。連続していい結果が出ていた時期は、過去の情けないような苦い思い出や、現実では大学を卒業してもなお就職できていないことなどを思い出してつらかった。自分のような者がどうして「おめでとう」なんて言われるのだろう、と思った。

「あのコンテストに自分も…」と思っていても、まだそれが叶うほどの実力はない。かと言って、全く何も持っていない頃の自分にはもう戻れない。自分の本当の悩みを友人に打ち明けたら、自慢のように聞こえてしまう気がして、怖くて言えなかった。家族など身近な人にそれを話しても、孤独が解消されることはなかった。

もちろん、自分を祝ってくれる人に対しては本当に感謝しているし、ありがたいことだなと本気で思う。だけど、それとは別で、自分だけで対処しなくてはいけない孤独もあるのだと学んだ。そしてこれから先も作品を作っていくならば、そう思うことは増えていくのだろうなという予感がしている。孤独を自覚しつつもそれにはまりすぎず、目の前のやるべきことに一つ一つ着手していくのがいいのかなとなんとなく思う。

自分の作った作品で良い結果が出るとはどのようなことか、少しだけわかった今、やっぱりさっさと切り替えて次の作品作らなきゃなあ〜〜と思う。大学生の時のように、何かを作ることに対して無駄に執着することは避けたいけれど、自分の考えや生き方を何かに反映させてみたら面白いだろうなという思いがあって、それが賞などを取ってたくさんの人の目に触れることがあればなおいいだろうなという気がする。あくまで、制作を続けることに集中したい。

今までは、何か伝えたいことがある→作品を作る→それによって何か結果を残す…というサイクルでいけばいいやと思っていた部分があったけれど、たぶんそんな計画通りにはいかないし、あまり面白くない生き方だなという気がしてきた。周りの目とか受賞とか、そういうことを気にせず、自由に生きて作品制作をしたい。

以前の「とにかく何か結果を残したい!」と思っていた自分は、多少狂っていたけれど、間違っていたわけではないと思う。大学に通っていれば、実力がある人たちを目の当たりにするわけで、そう思うことは当然だった。けれど今は違う。孤独だけど自由だし、自分だけの軸で幸せになれる。

結果を残すことに対しての欲はある程度残っているけれど、目安程度にしておきたい。自分が幸せになれることを優先しているうちに作品ができればそれでいいし、できなければ立ち止まればいいと思う。そうしているうちに何かいいことがあるかもしれない。ないかもしれない。わからない。賞とかに限らず人目を気にせずやっていきたい。その前にもっとアニメーション作るの上手くなりたい。ついでに絵も上手になりたい。というか賞は欲しくても注目されるのは苦手なんだった。だから入賞スピーチとか壇上に上がるとか実はやりたくない。ネットに永遠に名前が残るのとか超怖いから嫌だ。いやそんな贅沢なこと言えるほど実力ないわ。んなこと言ってないでもっと作品作れ。この文章は全て自分に言い聞かせている。いろいろ考えるのがめんどくさくなってきたのでこの辺で終わろうかな。欲が出るとめんどくさいです。この文章何が言いたかったんだ。終わり

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