3月末、退職してきた話。
昨日、仕事を辞めてきた。3年務めた場所だった。初めての正社員。保育園。資格なし。これと言った大きな理由はなかったけれど、それでも、もう無理だな、と。
仕事内容が辛かったわけじゃない。人間関係がしょうがないことはよくわかってた。給料が低いこともわかってた。マイナスばかりじゃなかったのは確か。
ただ、入社当初、3年で辞める、と決めていた。
成長は、できたんだと思う。
入社したては園長に怒られまくり。書類を提出することも知らず、「どうして出さないの?」と怒られ、「何を出すんですか?」から始まる。紙を見て書き方がわからず、近くにいた先輩を呼び止めれば、快く教えてくれる。「忙しいんだから自分で考えなさい。」。……なんてこった。
人生詰んだ。とまでは言わない。
ただ、卒業してすぐ働いた場所で受けた理不尽に似ている、そう思った。
資格取得を援助してくれる会社だったため、そのスケジュールも組まなければならなかった。ただ、シフトが関係してくるため、固定できないそれは、一年目勤務の新人が決めるのは厳しい。
毎月毎月、シフトをお願いする。資格なんて、きっと本当はとりたくなかった。勉強なんて大嫌いだし、ただただ、保育園で働いてみれば、と言われ、見学だけはできませんというから面接も一緒に受けただけ。
やる気もなかったのに、どうして受かったんだ。とはよく思った。いろいろやらかしたし、ダブルワークしてめちゃクソ怒られたこともあった。こわい上層部のお偉い人を数人前にしたとき、なんの漫画だ、と思った。
エヴァでも呪術でも、あのよくある囲まれているシーン。ただ私は最強でもなければ手札もない。一般ピーポーだったし、転生してきて言語がわからないような、そういう、そういう状況!!
「なんで怒られてるんですか?」とも聞けず、怒られるだけ怒られたのは苦い思い出。。。
そう話を戻します。一年目で受からず、二年目も学校を、となった時。これまた偉い人が来て、私の資格取得に関しての相談を受けてくれた。
正直、『ネ申』だと思った。
受けなければいけない教科の名前さえ覚える気のない私だったが(なんせ名前がに過ぎていて覚えられない)、先生は熱心に聞いて、大学のコマ割り(大卒じゃないのでよくわかってない)のようなそれを綺麗に作ってくれた。園の行事と合わせて作ってくれたあと「これは、新人ができることじゃないわ。園長が悪い。」と園長を呼びつけ叱りつける。
(え?新人ができることじゃなかったの??)
そもそも、園長さえも把握してないので、私が把握できるわけがなかったのだ。なんてこった。そういう事務に強い人もいないため、「まぁ、がんばってね」とばかりの毎日。なんてこった。
なにそれ、私なんでこんな悩んでたのさ。
一発合格をしたかったのに、しょっぱなから心折られたのは「だから数カ月の勉強で合格は無理です」と言っている私に対して「一発合格しろ!最短で!!」と言わんばかりに数ヶ月後にある試験を受けるように言ってきたことだった。
過去学んでいた教科以外はズタボロだった。一番難関と言われた教科も含まれちゃいたが、そうではない。もうそこから私のやる気はそげに削げていた。
仕事をやっては怒られる。そんな中で電車通勤、どうして勉強できるというのか。
結局私は、一科目を残して退職することになる。試験は3回受けた。
それでも2年目は大きな人事異動のおかげか過ごしやすくなった。助けていただいた先生が園長になり、すっかり環境が変わったのだ。先生の下でなら働けると言っていた私はひどく嬉しかった。
怒られることが驚くほど減り、何をやっても褒めてくれることが増えた。
理不尽なことも確かに合ったが、底まで落ちていたのでどうってことない。人間関係なんてこんなもんよな、と割り切っていた。
子供の感情が育つのを見るのは楽しかったし、丸を書くことのできなかった子が人の顔を書き、字を描けるようになるのを見るのも嬉しかった。「おいしい」とごはんを食べるのを見るのも、ミルクを作ることも、トイレにつくことだって、オムツ替えも苦じゃなかった。
「きらい」「先生あっち行って」「いや」そんな言葉に悲しくもなったしイラつくこともあったけれど、そういう言葉が出て、そういう感情が育ってきたことは嬉しかったし、そういう言葉が出てしまう環境を見て悲しくなることがあった。
「先生大好き」「いいよ」「せんせい」と呼ばれることはすごく嬉しい。名前を覚えてもらえるのは本当に嬉しい。笑みを浮かべて、ひっついてくるのを見ては、どうしてこんなに愛おしいんだろうと思った。
愛おしいなんて、子供の世話をしなければ出てこなかっただろう。
子供の背景にある親の影。それは明るいものもあれば、そうでないものもある。世間的に悪いものだってある。
笑顔を見せない子供がいる事実を知った。傷ついて机の下から出られない子がいた。「大丈夫」じゃ通じない。少しずつ紐解いて、すぐに抱きしめたいのを我慢して、ゆっくり向こうから近づいてくれるのを待つしかない。
みんながみんな、幸せなわけじゃない。幸せにするには、私では力不足だった。
じっと見てきた子供になんだろうと思えば「先生、大丈夫?」と言われたことがある。『あぁ、もうだめだ』と思った。子供に悟られることが悪い事とは思わない。そういうのも含めて、人の感情を知る糧になるのなら、いくらでも教えてあげたいと私は思うけれど。
それでも私は、なにかが『ダメ』だと思った。
理由はいろいろあったのだ。
仕事のできないほぼ同時勤務のパートさんより低い給料だとか。どれだけ仕事をしてもやって当たり前。担当の子供に着いた時も、担当についたのに気に食わないとシフトを剥がされ、子供に嫌われるように仕向けられる。全然受からない資格。勉強する気のない自分。生きていたって面倒なだけ。
退職をしようと思ったとき、上司に伝えた。
もう何を言われたか覚えてないが、とにかく私は傷ついたらしくひどい顔をしていたらしい。職場の友人の一人が帰る前にわざわざ顔を見せにくるくらいだったんだと思うし、仕事上がりにラインを見れば「辛かったらうちにおいで」ときていた。
結局違う友人がご飯に誘ってくれ、焼肉を食べたんだが。だがどちらもそんな経験がなかった私は、ひどく感動したし、嬉しくて、それほど落ちることもなかった。
あのまま放って置いたら、あの日は間違いなく命日だったと思う。風呂場でどうやって消えようかと仕事終わりまで考えていたくらいだから。そんな先生やっぱやばいやつだと思う。でも生きているので、先生も。
働こうと思えば、働けたんだと思う。続けられたんだろうな、と思う。
いろんなことが重なってしまった結果、無職覚悟でやめた。
今日は無職。
近所の学校から、野球の声が上がり、ピアノの音が聞こえ、子供の挨拶と先生の声が聞こえてくる。ひどくのどかで、映画の一コマのような一日だった。
引っ越しの片付けは何も終わってない。転出届も転居届も、諸々忘れた。
そのくらいゆっくりとした時間だった。
ベランダに舞い込む桜の花びらを見て、「ちょうちょみたい」と言った子を思い出す。「せんせ、いなくなっちゃうの?」と言った子。「小学校に行くの?」と聞かれ思わず笑ってしまったこと。
三年。
ミルクを飲んでいた子が、好き嫌いをせずごはんを食べている。
友達に噛みつき、言葉にできないもどかしさから手をあげていた子が、「例えばさ、」と例え話をして状況を話してくれた。
言葉を一切話さず耳が聞こえているのか怪しかった子が、歌を歌うようになった。
三年。
人はここまで成長できるのか、と。止める頃に気づかされた。
「大馬鹿ものだよ」と笑いながら叱ってくれた先生の言う通りかもしれない。もっと学べることはあっただろう。もっとできることが増えたかもしれない。もっと、もっと、そう思わないわけではない。
それでも、こんな私でもやりたいことができた。
子供の成長に負けないくらい、熱心に打ち込んで成長してみたいと。自分の成長を見たいと思ってしまった。
「どうしてやめちゃうの?ほかの保育園にいっちゃうの?」
「いかないよ、新しい仕事をするんだよ。先生、楽しいこと見つけちゃったからさ。」
人の成長の基礎につく仕事だからこそ、責任は思い。この給料で、と思ってしまうことはあるだろう。前途ある若者だが、生まれたてのまっさらな人と付き合う仕事なのだから。
覚えていることはなくとも、憶えてしまう仕事だから。
叱られたことも、言われてしまった言葉一つでも、ふとした時に出てきてしまう。
楽しいことをするといったけれど、私は逃げてしまった。のだと思っている。
結局「大丈夫?」と聞かれたことに答えられなかったことが、怖かったんだと思う。
「なんで?」「どうして?」が当たり前。生まれて数年の子供達に教えられることは少ないから。
いつか戻るかもしれないけれど、今はまだ、私は楽しいことに打ち込み、成長していきたいと思う。
幸せなご飯代の一部になります。