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1年後の誕生日のわたしへ

毎年誕生日に、1年後の自分に向けて手紙を書いている。
かれこれもう5年目くらいになる。

この歳になると、独身は特に、誕生日を祝われることなんてほとんどない。
お世話になっている事務所から日付指定の封書が届いて、そこで、あぁ誕生日だなぁ、、、と思うくらいの日だ。
祝われるほどの歳ではないが、誰にも気が付かれないのも少しさみしい。
せめて、自分は自分を祝ってあげようというのと、小さなタイムカプセルの気持ちで手紙を書きはじめた。

一年といえど、意外と内容は覚えていない。
数年やってきてわかった、楽しめる手紙の構成としては 

・どんな一年だったか
・今テレビやSNSを賑わせていること(これが結構面白い)
・次の一年どうあって欲しいか
・気になることリスト(あれはどうなってる?等)
・ケーキ用のコイン1枚を同封(うれしい)

そして気になることリストや手紙には赤字で返信やツッコミをして、また翌年への封筒に同封している。
つまり、封筒の中身は年々重たくなっていく。
手紙を書いたのも、赤字で返信したことも、翌年には過去形になっている。
どちらも興味深い。見返して返信に返信を重ねたくなることもある。

あと数日後にわたしは誕生日を迎える。
10月に入った途端に手紙が気になりそわそわし始め、とうとう5日前にもかかわらず今日開いてしまった。
完全なフライングだ。
でも昨年も3日ほどフライングしていることは覚えている。

翌週にアラフェスを控え、大晦日にラストライブがあることも知らず、これが見納めかもしれないと覚悟をしている自分からの手紙。

"嵐のいない世界ってどんなですか?"

と書いてあった。

1年後、NEWSというグループに、加藤さんに出会うことを想定もしていない自分からの手紙。
コロナ禍でありながらもオリンピックもやって、こんなにも現場が戻ってきたと知らない自分からの手紙。

1ヶ月後に亡くなるとも知らず、
〇〇ちゃんも元気だといいな!、とペットのことも書いてあった。

一年って一瞬で終わるしすぐ歳を取るけれど、
やっぱりいろんなことが変わるには十分すぎる時間だな、って。

そしてこの手紙を続けていて思うことは
1年前の悩みって本当に思い出せない。
びっくりするくらい思い出せない。
手紙には、きっと悩み苦しんでいるんだろうなという様も書き記してあるのに、何にそんなに悩んでいるのか何でそんなに悩む必要があったのかがさっぱりわからない。

つまり、今悩んでることも多くは時間が経てば思い出せないくらいのことなのだ。
そう思うと今目先のしんどいことに対してもちょっと気持ちが楽になる。
この手紙を通じて発見したこと。  

また誕生日には1年後の私へ向けて手紙を書く。
先日買ったばかりの万年筆とインクを使おう。

お誕生日おめでとう、自分、、、!(超フライング)