続けられることって才能。じゃあ続けられないって?

もう、まるで何も続かない。 

某人気アニメの塗り絵と
ナンプレの雑誌と、
中国語の教科書は全部一緒に何でもボックスへ。
何でもボックスという名のわたしに飽きられたものたち。
ハンドメイドの布はタンスの肥やし、
ダンベルはもはや部屋のオブジェと化している。

わかりやすいほどに、飽き性だ。

続かない、ということに対するコンプレックスは小学生からだった。

まず、習い事が続かなかった。
ピアノ教室をサボってるのが親にバレて、この世のおわりくらい叱られて。
今すぐてめぇで辞める電話しろ!って目の前で辞める電話させられたのが今でもすごい覚えてる(笑)
いや、笑い事じゃないな。ピアノの月謝高いもんね、、、ごめんなさい、両親、、、。
バレエもした、水泳もした。

友達に「haruちゃん習い事すぐやめるよね」って言われたことがあった。

事実だけどちょっと嫌な気持ちになった。
きっと図星だったから。

最近も同じようなことを言われた
「haruちゃんすぐ推し変わるよね」

ううん、変わるんじゃないよ、増えてるんだよ
しかもみんな、同じ気持ちで大好きなままだよ
...なんて言葉はわかってもらえないだろうなと思って笑って流した。
嫌な気持ちになったわけではないけど、この感覚、分かり合えない可能性の大きい価値観であることにもやっとした。

推し増しの話は改めて。

先日も加藤さんの言葉を拝借したばかりだけど
「続けてこれたことが」ということばをよく耳にする。
本当にそのとおりだと思う。
アイドルの活動にしても、執筆活動にしても、こんなにも長く物事を続けてこれることは仰る通り完全に才能の1種だ。

そう思う一方で、その話を聞くたび
ますます私のコンプレックスは膨れ上がっていく感じも正直していた。
(もちろん、加藤さんは続かない人のことを否定したりは一切していない)

一旦、何なら続いてきたのか考えてみた。

習い事の書道だけは10年以上続いた。
小学1年から大学を出るまで。
あら、意外と続いてた?(笑

いまの職場、今は6年目。
ひとり暮らし、今は4年目。

写真や雑誌のコレクションも5年目くらいかな。

仕事は続けていると役職があがったり、任される仕事が増えたり。
後輩ができて、続けていることの意味を感じられることがそれなりにある。

ひとり暮らしもそれこそ人様に見せられる成果なんぞはないが、器用に家事を回せるようになったり食事がレパートリー豊かになったり、個人で成果を感じるものがいくらかある。
そもそも、続けないと生活できないのだけど。

そして今書きながら気がついたことがある。
何かを続ける上で必要なのは「目標」かもしれない。

"これができるようになったら"
"これを獲得するまで"
"ここに到達するまで"
そういう行く先があると、物事は続きやすいのかも。

眠らせて眠らせて、それでも捨てないのは
パーーーーって熱が上がって
急にやり始めるときがあるから。

だから自分のアンテナに引っ掛かるように
捨てずに目に見えるところに
何でもボックスを置いておくんだけどね。

さーて今日は何しようかな。