「好きって何!?」と頭を抱えていた2年前の自分へ

「好き」は、子孫繁栄のオプションだ。
「好き」って言葉は結果だ。

誰かに告白されたとき、
自分が相手に振り回されてるとき、
彼氏と上手くいかないとき、
私は毎度「好きって何なんだ!?」と頭を抱えていた。

1年半ほど前、私は最高にモテていた。
相手の理想の女の子を演じることでちやほやされ、承認欲求は満たされまくっていた。
自分が「好き」に悩んでなかったのだ。
悩んでないということは、心に余裕があったのでかねてより考えていた「好き」について考えてみた。
だけども、考えても考えても答えは出ない。
哲学書を読んでも、「愛」について書かれてるだけで「好き」については書かれていない。違う!私が知りたいのは「愛」ほど重くない「好き」なんだ。「愛してる」より重い「好き」なんだ!!

そんな時、年下の男の子から告白された。
チャンスだ。丁度好きについて考えていた私は彼に
何で好きって思ったの?どのタイミングで好きって気付いたの?私と話すとどんな気持ちになる?と聞いてみた。
自分自身で分からないなら、自分に向けた好意を詳しく聞けばいいんだ。

結果として彼は私の期待した回答はできずに
「なんでそんなこと考えるの?普通に好きなだけ。」そのまま彼は二度と私に好きと言わなくなり、(そもそも)価値観も合わなかったので付き合うことはなかった。

それから半年後、私はまた人から好意を伝えられ今度は自分で答えを出すことにした。哲学の本や、性愛の日本史の本を読み、マインドノートを書きまくった。そして出た答えは「好きという感情は子孫繁栄のオプション」だった。

そう思うと心が軽くなった。
動物は子孫を残すことが本能であり、他の生体機能は”ついで”なのだ。
明日死ぬと恐れてない限り、人はすぐに子孫を残さなければいけないということはなくいわば”余裕”だ。

「好きは子孫繁栄のオプション」
自分が恋愛に心が占められそうになったときは、この言葉を思い出し
「オプションなのでそう焦る必要もない」と他のやるべきことに向かっていた。

しかし最近また新しく気付きがあった。
「好きって結論じゃないか?」
どういうことかというと、人は何もされてないのに好きになることはほぼないと思う。何かをされて嬉しかった、という事象と感情が重なって好きになるのではないだろうか?

という仮説が立ったので、好きという言葉だけで自分の想いを人に伝えることをやめてみた。
「この前こう言ってくれて嬉しかった、ありがとう」
「いつも、こんなことしてくれるの嬉しく思う」
「一緒に〇〇したの楽しかった」
性愛だけでなく、友愛の対象の人にも伝えてみた。
人が私にもっと話しかけてくれるようになった。

「好き」を伝えるより重要なのは
好きと感じるまでの「経緯」かもしれない。

性愛においての「好き」という感情は子孫繁栄のオプション、という個人哲学は変わらないが
「好き」という言葉はただの結論、だからこそ途中式を伝えるべき。
という項目も追加された。

個人哲学をもつと、人生が楽になる。
これからもこうやって、頭を抱えながら自分の心に合った哲学を作っていきたい。


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