1人で生きるということ

明日、美味しいご飯を食べに行こうかと思う。

チーズナンが食べたいなと美味しいカレー屋さんを探したり
見つかったら美味しそうと、味を想像する。

以前なら、ここで「よし、行くか。何時に出たいから何時に起きよう。ついでにあそこも行こう」と計画する。

だけど今回は違った。
味を想像した後に、誰かと一緒にご飯を食べて「美味しい」と感情を共有した過去を思い出した。

急に寂しくなった。
東京では友達はいるが結婚して子供がいたり、少し遠い場所に住んだりしている。
寂しくなった自分に寂しくなった。

以前はそんなことなく、一人でご飯に行き、一人で旅行に行き、一人で遊びに行ったりしていた。

不思議なのが、冒頭で言った
ご飯を食べた後に行きたい場所は一人で行きたい。
誰にも気遣わずに、好きなだけその場にいたい。

だけど一人で食事だけが寂しく感じる。

こういう時、壇蜜を思い出す。
彼女の紡ぐ言葉や文章、考え方が好きだ。
どんな感情もささやかに、自分の一部として大事にしている感じが好きだ。

そんな彼女が結婚したとき、理由が話題になった。

私にとって“ちゃんと生きられる”の意味は、経済的・精神的に自立して生きられるということです。ひとりで生きられないから結婚するのではなく、自分ひとりでも生きられる自信がついたから誰かと一緒にいられるようになったわけで

私も、結婚は自分にとって意味がなければしたくないと思う。
税金の控除があったりとメリットはあるらしいが、それ以上に結婚に際する責任を負うことを全うしようと気負ってしまい
そんな気負うくらいなら恩恵を受けずに、生きていたい。

だけども、ちゃんと生きられるようになった状態であれば気負うことはない。ただ、いくら経済的に自立できても、精神的に自立できなければ私は、私が誰かと結婚するべきでない。

じゃあ精神的自立とは何だろう。
いまのところ、寂しいという感情を自己完結させることかと思っている。
ただ、一人と独りは何が違うのだろう。

友達とも家族とも話さず、会社の人とも業務の話しかしない。フリーランスで話さなくても平気は違う。

友達とも家族とも、会社の人とも話すのに
自分の不安な感情を一人で抱え続けて生きるのは一人だろうか、独りだろうか。

自分ひとりでも生きていける精神的自立ってなんなんだ。

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