ここから世界へ

 皆さんにとって、身近なスポーツとはなんでしょうか?

 おそらくは、親密な人が元々スポーツをしていたり、あるいは地元にプロチームがあったりして身近に感じるものだと思う。

 私が幼い頃から暮らしている大分県は、様々なプロチームが本拠地にしている土地だ。
 サッカー、バレーボール、フットサル…第二本拠地や、昔はメインだったチームも入れれば、もっとある。W杯の開催地にもなったことがあるし、マラソンや自転車競技など、大会も開かれる。
 そんな環境の中、私にとってもっとも身近に感じるスポーツは、車いすマラソンだ。

 地域の小学生は、地元の大会の時に応援観戦に行っていた。その中にたまたま車いすマラソンも入っていた。ただそれだけのきっかけだ。

 初めて車いすマラソンを観戦した時のことは、いまだに鮮明に覚えている。
 車輪がアスファルトと擦れ合う、シャーーーという音、それが大群になって押し寄せてくる。かっこいいスポーツ用のヘルメットを被って、上半身ムキムキの老若男女が、自分よりずっと低い目線を時速30kmで走り抜けてゆくのだ。

 中学の時も学校単位で観戦し、先輩の応援方法を真似する様になった。
 何人かでチームを組み、ゼッケンで出身地を確認して、なるべくその国の言葉で「がんばってー!」と叫ぶ。たまに、応えてくれる選手がいる。一瞬笑顔を見せてくれたり、軽く手を挙げてくれたり。
 邪魔になるかもしれない。ただ、この応援をするのは主に後半の選手に向かってだ。

 レース序盤に先頭を走ってくる選手は、そもそもそんな時間はない。あっという間に駆け抜けていくし、ほぼ常連メンバーなのでこちらも名前を覚えている。ぜひ調べてみてほしい。連勝記録がものすごい。

 そして後半にやってくる選手は、おそらくいろいろな背景の選手がいる。想像でしかないが。

 車いすマラソンを応援に行くと、パンフレットをもらえる。そこにはゼッケンナンバー・名前・出身地、そして最年少と最年長の記載がある。
 10代前半と還暦越えが、トップアスリートとマラソン挑戦者が、世界を舞台にする選手と周りの人に恩返しをしたい人が、好記録を狙う人と障がいを乗り越えようとする人が、障がいの程度も違う人が、同じ時間に同じ条件で同じコースを走る。
 それが、大分国際車いすマラソンだ。
(昔のパンフレットの写真があった)

 詳しくは割愛するが、大分国際車いすマラソンは、大分県出身の中村裕医師が、マラソンを走りたいと願う車いすユーザーの声を行政に届けて開催された。この中村氏、『日本パラリンピックの父』と呼ばれている。『障害者は社会から守られる存在』であった時代に、障害者自立支援施設を作り、障がいを持った人が自分で稼いだお金で自立できるようにし、東京パラリンピックでは選手団長を務め、そして大分国際車いすマラソンを提唱した。

 今でこそ当たり前だが、大分県、特に中村氏が活躍した別府市では、バリアフリーの場所が多い。20年前の子どもですら、エレベーターに鏡がある理由を知り、車いすや視覚障害体験をしたことがあり、車いすで段差を乗り越える方法を知り、体育館や駅のトイレにスロープがあるのが当たり前だった。
 今でも、車いすユーザーや、白状ユーザーが一人でショッピングをしているのが当たり前だ。

 そしてなんと大分市と別府市の境界には、車いす優先の歩道がある。(正式ではないかもしれないが)
 それは別府湾を望む国道10号線だ。
 そこは、大分国際車いすマラソンのコースになっている。そしてマラソンの開催日が迫ると、そこで練習している『選手』がたくさんいるのだ。マラソン用の車いすにはハンドルもブレーキも存在することは知っているのだが、なんとなく練習中の選手を邪魔しないように歩く。
 競技用車いすに乗っていなくても、ショッピング中でも、なんとなーく、この時期に見かける車いすユーザーは、『選手かな?』と思う。

 それくらい、大分国際車いすマラソンは身近なのだ。
 そして常連選手を見かけないと、病状を心配してしまうほどには。

 以前、大分国際車いすマラソンの時期にこんな垂れ幕を見かけた。
 『大分から世界へ』

 以前他県で働いていた時に驚いたことがある。有名な選手がたまたまテレビに出ていたのだ。選手としてではなく。そして職場の人は誰もその選手を知らず、「障がいがある大変な人」としてみていた。
 違う。たしかにそうなんだけども、その人はひとりのアスリートだ。
 低い姿勢で上半身だけで世界を相手に42.195kmを駆け抜けるカッコいい選手なんだ。

 その数年後、その選手は(少し違う形だったが)海外の大会で好成績をおさめ、当時の職場の人が「こんなにすごい人だったんだ!」と言っていた。
 すごい人なんだよ!

 (その人ではないが)今回のオリンピックで聖火ランナーを務めた一人、土田和歌子選手。私が毎回声を枯らして応援する選手の一人だ。
 女性ランナーはゼッケンの色が違うので、土田選手がやってくるとすぐにわかる。まさに紅一点。屈強な男性ランナーの中で、前を見据えて走る姿と普段の輝く笑顔のギャップにファンも多い。

 パラリンピックが始まる。
 ぜひ、注目して欲しい。
 オリンピックは4年に一回。
 パラリンピックは、一生に一回の選手もいる。
 オリンピアンと同じくらい、いやそれ以上に、いろんな想いを背負って闘いに来た選手たちがいる。
 ここから世界へ。
 世界の舞台で活躍する選手たちを、応援したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?