「キラキラ」を目指す留学生も就活生もどうでもよすぎる。そういうの目指さずとも20年そこらで堆積した人の中にある深層心理の方がずっと興味深いので
奇跡も悲劇も排除され均されていく世界に、それでも奇跡を信じていられるか。そして手繰り寄せられるか。
退屈なことと奴隷であることはめちゃくちゃ遠いように思えて時計の0時と12時のような近接関係にあるな、適切な上位存在とそれによる抑圧があったとき初めて価値のある暇が生まれる。
留学生活停滞しまくっとるーー 受け入れてもらった研究室でろくに目標を見つけられてないのが足枷すぎる
できることとやりたいことと求められてることを表した3つの円が重なるだの交わるだののことを考えるとクラクラしてくる。3つの太陽が同時に現れて無数の多次元宇宙の中から最もくだらないものを提示してくる。
贅沢な悩みであることは重々承知で。俺は多分恵まれていて、謙遜にならないほど怠けている。
普通に恋とかしたほうがいい。
今までテストの点とかそういう外側の評価に沿って生きてきたから、ただ楽しいと思うことをするだけっていうのにも妙な罪悪感があって持続的じゃない。抑圧と開放。かといって今の自分を強く縛るコミュニティがないんで、人や所属に貢献していくこともできん。宙空にいて誰よりもフリー(?)
留学してるのもただ、海外でダラダラ暮らすみたいな感じに落ち着いてきてかなりしんどい。使命感とミッションと貢献がなさすぎる。
素養や経験のなさはともかく、俺は絶対創作をするべきだと思う。本業(金)にならなくとも。というかみんなも。
マチズモとは違うけど、うっひょー失敗•挫折気持ちいいー、ってとこまでドライブできたらいいと思う。傷つきながら走り抜ける。
あの時もっとやれたなぁと振り返るとき、たいてい当時は当時で健康状態などの事情があるので、そうではなく始めからデザインした戦略のもとで取り組みましょうという話だな。それで無理なものは身の丈にあっていないという現実的な解釈もそこまで悪い考えではない。
この辺もっと詳しく書きたいけど、日々とは抑圧と開放の周期的な進行だと思っていて、抑圧のタームでは結果を追い求めなくてはいけない瞬間があると思ってる。少し真面目すぎる??
SNSで過剰なマチズモが叫ばれ、カウンターとしての脱男性性も同様に叫ばれている中で、俺は自身にはより結果で説得していくようなマッチョ性を必要としている気がする。 この考えに囚われるとかなり生き苦しいとは思うけど、結果でしか証明できない何かがあると思うしハードワーク不足。
なんてことのない日々の中にも一瞬一瞬の真新しさを導入すること(=自分をフレッシュに保つこと)が重要であると思ってる反面、どうしても停滞感と向き合わなきゃいけない時期もあり、それに向き合い続ける胆力が(精神的な)体力ということになると思う。
なんか知らんけど、ちょーエモーショナルな感じになってきた。人と同じ時間を共有することと、唯一無二、再現不可能な人と人とのネットワークを形成することに関するモチベーションがあがってきた。やはり身体性の時代だ。