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研究室で輪読を行っている『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』の第9章「ウルム造形大学のルーツ」について、全体のサマリ、ゼミでの議論内容、読んだ感想をまとめていきたいと思います。(文責 M1 久永)

サマリ

第9章の大枠

本章の冒頭でクリッペンドルフは、「起源を明らかにするのは難しい」と述べ、ウルム造形大学と意味論的転回との関係を解き明かすことが困難な理由を、次の3つを挙げて説明します。それは、工業からポスト工業にシフトしていく時代背景、実証主義ではなく科学を素朴に信じたマインドセット、そして意味論が生まれるまでの哲学や社会学における思想の紆余曲折が閉校後に起こったこと、です。
これらのことを紐解くために、第9章ではまず、5人の重要人物を紹介しながら、意味論的転回につながるディスコースの流れを丁寧に説明します。その後、当時言語化されていなかったために見落とされていたものの、ウルム造形大学の中でひっそりと育っていた意味論の萌芽を紹介し、最後にデザインがこれから進むべき方向性を提示して、本書は締めくくられます。

ビルの機能主義

L・サリバンの「形態は機能に従う」という機能主義の格言は、ウルム造形大学に深く浸透していました。「すべての人工物が機能を持たなければならず、もしそうでなければ価値のないもの」と考えられ、機能主義に対する批判的精神は育まれませんでした。当時のデザイナーは機能主義者のディスコースを用いて、客観性や合理性を偽装していたのです。クリッペンドルフが紹介する重要人物の一人目は、初代校長のマックス・ビル(1908-94)。彼はこの機能主義の流れを踏襲して用語を洗練させたことで、技術的/素材的/生産的/美的の4つの機能が認知されるようになりました。
この4つの分類によって、「形態のあらゆる質は、機能的な説明の対象」になります。しかしそのことで、機能主義のディスコースで説明できないものは排除され、誤った判断を導くようになります。斬新なアイデアを生んだり、人間の不確かさを許容したり、ユニークさや芸術性を取り入れることは、困難になってしまいました。
そんな中、このディスコースの正当性をさらに強めるために、ビルは数学的正当性に頼るようになります。その具体例として、数学的に整理された壁掛け時計や街灯が挙げられます。これらの、現代でも通用するような良いデザインを作っているにも関わらず、その良さを数学のみで説明してしまったために、美学がその陰に隠れ、意味論的転回は育まれませんでした。

ベンゼの情報哲学

シャノンの『コミュニケーションの数学理論』は情報理論と呼ばれており、ベンゼはその理論を重視しました。彼は、実在性とエントロピー、共実在性とネゲントロピーという用語を用いて、起こり得ること・起こり得ないことと、美学の関係について述べます。ここで、新たな誤りが誕生したのです。それは、非蓋然性が高いほど、つまり、前衛的であるほど美的である、という誤解です。しかし、ウルム造形大学は先進的なデザイン学校として、ベンセの美学とその知的正当化を熱心に受け入れてしまいました。情報は絶対的なものではなく、文脈によって可変なもので、人工物に固有の美があるのではなく、その配置やダイナミクス(全体の力学)に美が存在する、と学生たちは考えるようになりました。その中で、「美学を美の鑑賞から、人工物の哲学」へ、「人工物の美学から、人工物の配置の美学や大衆文化のダイナミクスの美学」へ、美学のフレーム変更が行われました。
しかし、ベンゼはデカルト的な哲学(客観性、自然のままの姿)に固執したために、実践によって物事を明らかにしようという姿勢はなく、二次的理解が育まれることはありませんでした。

マルドナードの記号論

M・ビルの次に、T・マルドナードがウルム造形大学の学長になり、記号論をカリキュラムに導入しました。マルドナードは、記号論用語の定義を出版し、「デザインのための記号論的なディスコースを標準化」しました。しかし、実証的研究は欠落していたため、「本質的に経験的な妥当性には閉ざされたもの」のままでした。経験的な研究は有効なのにもかかわらず、当時のウルム造形大学では用語ばかり洗練され、疑う隙が残っていなかったのです。
また、マルドナードの記号論では、意味やモノが客観的に存在するのではなく、意味は、物について「述べることのできるものを位置づけるもの」。つまり意味は、記号論的参照関係であり、この在り方は誰かがデザイン対象に対して正当に言うことのできる言葉を決定することです。この考え方によって、グラフィックやテキストが記号論の分析対象になり、一方で工業デザインはその対象から外され、日常の経験は犠牲にされました。
これらの理由によって、記号論は、実際のデザインの現実や人間中心のデザインを十分に捉えることができず、意味論は育まれなかったのです。

チェルニシェフスキーの美の政治経済学

クリッペンドルフは、チェルニシェフスキーの美学に関する本から個人的な影響を受けたと言います。普遍主義と決別し、「美学を支配階級による独善的な美の理論とみなした」彼の主張は、女性の容姿やドレス、会話などを例に挙げながら、次のように主張します。美学はエリートの優位性を示すための道具として利用され、社会的に構築されたものであり、「政治的に代わりやすい概念」である。つまり、美に普遍性はない。そしてチェルシェニフスキーは、芸術の中に美学の独善性や政治性を見て取り、「美的知覚を芸術の対象の客観的な性質と生理学的に関係するものであると説明することは、単に優位にある文化的エリートの美学を支持するだけ」と言い放ちます。これは、ベンゼの主張(非蓋然が高いほど、美的)とは対立するものです。
また、美学と機能主義の一見歪んだ関わりは、時代背景を知らねば理解できない、とクリッペンドルフは言います。廃墟の中のドイツでは当時、復興が第一の目標でした。工業文化に貢献したいという思いは、生産性こそが至上であるとの考え方を生みます。その中で貢献度を説明しやすい機能主義への傾倒が起こりました。
ウルム造形大学には、技術は「文化的に中立」であるというディスコースがありました。新たな美学を求めつつ、普遍主義を主張していた当時、社会相対主義を受け入れず、この矛盾に気づけていなかったのです。時代の要請を背景にウルム造形大学の美学は成功「してしまった」ため、実証はせず、理論をどうやって消費者に教え込むかを考えており、意味論的転回と対照的な立場でした。

リッテルの方法論

実践から離れがちだったベンゼの科学哲学は、リッテルに引き継がれ、将来のカギになると誰もが考えていた「情報とコミュニケーション理論」の講義が行われるようになりました。
リッテルは、ヒューリスティックス(経験則)を体系的に探究し、「デザインを支える方法のレパートリーを豊かに」しました。ただ、リッテルはプラグマティストであり、彼のデザイン方法は、分類や実証を行うのではなく、実践の包含する様々な事象(複雑な世界、不確実な情報、予期できない結果)への理解を促進しました。これによって、ディスコースが、機能の正当化から、デザインする方法の正当化へシフトしました。彼の展開したプランニング方法は、将来の条件とかかわり、ステークホルダーの関与を必要とするために、「言語の対話的な考え方をとる」ようになります。意地悪な問題に対して、これまでは、可能な解決から考察するのみでしたが、意味論的転回は、望ましい未来のビジョンを強調します。その点からも、リッテルは、意味論的転回の必要性を認識していたはずだ、とクリッペンドルフは振り返ります。

ウルム造形大学にあった意味論の萌芽

以上の5人の人物を中心に、意味論の流れを掘り起こし、クリッペンドルフは「明らかに、意味の問題はウルム造形大学においては普及しなかった」と述べます。「機能主義の保護の下では、人工物が異なるコンテクスト、異なるユーザーに対して、異なるものを意味することは誤りであるとしか考えられなかった」のです。しかし、だからと言って、形態と意味の対応が皆無だったわけではない、として、適切な用語の不在によって意味論が認識されなかった6つの例を紹介します。

  1. 電気プラグ:形から、使用が自明で、意味論的に明確なデザイン。

  2. アイロン:触れる部分とそうでない部分という意味を形態によって区分。

  3. 精密なカリパス:交換可能な計測部分と持つべきアームを2色で区分。

  4. 天秤ばかり:色彩に白を選択。清潔さと、精密でデリケートな性質と合致。

  5. ラジオレコードプレイヤ―:意味のために音質を犠牲に。

  6. チェスセット:インドのゲームがヨーロッパへ。駒の名前(言語)やユーザーの文化的コンテクストによって形が決まる。

これらの意味論の萌芽をもとに、「ウルム造形大学の経験は共通の脈道」となって、卒業生は意味論へ多様な貢献をしたといいます。そして、「意味はウルム造形大学の盲点だったにもかかわらず、意味論的転回はウルム造形大学の価値に反するものではない」として、ウルム造形大学にルーツがあることが暗示されます。

これからデザイナーが進むべき道

ウルム造形大学ののちの時代は、「技術との意味あるヒューマンインタフェースのデザイン」の研究が進み、デザインが人間中心の領域へ移行され、意味論的転回の原理は「インターフェースは認識可能な意味に従う。」となりました。「デザインのディスコースは、可能性を創造し、協力して現実可能な未来を創造する言語…」「デザインに対する権利を行使したいと思うすべての人にとって手に入れられるものにすること」と述べられ、デザインは根本的な人間の権利であり、デザインの議論がすべての関心を持つ人々にとって容易に利用できるべきである、という倫理の問題へと進展し、これが新たなデザインであると主張します。そしてこれらかのデザイン専門職は、ディスコースを作ることが仕事になる、と提唱。「本書は新たなデザインのための基礎を提起する」という言葉で締め括られました。

ゼミでの議論

ウルム造形大学と当時の状況

ウルム造形大学は、1953年から68年の15年間だけ存在していました。ウルム造形大学について、当時の時代背景を抜きにして考えることはできません。ゼミでは、1950~60年代の出来事を振り返り、安保闘争(1960)、ベトナム戦争(60年代)、フランスの五月革命(1968)、キング牧師の暗殺を契機とした公民権運動(1968)などを挙げ、左翼のムーブメントが活発な時代であったことを確認しました。ウルム造形大学が閉校した1968年は、時代の転換点と重なります。当時の時代のゆがみが、さまざまなものの転換を生みました。これまでの機能主義や合理主義も、限界に来ていたのでしょう。そこで意味論的転回が提起されたのは、時代の要請だったのかもしれません。
登場した5人の人物について、それぞれの人の出身国を知ることで理解が進むのではないかという意見も、議論に挙がりました。M・ビルはスイス生まれで、バウハウス(1919-1933)を卒業し、ウルム造形大学の設立に携わりました。ベンゼはフランスとドイツの領土を行き来したストラスブール生まれ。マルドナードはアルゼンチン生まれ。チェルニシェフスキーはロシア。厄介な問題を提唱したリッテルはベルリン生まれ。これらのことからも、ウルム造形大学がいかに国際色豊かだったかがうかがえます。また、バウハウスの直接の流れをくむのはM・ビルのみですが、そのビルがウルム造形大学の初代校長である事から、バウハウスとの関係性も見て取れます。

当時の視座の限界

ゼミでは、クリッペンドルフの先見性に驚きの声が漏れる一方で、当時の新規な「意味論的転回」を現代の視座から批判することの重要性も指摘されました。意味論的転回には、マルチスピーシーズ的な視点や、ケアの視点などは見られない、という批判ができます。そこで例に上がったのが、以前ニュースで見かけた熊の被害や、欧州での南京虫の被害です。これらの、異なる種の活動の変化によって人間が被害を受けている現状は、元をたどれば気候変動による生息域の変化にたどり着きます。これは、本書が出版された2006年には持ちづらい視座であり、現代を生きる私たちに課せられた課題であると言えます。

情報とコミュニケーションの時代

リッテルのパートでは、なぜ情報とコミュニケーションの理論が将来の鍵だと思われていたのか、という疑問も話し合われました。当時はコンピューターが飛躍的に発達した時代です。真空管からトランジスタへ移行し、コンピューターは小型化して、扱う情報の量や機会が増加しました。それが、情報の重要性を認識させた背景だと考えられます。
では、なぜコミュニケーションも重視されたのか?ゼミでは、インターフェースというものの理解が重要なのではないかと話し合われました。例えば、インターフェースとしてのスマホの画面を考えた時、私たちは、「文字や画像を見ている」と認識していますが、実際に見ている物理的なものとしては、ただの光の点滅でしかない。そこに文字を見たり、画像を見たりしているつもりになっている。インターフェースを通じて、人間と機械がコミュニケーションをとっている、このHCI(ヒューマンコンピュータ・インタラクション)の文脈でコミュニケーションが語られているのかもしれない、との意見が出ました。

感想

本章は、ウルム造形大学に様々なかたちで関わった多くの人々を通じて、意味論的転回が形成されていった過程を概観しました。戦後の復興期という時代背景やデザインを取り巻く潮流によって紆余曲折はありましたが、振り返ってみると、意味論的転回が起こるべくして起こったように感じるのは不思議なものです。合理主義や機能主義という「最適解」を探していた時代から、意味という人それぞれ違う解をさぐる時代へと変化していった当時の状況を追体験できたことで、近年盛り上がっているマルチスピーシーズな議論の潮流と、ある種重なる部分を見出すことができた気がします。人間にとっての最適解から、種それぞれ違う解を探る時代へ。
意味をめぐる問題は、人々の世界に対する認識やナラティブなどを理解する、人間の根源的な部分に触れる営みのように感じます。クリッペンドルフは、デザインのディスコースを作ることがが、デザイナーのやるべき仕事だと言いました。人間を理解し、それを語れるようになることが、これからの時代には求められているように感じました。デザインは、ますます時間がかかるプロセスになりつつありますが、焦らず時間をかけ、じっくりと理解を深めていきたいと思います。

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