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『意味論的転回』 序論と概観及び第1章

現在、岩嵜博論研究室で輪読を行なっているクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回 デザインの新しい基礎理論』の序論と概観及び第1章「歴史と目的」(p1 – p41)について、全体のサマリー、ゼミでの議論の内容、読んだ感想をまとめます。(文責 M1 河合)

サマリー

本書は、デザインにおける意味論的関心の歴史をレビューし、その哲学的なルーツを示し、人間中心のデザインのための原理と考えます。まず、序論と概観では、デザインの語源に遡り、「デザイン」の意味の変遷を述べています。第1章では、プロダクトセマンティクス(製品意味論)の概略的な歴史と、情報化社会により拡大し、変容する現代デザインの問題群や対象領域の展望を述べています。

序論と概観

序論では、デザインの語源からデザインの意味を述べます。デザインの語源は、ラテン語のde+signareで、その意味は、際立たせる、区別する、それを使用、使用者あるいは所有者に割り当てることによって意義を持たせます。この原義に基づき著者は、「デザインとは物の意味を与えることである。」と述べています。この定義は「デザインは意味を造り出す活動である」あるいは「デザイン製品は、その使用者が理解できるものであるべきだ」と解釈できます。
 
産業革命時代は、多くの人に受け入れられる大量生産とその製品の市場を拡大する必要性の高まりにデザインという言葉を当てました。しかし、その工業的な起源をほとんど断ち切れなかったデザインは、現在はその形式の語彙を本質的に使い果たしてしまったと著者は述べます。また、科学技術の発展により、デザインの専門性、例えば、工業デザイナーとグラフィックデザイナーとの間にあるような伝統的な区別が概ね廃れていってしまっていることや、この情報豊富で素早く変化する個人主義的な文化においては、現代のデザインディスコースはもはや説得力を持たないとも述べています。
 
以上をデザインのアイデンティティーの危機として、著者は以下のように結論づけています。

急激に衰退する工業時代の基準で市場向けに製品を忙しく造り出すことによって、技術的変化の潮流になすすべもなく漂うことによって、あるいは現れつつあるディスコースを取得し、未来的な知識の流行モデルのように振る舞う人々の後を追いかけることによって、デザイナーは現代社会においてその職としての腕前を失ってしまったのだ。

p.xvii

著者は、デザインはもはやその踏みならされた道を歩み続けることはできないとした上で、工業化時代の機械的な製品の外観を形作ることから、自らを再構築する過程にある社会を支える人工物を概念化する必要があると主張します。つまり、「意味が分かるように人工物をデザインすること」「物としての意味と社会的意義を持つようにデザインすること」というラテン語「design」の失われた意味に立ち戻る必要があると主張します。これを意味の考察への転回、つまり「セマンティックターン(意味論的転回)」といいます。

図0.1 人工物の意味の4つの理論の間の関係

製品意味論の発展

1984年、アメリカ工業デザイナー協会の雑誌「イノベーション」の特集号で最初に製品意味論が現れました。特集号の中で、著者とR・ブッターは、物事の抽象的な質についての研究あるいは、文化的な質の改善のためのデザインツールとして「製品意味論」を定義づけました。出版後、アメリカの工業デザイナー協会(IDSA)がクランクブル・アカデミー・オブ・アートで開催した夏期ワークショップや、ボンベイのインド工科大学の工業デザインセンターの「アルサヤ(古代ヒンディー語で意味)」と呼ばれた製品意味論に関する会議を開き、デザインを文化的な開発プロジェクトの中心へと移行させました。1989年、著者とR・ブッターが編集した「デザインイシュー」の中で、製品意味論の定義について以下のように述べています。

・どのように人々は人工物に意味を与えるのか、また、それに続いて、どのように人々が人工物に関わるのかについての体系的な探求。
・人工物がユーザーやステークホルダーのコミュニティーに対して獲得する意味の視点で、人工物をデザインする、その用語と方法論。

p.2

その後、ヘルシンキ美術デザイン大学の製品意味論に関する第一回のワークショップや、1996年、アメリカ合衆国科学財団(NSF)が行ったデザイナーはどのように情報技術をより広く利用可能なものにすることに貢献できるのかを調査するための会議の開催などにより議論が進みます。1998年には、シーメンスAGとBMWがドイツのミュンヘンで後援した「デザインにおける意味論」と題するシンポジウムが開催され、情緒性が意味論の重要な観点となってきました。そして、人工物を使用するとき、どのように、どのような情緒が引き起こされるのかという問題は、自然に人工物が何を意味するのかという問題の方向に進みます。

今日のデザイナーが直面しているデザインの諸問題の軌道

序論でまとめたように、産業革命は物質の大量生産との関係においてデザインを定義づけることに成功しましたが、デザイナーが自ら行ったと信じてきたことと実際に行ってきたこととの間には、常に分裂がありました。一方で、次第にL・サリバンの以下の格言に包み込まれた機能主義に同意することになります。

形態は機能に従う。

p.6

1つのデザイン原理として高められたこの格言は、触知可能な製品の形態はそれらが働くべき機能の明確な理解から自然に現れるという信念に伴います。これに対し、著者は、以下のように主張します。

 意味論的転回は、今日の社会においては、時代錯誤となった機能主義者の確固たる社会秩序に対するデザイナーの盲目的な服従への挑戦である。今日の世界は機能主義の格言が生まれた世界よりもさらに複雑で、非物質的で、より公共的になっていると言える。

p.6

図1.1の人工物の軌道はそうしたデザインの諸問題の軌道を示しています。 

図1.1 人工物の軌道

デザインの環境の変化

社会的な環境の変化をみると、デザインが登場したのは、今日の基準と比較すると抑圧的な理性の合意が限定的な市場をめぐる競争によって弱体化した時代で、そのような競争は徐々に選択肢を広げていきました。どの程度遠くへポスト工業化社会が移動してきたかについて、以下の図1.2で説明されています。それを踏まえて、デザインは技術中心から人間中心の取り組みに変化してきたことがわかります。

図1.2 社会的次元のシフト

ディスコース

簡潔にいうと、ディスコースとは組織化された話し方、書き方、しかるべき行動の仕方です。ディスコースはコミュニティメンバーの注意を方向づけ、メンバーの行動を組織づけ、メンバーがみたり、話したり、書いたりする世界を構成します。著者はディスコースの5つの相互に構成的な特性においてウィトゲンシュタインの言語ゲームの考えを拡張し、ディスコースの定義を示します。

  1. ディスコースのテクストのまとまりにおいて、ディスコースが構築する人工物において現れ、そこを離れてさまざまな形で吟味され、調査され、文節化され、生産される。テクストはディスコースの文字の遺産である。

  2. ディスコースはそれを実践する者のコミュニティー内で存在が保たれる。

  3. ディスコースはその再帰的な実践を制度にする。

  4. ディスコースは境界を線引きし、属するものと属さないものの間を区別する。

  5. ディスコースは部外者に対し、自らのアイデンティティを正当化する。

 要するに、ディスコースは単なる話されたことや書かれたことではなく、ディスコース自体の生命を持つ社会システムです。また、ディスコースのコミュニティーの境界については、拡大することもあれば縮小することもあり、コミュニティーメンバーは、自らが何者であるかを知り、帰属意識を感じることができます。一方で、ディスコースの境界は浸透性があり、弱い境界は他のディスコースによる植民地化を招いたりするといった特徴があります。著者は、ディスコースは自らを正当化し、他のディスコースにも受け入れられるやり方でその製品を有効なものにする必要がある。ディスコースの主な目的は持続的に成長することであると述べています。
 
では、ディスコースが支えることのできるデザインとは何でしょうか。H・サイモンは、デザインとはあるものの改善である、あるいは、「既存の状況を好ましいものに変えることを目指した行動のコースを工夫する人は、誰もがデザインする」とも述べています。これに対して、著者は「人工物は多くの人々に、理想的には利害関係を持つ人々全てに理解できるものでなければならない」と主張します。これは、デザインの人間中心という概念をもたらし、サイモンの定義と決別します。サイモンはそれを以下のように表現しています。

自然科学は物事がどのようにあるかに関わっている。これに対し、デザインは、物事がいかにあるべきかに関わっている。すなわち、目標を達成する人工物を考案することに関わっている。

p.29

著者は上記のように自然科学とデザインの違いを述べて上で、専門的なデザイナーを技術中心のデザインと人間中心のデザインに分け、違いを以下のように述べた上で、人間中心のデザインの必要性を主張しています。
 
技術中心のデザイナー:完全に技術的な人工物、ユーザーの概念を考慮しない人工物のデザインをする人
→責任の階層的な組織において成功し、工業化時代に出現した機能主義を育成した。
人間中心のデザイナー:人間のインタラクション一般に関わるまたは、技術的な人工物のヒューマンインターフェースに特別に関わる人
→ユーザーのコミュニティからその基準を導き出す。
 
著者は、ユーザーの世界では、デザインされた人工物は、ユーザー、第三者、指導者、そして批評家とともに居場所を見つけなければならないと主張し、この区分について、以下の図1.4に示しています。

図1.4 デザインの実践内の区分

上記までを踏まえ、デザインのディスコースはどのようにデザイン実践を支援するのでしょうか。著者は先に述べたディスコースの5つの定義から構成要素を示した上で、デザインのディスコースの考え方について以下のようにまとめています。

  • デザインがこれまで以上により生産的である新たな責務を果たすために、デザインの境界線を引き直す。

  • デザインにおける意味へのアプローチのいくつかのレベルを展開する。

  • 成功したデザインの実践や失敗の教訓の話から人間中心のデザインのための再現可能なデザイン方法を公式化する。

ゼミでの議論

対話的な説明の客観化のステップ

図01 対話的な説明の客観化のステップ(作図:河合)

「1.3.7 哲学の言語論的な転回(p.22-26)」の対話的な説明の客観化のステップについての解釈が論点となりました。著者は被験者に色彩用語を引き出す科学的実験を例に、対話による合意によって存在論化(客観化)していくプロセスを述べました。ゼミでは、客観というものがあるか?という話なのではないか。デカルトはあると主張しているが、著者は主体がどう意味付けするかによって、客体の意味が変わると述べているのではないか、といった意見や、本書で意味に注目することの必要性について述べているのではないか、という意見が出ました。著者は、全ての事柄は現実の人々の間の対話によって主張されると述べており、自然科学的なものとの比較や、人間中心のデザインの必要性を主張しているのかなとも個人的に思いました。

ディスコースのコミュニティ

ディスコースのコミュニティについては、うちわ盛り上がりしているコミュニティをイメージしたという意見も出ました。このコミュニティについては、コミュニティメンバーとしての自覚、帰属意識の程度と、コミュニティの規模感などによって、属するものと属さないものという境界の線引きの濃さが変わると感じました。他方、「ディスコースをデザインするというよりは、デザインのディスコースを作りたいという話をしたいのではないかといった意見も出ました。例えば、マンジーニのデザイン文化の議論などもありますが、個人的には、デザインという言葉が広まった今、改めてデザイナーがデザインの意味を捉え直し、強固なデザインのコミュニティをつくりたいという話にも聞こえました。

感想

デザイン、人工物という言葉の意味が拡張したことにより、多くの人々が、2つの言葉の意味を単体では捉えることができなくなっていると感じます。それは、多種多様な領域分野でデザインが議論、実践されているということでもありますが、まだまだ、産業革命時代のデザインの意味が抜けきれていない方も多いのではないでしょうか。本書では、言語も人工物であると述べていますが、我々は対象となるモノ、コトにどのような意味を与えるべきなのか、あるいは、我々はどのような意味を内部、外部に与えるコミュニティ/組織であるべきなのかを常に問うことが重要なのではないでしょうか?

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