2023年を総括する
今年も激動でした
数年分のまとめを読み返してみたところ、上記文言が出てこなかった年はありませんでした、が、今年はクビになった年に次いでヤベー年でした。
ざっと1月からの出来事をまとめると、下記の通り。
01月:ゼネラルマネージャーに昇進
02月:ゼネラルマネージャーという職階そのものがなくなる
03月:鬱に近い状態へ(話聞いてくれたみんなありがとう)
04月:いろんな方から声がけいただく
05月:某事業立て直し&副業のお誘い(フラグ)
06月:副業先から突然の採用通知
07月:ドラムはじめました&退職届提出
08月:自動化の敗北を見る
09月:経営企画マネージャーとして転職
10月:電子ドラム購入
11月:目まぐるしく時がすぎる
12月:3部門のマネージャーを兼ねる
てっぺんから落ちるところまで落ちて、また戻るみたいな年でした。2023年に私が得たものは何だったでしょうか。
何かを信じることの危うさ
上記の歴史の中で一番面白そうなのが1月から3月ですよね。
ここで私が信じていたものは完膚なきまでに叩きのめされます。
例えば、
滅私奉公をすれば報われるといった考え方
体調が悪いときは支え合うもんだという考え方
筋肉がすべてを解決するという考え方
個人の能力が全てという考え方
などなど、他にもありますが…大体こんなようなものが、私の中から失われました。
私は基本的には、いわゆる「尽くすタイプ」だったりします。だいたいこういう事を言う人は男女問わず地雷なのですが、まあ、そのあたりも含めて当たっています。
尽くすタイプの考え方は「尽くした分だけ見返りがある(はずだ)」という価値観をもっています。よって、見返りをもらえなくなる・得られなくなるといった瞬間にメンヘラ化するわけです。これが地雷の所以です。
私の場合、早朝休日厭わずに働いたりスキルアップをしていたりしたのが、突然に職階がなくなって実質降格、そのタイミングで引いた咳が抜けないだけなのに「あの人機嫌悪そうで話しかけづらい」という評判を立てられ、社長にチクられ、病みまくりました。じゃあ筋肉や体力をつけようと思ったものの、気力がないときに筋トレなんかできるわけもないことを痛感するとともに、能力や貢献度がどれだけあろうと、組織や枠組みから外されるときは現場も経営層も容赦がないということをいっぺんに経験したわけですね。
そりゃあ地雷にもなります(笑
とはいえ、地雷のままでいる自分を許せません。社員として給料をもらっている以上、責任ある立場においてもらっている以上、少なくとも等価くらいの価値を出さないといけないというのもまた、私が信じているところです。
なので、その価値が出せないのなら「新たに創る」か「辞める」の2択です。私は前者を選びました。
未知との遭遇の楽しさ
私はこれまで「営業」をやったことがありません。
プログラマ、システムエンジニア、総務、社内システムエンジニア、情シスとバックオフィスを中心にキャリアを積んできたので、せいぜい営業に同行して見積もりを作ったりその場で何かを直したりくらいが関の山。
そんな自分が営業をやれと言われることになるとは、正直心外もいいところでした。これが左遷かwwwと大笑いしたことを覚えています。
ただまあ、そのフィールドが社内だろうが社外だろうがどっちでもいいのです。「これまでやったことがないこと」をやらなければ新たな価値創造なんかできませんからね。やってやんよと重い腰を上げてやってみたら…意外に水が合いました。営業するの楽しい。
ドキドキしながら電話営業し、実際に会いに行き、数字や資料を説明し、なんとか共同戦線を貼れないかを模索する ― これはかなりエキサイティングでした。
もちろん、こっちから持っていった資料を一顧だにされず、価格が高いだ、営業全然来ないじゃんなどと詰られたこともありましたが、それもそれで嬉しかったんですよ。だって、その問題を解決できればいいってだけでしょ?相手がヒントを自らくれるんだもの、攻略は楽ちんです。
それ以上に、自分もその商品は中学生の頃から知っているものでしたからね。愛着もあります。同時に、売れないとこれが仙台から失われてしまうという危機感もありました。ので、まあ、頑張りました。
結果、いろいろなお客様から声をかけてもらえるようにはなりました。数字につなげることはさほどできなかったものの、あの商品を売りに来るハゲメガネ(って自分でも言ってました)という認知はできてたらしく、売り場に行くだけで声をかけてくれるお店なんかもできました。
営業、すごく楽しい。
けれど、数字という成果はまだ出せていない。新たな価値を作れていない…やっぱりダメかもと意気消沈した頃、突然の副業依頼が来ます。
採用は突然に
副業の内容はまあ、簡単なもので。作るものはさほどなく、これまでのものを流用すれば OK じゃんというくらいのものでした。話をよーく聞くと、目的としては「人間は分析だけに時間を割きたい」ということのようだったので「これこれこうするとレポートまで自動化できますよ」という提案とともにスクリプトを納品をしました。
後日、お支払いのお打ち合わせしましょうということになり、会場について渡されたのが採用通知。あ、あれはテストだったんかーいと思いながら、しばらく悩みに悩みぬくことになるのでした。
地雷になっているかもしれない&新たな価値も創造できていないということはつまり、私はその時点で紛うことなき老害です。そんな状態で鬱々としているよりは、力を必要としてくれているところに行くほうが健康的で、前向きです。
2週間ほどどうしようか悩みました、が、結局は新天地へ行くことにしました。
結果、毎日楽しくやってます。
辞める前、辞めたあともいろいろ悶着はありましたけれど、ようやくこの年で、道を見つけたような気がします。
「道」ってなんだろう
突然「道」というキーワードが出てきました。
そのまま、人生の行き先とか、キャリアの経路という意味合いでもそうですし、どの道を選択するかという方法(Way)という意味でもそうです。
滅私奉公とかいうと、聞こえは良い(?)のですが、これって、文字通り「滅私」に繋がる道だなあということも見えました。昭和の時代ならいざしらず、令和の今はいうなれば「活私」のほうが、楽しく、楽に、効率よく生産的に生きていけるのではないかと感じています。
じゃあ、自分を活かすにはどうするか。
他人に活かしてもらえるような自分であることと、自分で自分のことを決断することの2点が大事なのかなと思います。
他人に活かしてもらえるような自分であること
年初からのアレな出来事が起こったとき、実に多くの人に支えてもらいました。妻はもちろん、情シス仲間、勉強会で出会った人たち、昔の仕事仲間、同級生…と自分でもびっくりするくらい、心配も叱咤もしてもらえました。
感謝しつつも、何故この人たちは心配してくれるのかな?と考えることがありました。牛乳拭いたまま洗われず、掃除用具箱の片隅に放置されたボロ雑巾みたいなおっさんにもう価値はないだろうに。
つまり、私起因ではなく、そんな人にも手を差し伸べてくれる方々の人間性の問題でしょう。そういう人は、ピンチに陥ったときも自然に周りから助けの手が伸びるのではないかと思います。
他人をサラリと助け、助けられることを厭わない、ゴキゲンな自分であり続けることが大事なんじゃないかなと思いました。
自分で自分の決断をすること
「社長がこう言ったから」「だれそれさんがこう思うだろうから」といった理由で何かを決断するというのは、何も決断をしていないに等しいですよね、当たり前ですが。
私は無意識にこれをやりがちです。そんな浅い理由で決断とか言ってた自分にゾッとします。
こうなんつうか、決断にもうちょっと自分を入れていきたいと思うのです。言うなれば「わがままに」― まるで、私はいつも正しい道を進んでいるよと言わんばかりに。
I'm on the right track.
1月3日で47歳になりますが、まあ、なんのかんの言ってこれまで生きてくることはできました。
これからもできるという保証はないのですが、過去の時時を切り取れば、まあ一応こう、私は正しいとおもわれる道を進んできて、今に至ります。
だって、こういうふうに私は生まれてきたし、時々の選択は最良のものだっただろうし、他の道なんてなかったし…
ので、2024年はどうするかというと、ざっくり、Born this way しようと思っています。
私は神様は信じませんが、自分自身の存在は信じざるを得ません。Cogito ergo sum ですからね。
つまりは、もうちょっと、自分のことを信じて、自分の頭の中できちんと判断を下すことをやろうという話です。もちろん、他のすべてを考慮しないということではありません。
他のパラメータを考慮しないならこう、だけど考慮するならここを変えていく。その判断はパラメータのせいではなく、パラメータを見た自分の判断である…といったようなことをやっていこうかなと思っています。
そうすると、また違った道が見えてくるかもしれませんし、他人に活かしてもらうことができるかもしれません。
そんな2024年にしたいなと思います。
もちろん、
独りよがりにならないよう、慎重に。
まわりにいてくれる友人を大切にしながら。
(了)
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