楽に生きたかった


皆さんどうも、ししむらです。2回目のnoteです。随分時間が経ってしまいましたね。前回は推しについて書きましたが、今回は私の病気について話していこうと思います。オタクのアカウントで完全に個人的な話するのはなぁ〜と思ったりもしましたが、そもそもウチのnoteだし⁉️ということで話を進めて行きたいと思います。

 

私は大学の春休みに精神科を受診し、今年の4月?だったか3月?だったか忘れたけどADHDという診断を受けました。なんで私が精神科を受診したのか端的にいうと、自分のことを好きになりたかったからです。

ここからは私がADHDなのでは?と自覚した経緯と病院に行くに至るまでの話をしていきます。


私は大学に入ってから一人暮らしを始めました。元々実家にいる時から私は片付けが苦手で部屋は散らかり放題で母から怒られていましたし、お恥ずかしい話ですが、忘れ物が度々あり、親にわがままを言って届けてもらったこともあったのですが、それは大学に入り一人暮らしを初めてからももちろん起きていました。私の部屋は荒れ放題、提出物はギリギリ、レポートの期限を間違えて覚えていて単位を落とす、皿洗いをしないので使える皿がない、皿洗いがめんどくさくてカビた食器をそのまま捨てる、教科書を毎回忘れる、鍵をほぼ毎日どこに置いたか忘れ、探していたら遅刻ギリギリになる等書き出せばキリがないし、今自分で書いていてドン引いてるのでここら辺で終わりにしますが、極度にだらしがなく、そして面倒くさがりでした。

正直なところ、私の部屋が散らかっていることも、忘れ物をすることもただ単に私がだらしがなくやる気が無いだけで本気を出せば出来ると思っていました。でもやろうとしても出来ませんでしたし、治せませんでした。そしてもうやろうとするのを放棄していました。

そうです、私は典型的なアホだったのです。「本気を出せばできる」。これは大体ができない人の言い訳に使われるかやる気がない人が使うわかりやすい言葉ですね。私のよく使う言葉です。

違和感を強く感じ始め、精神的に不安定になってきたのは一人暮らしを初めて半年くらい経った時でしょうか。きっかけは実習が始まったことでした。皿カビさせてる時点で気づけよって話なんですが。

実習はとにかく精神的にも肉体的にもキツく、帰ってくれば明日の朝提出する課題をしなければならず、ただでさえ生活が出来ていない私にとってはかなりオーバーワークでした。生活もままならなかったし、課題も毎回朝にやってギリギリで出していましたし、かなり適当な内容でした。睡眠時間もまともに取れず、実習先の真面目な話を聞く時にも寝たくないのに激しい眠気に襲われ寝てしまっていました。毎日毎日がとにかく私にとって苦痛でどうしたらいいかわかりませんでした。恐らくやることが多すぎて混乱状態だったんだと思います。

実習でそんな態度を取っていれば当然先生にも叱られました。私も怒られるのは当然で、そのくらいだらしがなかったと自覚しています。そして自身のだらしなさに1番腹が立っていたのは私でした。だからこそ先生から怒られた時にもものすごく落ち込み、精神的に不安定になっていきました。

精神的苦痛は実習が終わってからも続きました。実習に行ってから私はできない人間なんだと突きつけられ、そのことがずっと頭の中をぐるぐると渦巻いていました。そして何度も何度も部屋を綺麗に保つように、皿をこまめに洗うように、提出物を早く終わらせられるように努力しました。でも出来ませんでした。本当に努力したのかと言われれば自信がありませんが、ボロボロになった心と身体を精一杯振り絞って残りの力を使って頑張っていました。

そうしているうちに私は疲れ果ててしまいました。人が当たり前にできることが出来ない自分にも、出来ない自分に腹が立つのも、毎日毎日自分を責めて生きるのはとても辛いことでした。そしてもう限界になった私は頑張ることを諦めました。私には他の人の当たり前が出来ないんだとようやくここで気がついたのです。しかし、出来ないと気づいたところですぐに開き直れはしませんでした。できないものはできないけど、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけません。開き直ったところで何も解決はしていないのです。

自分は人より出来ないことが多いと気づいてからは更に気分が落ち込んでしまいました。なんだか長ーい長ーい終わりの見えないトンネルで這いつくばり、ただただ真っ暗なトンネルで反響した自分の情けない声が聞こえるだけでした。

話めちゃくちゃ暗いけどここから明るくなるから逃げないで!!!!!最後まで見て!!!!!必死かな?

こんな感じで暗く鬱々とした気分のまま過ごし、気づけば大学の後期は終わっており、そして大学は春休みに入りました。春休みに入ったことで私はかなり生活に余裕ができ、また、心にも余裕が出来ました。そして時間も沢山あったのでこの春休みは自分が人より出来ないことが多いということをじっくり考える機会になりました。

私にとって、自分を責めて生き続けるのは酷く悲しく苦しいことでした。これ以上自分で自分のことを傷つけたくなかったし、嫌いにもなりたくありませんでした。私だけは私の味方でいたいと思いました。

私の性格上、出来ないと開き直るということはかなり時間のかかることだと分かっていましたし、なら自分の嫌な所を直せば自分のこと好きになれるんじゃね?!?!ということで、出来ないのなら出来ないことを認めて何が足りないのか、何をどうしたらいいのか効率的に治したいと考えました。そして、ADHDのことは元から知っていましたし、薄々そうなのでは?と疑惑のようなものがずっとあったということあって、精神科を受診することを決めました🎉🥳

もちろん精神科を受診する前は病気ではなくただ私がだらしがないというだけだったら恥ずかしいなとか情けないなと悩んだりもしましたが、だらしがないだけならそのだらしがない自分と向き合って改善していきたいと思いました。そのくらい私は自分を変えたいと激しく思って、あるいは執着して、ADHDの検査を受けました。

冒頭に書いているように検査結果はADHDの傾向が強いということでした。この結果を聞いた時、ホッとしたというよりは合点がいったという感じでした。検査の数値と先生の説明を聞けば聞くほど、自分ができないと自覚していたことと数値が結びついて脳トレみたいな感じでスッキリして楽しかったです。(小学生の日記?)

私が今まで悩んでいたことも苦戦していたことも数値で表されると納得出来るし、何をどうしたらいいのか明確に分かるので検査を受けて良かったと心から思います。


ここまで読んでくれた人の中には私もADHDなんじゃないかと心配になった、あるいは元々ADHDの疑惑があって更に気になった人もいるかもしれません。そんな方達のためにこのnoteを書いたと言ったらさすがに過言ですが、そういう意味合いも込めて書いてはいますので、少しだけまだ話をさせてください。

ADHDかもと悩んでいるのなら、まずは軽い気持ちでもいいから検査をしてみるというのはいいと私は思います。私が検査をして良かったと思ったからどうしてもこういう伝え方になってしまいので、私の言葉は1意見として聞いてください。暗いトンネルの中を手探りで彷徨い、自分を責め続けてボロボロになるくらいなら、自分を好きになるために動いて欲しいなって思います。

私の場合は、自分を好きになるための手段がADHDの検査でした。自分に向き合うことは怖くて勇気がいることですし、かなり時間がかかります。私もそうでした。検査だけではなくて、他にも自分を好きになるための手段はあると思います。出来ないなら周りに助けを求めていいし、辛いのなら辛いって喚き散らかしてもいいし、何してたっていいから自分を好きでいることはやめないで欲しいです。勝手な私の押し付けがましい、お節介なお願いです。