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いつ髪切るか問題

暑くなってきた。今年の夏は暑いのだろうか。まだ六月なのでよく分からないが、夏は毎年なんだかんだ言って暑い。私は髪が、はちゃめちゃに長いのでいつかドネーションをしようと目論んでいる。そのいつか、いつ、切ろうか。その問題。

「きれいな髪、大事にしてな」と言った言葉が頭からはなれず、サイレント期間に入ってからも大切に伸ばしてきたのだ。この髪が、相手への執着の源になっている気がしてきている。こわい。かるく褒めてもらったくらいで。そんなわかりやすい性格ではなかったはずなのに。切りたくなったら切る!伸ばしたかったから伸ばす!以上。って感じだったのに。いままで全部、自分次第で決めてきたのに。

美容室でカラーするたび、写真に撮って髪色だけが分かる画像を送っていた去年の今頃、楽しかったけれど今考えるとあれは何だったんだ。プチサイレントを経て、相手に今後も会うことはないし会いたいという希望も持たない、お互いの了解をもって当時いちおうの結論が出たあと、しかし私はなんとかして今よりつながりを強めたくて仕方なくて、ゲリラ的に写真を送って相手の反応を伺っていた。長い髪はそのためのツールだった。

秋から冬はよかった。首周りがあったかい。しかし夏は、ドライヤーが熱すぎる。紫外線で傷みやすい。加えて、ヘアアイロンを買っていろいろウェーブをつけてみてくるんとカールした髪型を楽しむことも一通り遊び終えて、今、ちょっとそれも飽きてきたのだ。どうしよう。

きっと心のどこかで、そのうちサイレントが明けて向こうから連絡が来て、「え、髪まだ伸ばしてるん、まじかw」っていうやり取りをすることを夢見ている。非常にわかりやすい。けれどエゴというよりは、これは私にとっては壮大なボケみたいな感じ。と思いたい。いや・・エゴかやっぱりw

よく、失恋したから髪型を変える的な現象について理論が展開されるけれど私はどちらかと言えば自己研鑽派。髪型は自分が一番変化を感じるものだ。毎日触るし、手入れにかかる時間も手間も変わる。髪型を変えて、日常の動きを更新して、鏡の中にあたらしい自分を見ることで内面の感受性も変わってくるだろう。

ドライヤーをかけはじめるときの、さあ、やるぞという意気込みは毎晩、私にサイレント期間に突入したあの夜の絶望を思い出させる。

もう、二度と連絡がこないんだ。

鏡の中の濡れた長髪を、動きの鈍い眼球で見つめたあの時の暗い感情。もう、この髪をきれいと言ってくれる相手はいない。

大事に乾かす意味なんてある?

サイレント、ツインレイ、という言葉を知らなかった当時、

それでも漠然と、これから何かが始まる気がするという予感がドライヤーを持つ手をうごかしていた。

そして実際に始まった(変なことがいっぱいw)

テレパシーも、高次元の存在(関西弁)も、夢も、手相も、体調や体質の変化も、私にとっては冷蔵庫にあった食材で、

じゃあ、あれ作れるやん!作ろ!

という感じで本日の献立が決まったみたいにぴったりと答えが出たのだ。そして、まだサイレントが明ける時期ではないということも、自分がこれから解決していかなくてはいけないことも、最近はかなり確信をもって分かり始めている。

ここまで来ていたらもう、切るしかないのかなぁ、でも、壮大なボケが一つなくなるのは寂しい・・(しつこい

あのとき「その髪のなかに俺がいるんかも」なんて言わないでほしかったな。そんなこと言われたら、私だって大事にしてしまうやん。冷静に考えたらちょっと何言ってるか良くわからないけれど。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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