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幸せになる方法

もう50年くらい前になりますが、私は、ある女の子を好きになりました。どれくらい好きになったかというと、その子の為なら死んでもいいと真に思うくらいです。中学生の時からでしたから、10年くらい好きだったことになりますね。でも、その子には、ただの友達くらいにしか思いは伝えていませんでした。彼女も、それなりに私のことを思ってくれてはいたでしょうが、私が大学3年生の時に、彼女は別の人と結婚することになりました。それで、私は思いきって、ずっと死ぬほど好きだったって伝えたのです。私は、別れの挨拶のつもりで言ったまでで、あっさりサヨナラするつもりだったのですが、私の気持ちを聞いた彼女は大変びっくりしたようで、
「私のような者のことをそんなに思ってくれて。どうしたらいいんだろう」
と二日間寝ずに考えるほど悩ませてしまったのです。もちろん、彼女の結論は、
「いまさら、そんなこと言われても私には何もできない。いまさら迷惑です」
でした。、この後、私は長く苦しむことになりました。振られるのは当然ですし、彼女がどうのこうのって言うよりも、自分を責めました。なぜ、もっと早く言わなかったのだろうって。彼女は、こんな自分の為に二日間寝ずに悩んでくれる人だったのです。そんな人は、一生にひとり会えるかどうかの人だと思ったのです。散々悩み苦しんだあげく、私は自分を信じられなくなりました。自分を信じられなくなった人間ほ
ど、不幸な人間はいません。生きる希望もなく、投げやりに生きるしかなくなってしまったのですから。本心を言えば、あれから20年過ぎた現在でも私は自分を許してないのです。でも、最近は、いつまでもクヨクヨウジウジしている自分が愛おしく思えてきました。駄目なヤツ、意気地なし、バカなヤツ、そう自分自身のことを思いながら、自分を信じてやろうと思うようになりました。たぶん、こんなヤツでも、生まれてきた以上、何かの意味があるのでしょうから。こうして、やっと自分を信じられるようになった私は、いつの間にか、周囲の人を信じるようになりました。そんな私をいい人すぎると言う人もいますが…。もちろん、自分の周りの人は私の思うように
動きません。困らせてくれます。それでもいいんです。そんな困難があっても、「なんや、また、こんなことしたんか」とブツブツ言いながらタンタンと乗り越えて行けばいいんですから。騙された裏切られた腹立った…って思っても仕方ないのです。自分だって足りないんですから。足りないこと一杯、みんなセットにして、人を信じ切って生きようではありませんか。
人はね、信じるものが多ければ多いほど幸せになれる生き物なのですよ。

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