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『戦争と平和』を読む日日

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トルストイの『戦争と平和』を読んでいます。
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#コラム

消灯時間の進化のかたち

ハイデガーの『存在と時間』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)を読んでいる。 前書きがあって、前書きの一部のようなパラグラフが2つあって、ようやく「序論」へとやって来た。手続きが多いんだよなあ。 その目次は、こんなふう。 序論 存在の意味への問いの提示   第一章 存在の問いの必然性、構造、優位       第一節 存在への問いを明示的に反復することの必然性 横書きだとこんなふうになるけれど、じっさいの本は縦書きになっている。文字の大きさは「序論」がいちばん大きくて右に

もくろみと余韻

於 #002 三つの課題 壇蜜の日記が届く。ごきげんよう、壇蜜です。 壇蜜ダイアリー、だってさ。 いままでのタイトルのほうが良かったのにな。 2018/1/11 余韻という言葉がある。どうにも悩ましい一面もあれば、名残惜しさに名前をつけたような豊かな感情の流れを感じることもある。繋いだ手の余韻を感じることは、どこか恋路を妄想してしまうが、飲み物の余韻を感じることは感受性が高いことを示しているのだなと羨ましくもなる。(後略) ここまでで、一年分の「壇蜜」という言葉を使った

存在している

於 #001 存在への意味への問い ハイデガー『存在と時間』を読みはじめている。まえがきが終わったところで、おっと、いきなり会話文で来た。 「というのも、あなたがたはそうした事柄を、すなわちあなたがたが〈存在している〉ということを口にされるときに、そもそも何を言おうとしておられるのかを、とっくの昔から知っておられるのは明らかなのですが、一方でわたしたちは以前には知っていると思っていたのに、今ではまったく困惑しているのですから」 読みながら、わたしはこう呟く。 こっちは

忘月忘日、ハイデガー

相棒と、ハイデガーの『存在と時間』を並んで読むことになった。並んで、というのは、ふたりで、というくらいの意味である。男と男の〈ふたり読書会〉だ。 ハイデガーの『存在と時間』は、20世紀最大の哲学書と呼ばれている、らしい。読んだことないんでよく解らないし、読んだとしても他の哲学書を読んだことないんで、たぶんよく解らないままにはじまるのだろう。 あっちこっちで翻訳されているが、初心者らしく光文社古典新訳文庫版を読むことにした。あ、相棒が同じ文庫版を手にするかどうかは、別。