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まい すとーりー(18)視覚障がい者で高齢者の私がスマホに挑戦

霊友会法友文庫点字図書館 館長 岩上義則
『法友文庫だより』2019年冬号から


そろそろガラケーからスマホへ?

「年貢の納め時」という言葉がある。広辞苑によれば「ある物事に見切りを付けて観念すべき時」という意味。
 私は、ガラケーに固執し続けてきたが、最近、操作ボタンの押し具合がおかしくなってきたことから、そろそろ「年貢の納め時」かなと思うようになってきた。

 今や掲帯電話の9割近くがスマホユーザーだとか。スマホが生活・情報通信を独占する社会になったことを意味する数字であり、驚異的なことだと思う。視覚障がい者も「使いづらい」と悲鳴を上げながらも、かなりの人がスマホに移行している。

 その一方で、歩きスマホや車内でのスマホ使用など、ユーザーのマナーが社会問題化するくらいにヒンシュクをかっているのは残念なことだ。私は、スマホなど「どこ吹く風」、もっぱらガラケーに依存し続けている。

「自分には映像情報に用はない」「ゲームも興味無し」「ラジオは専用機でいい」「調べものや文書作成はパソコンで事足りる」
 このように、自分の情報環境に不便を感じないことが体制にそっぽを向いてきたとも言える。

 今使っているガラケーは、2006年の夏頃発売された「らくらくホン・プレミアム」というドコモの製品である。
 その頃は、日本点字図書館と日本ライトハウス情報文化センターが録音図書を配信する「ビブリオネット」を始めた時期であり、ネットで録音図書の読書ができるというので、それが最大の魅力になった。その上、「ワンセグテレビが視聴できる」「iモードでインターネット検索が可能」「メモや歩数計の機能がある」、さらに「写真も取れる」とあって、スマホに負けない優れものだとほれ込んで今日まで愛用してきた。

 ところが、最近少し不安を感じるようになっている。12年間働いてくれたらくらくホンに劣化の気配が見え始めたのである。万一、突然の故障に見舞われでもしたらそれこそ一大事。今や、掲帯無しでは1日たりとも過ごせない生活なのだから、故障への備えを十分にしておかねばならない。それに、何度も落したりぶつけたりしているのも不安に輪をかけている。これが、昨年9月に、スマホの稽古を始めるきっかけになった。

 おりしも、もう一つスマホに興味を持たせるニュースが届いた。映画館で上映される作品の中に、スマホで音声解説が聴けるUDCastというアプリがあるという情報である。
 私は特に映画が好きという分けではないので、映画館に出かけることは稀なのだが、テレビの映画やレンタルビデオにはいくらか興味がある。それらもUDCastでいけるというのだから、「これはいいぞ」と気持ちを高ぶらせている。


スマホの困難

 かくして、スマホの稽古を始めたが、スマホには幾つもの困難が待ち受けていた。

 第1の困難はタッチパネルの画面である。タッチパネルのやりにくさについてはすでに聞いていたが、ツルツルの画面に触れたときは、聞きしに勝る手ごわさを実感したものである。まるで、氷の上に立たされたようなおぼつかなさと不安におののいたものだ。画面に触れても、ただ無秩序に音声や効果音が聞こえるのみ。インストラクターに多大のやっかいをかける初日になってしまった。

 第2の困難はジェスチャー(基本操作)をきちんと行う困難である。視覚障がい者がスマホを操作するとき、その命綱は音声ガイドであるが、iPhoneやITouchメモなどにはVoiceOverという音声読み上げソフトが装備されている。パソコンで言うスクリーンリーダーである。これをonにしておきさえすれば、画面に触れただけではカーソルが動かない仕組みになっているから、触っただけでは単語や項目が動く心配はない。
 任意にこれを動かすには、目的のカーソルポイントを指で叩いたり(タップ)、払ったり(フリック)すべらせたりするジェスチャーを実行することになる。
 ところが、タップといっても、シングル・ダブル・トリプルがある上に、1本指だけで行うのではない。2本指・3本指・4本指のタップがあって、その違いを覚えて正しく実行しなければならない。3本指でトリプルタップしたつもりが、実際にはダブルタップになっていたり、2本指のタップだったりする失敗がしばしば起こる。そうなると、意図しないメニューが実行され、最悪の場合は、音声ガイドや画面が消えてしまうことにもなりかねない。

 第3の困難は文字入力である。仮名・ローマ字の、どのモードで入力するかはその人の好みでいいとしても、パソコンの方式とはかなり異なるので、その点でも戸惑いが大きい。私はガラケーの仮名入力に慣れていて、スピードも速いのでそれを選ぶが、なのに、似て非なるこの方式に未だに手を焼く始末である。入力の後は、単語を候補から選択して確定する作業に移るが、ここでももたつく場面が多い。理屈で分かっていても、理論と行動がなかなか一致しないのが現実で、今もってイライラしている毎日である。

 第4の困難は、いわゆる「カット&ペースト」の編集作業である。文書作成には「コピー」「貼り付け」「削除」「挿入」「転送」など、数々の操作を行うが、スマホでこれを実行するのは至難の業としか言いようがない。編集機能を覚えなければ真のスマホユーザーになれないというのが私の持論なので、今もってそれらが十分できない自分は、まだまだ未熟なレベルなのである。

 

スマホと上手に付き合うには

 スマホには、前述したように、少なくとも四つの困難がある。これを乗り越えてスマホに精通するには、たゆまぬ練習しかないというのが、つきなみな結論になる。
 現段階での希望の明りは、メニューや文字の配列を身体が覚えてくれるようになってきたことで、ほぼ正確にそこをタッチできるようになりつつあることだ。
 対応力には個人差があると思うが、現在スマホに難航している人も、決してあきらめる必要はない、というのが自分の体験から言えることである。

 

補助機能について

 iPhoneには心強いアシスタントがある。その名を「Siri(シリ)」と言う。スマホに向かって声で問いかければ、自然で明瞭なSiriの声が答えてくれる。例えば、外出先で食事をしたいとき、スマホにむかって「そば屋を探してほしい」と声をかけると、「3軒見つかりました。1軒目にしますか?」というふうに聞いてくる。「はい」と応えれば、画面に住所や行き方が表示され、画面に触れれば音声で読み上げてくれるし、電話もかけられる。

 私は柄にもなくシャイなのか、公衆の面前でスマホと会話する勇気がないので「外では絶対使わない」と突っ張っている。だが、便利なものを人にまで「止めるべきだ」などとは決して言わない。むしろ、「便利なものは使った方がいい」と言いたい。

 もう一つ有力な補助に、外付けのキーボードを接続する方法がある。これを使えば、タッチ画面に触れなくても操作が可能になる。私自身は使うつもりはないが、ガラケー感覚で使えて便利だと聞いている。

 いずれにせよ、スマホと上手に付き合うには、文字入力にしても、Siriやキーボードを使うにしても、根気強い練習が必要なことは間違いない。

 私は、依然としてガラケーから抜け出せていないが、電話やメールの無い生活は考えられない。ケータイを置き忘れてうろたえた経験は1度や2度ではない。それほど必須なアイテムになっているモバイル社会を生きるには、嫌でもおっくうでも、ICTの進化についていく覚悟をするしかない。

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