見出し画像

まい すとーりー(17)駅ホームからの転落事故で亡くなった視覚障がい者に思いを馳せて

霊友会法友文庫点字図書館 館長 岩上義則
『法友文庫だより』2018年夏号から


南條あずささんの遺稿集

 2014年に千葉県内の駅ホームから落ちて亡くなった南條あずさ(なんじょう あずさ)さんの遺稿集を読んだ。タイトルは『18歳のあずさ』。あずささんの母上・横井とし子様が、娘が亡くなって48日目に発見した高校卒業時のレポート、エッセイ、それに遺族の思いをまとめて株式会社文芸社から発行した図書である。

 あずささんは、先天性の網膜色素変性症の弱視。地元の盲学校で3年生まで学んだ後、近くの普通小学校に転校して、中学・高校と統合教育を受けた。卒業後は三菱銀行に電話交換手として就職し、友達も大勢できて良好な人間関係も築いて楽過ごしていたいた。24歳で結婚したのを機に退職。2014年5月14日にホームからの転落事故で亡くなった。享年50。

  私がこの本を読んだ日は5月14日。つまり、あずささんの命日だ。あまりの偶然に驚き、点字で126ページの小冊子を、2時間余で読み切ってしまった。そして、何としたことか、私はすぐに母上のとし子様に電話をしてしまったのである。
 気持ちを高ぶらせた理由は、とし子様のコメントの中に「娘はなぜ通勤・通学で慣れているはずの駅なのに転落のミスをしてしまったのか」という疑問と無念さが書かれているので、私なりの推測と経験を聞いていただきたくなったからである。


駅のホームは欄干の無い橋 

 とし子様は、終始冷静に応対してくださった。あずささんの目のこと、成長時の様子、中学生の頃から障がい者福祉に関心を持っていたことなど、こもごもを話してくださった。


 一番の疑問とされている「娘がなぜ慣れた駅で転落したのか」の点について、私は私見を述べる前に次の点を尋ねた。

「お母様 事故の当日あずささんは、いつもと違う駅から乗車されたのではありませんか?」

 すると、とし子様は

「そう言えばあの日は、新しく入ったコーラス部から帰る初めての日だったから、たしかに違う駅から乗ってますね」

 そこで私はこう言ったものである。

視覚障がい者には慣れているから安心という駅は無いんです。
 
階段やホームの広さ、ベンチの位置など、駅の構造や様子をどんなによく把握していても、人の動きや立ち位置、込み具合などは刻一刻変化しています。視覚障がい者は、それを知ることが難しいので、ホームのことを欄干の無い橋に例えて恐れているのです。
 特に、いつもと異なる駅から、車両番号も確認できないまま乗車したとしたら、慣れている最寄り駅で下車した場合でも、どの辺に降りたのか、階段やエスカレーターがどっちの方向なのかがかいもく見当がつかなくなってしまうものなのです」

 そう言った後、私自身も慣れた駅での転落経験があり、理由はやはりそれだったことを付け加えた。これで転落の真相が明らかになるわけではないが、少なくとも事故の原因となり得る事例の一つを分かっていただけたことにより、なぞに迫るヒントになればと思っている。

飼い猫の奇妙な行動が遺稿集のきっかけに

  本来は、この本の内容も詳しく紹介しなければならないのだろうが、それは蔵書案内かどこかに譲るとして、ここではとし子様が語った飼い猫ハルの奇妙な行動と夫・南條文伸(なんじょう ふみのぶ)さんの妻への愛について筆を進めることにする。

 飼い猫のハルについては、もし奇妙な行動がなかったら『18歳のあずさ』が世に出ることがなかったかも知れないとさえ言えるだろう。
 あずささんが事故死して48日目の朝のことを、とし子様は次のように書いている。

「いつものように雨戸を開けようと近づくと、足元に何冊かの文集らしきものが落ちていました。猫のハルが、本棚に飛び乗って落したものと思われ、手に取って見ると「社会福祉について」の高校卒業時のレポートでした。そういえば、あずさが亡くなって以来、ハルの行動には異常なところがあり、これも何かの知らせかなと思いました」

『18歳のあずさ 先天性網膜色素変性症を乗り越えて』から

 ハルの異常な行動とはどんなものなのかをお尋ねしたところ、もともとのハルはおとなしく、物静かな猫なのだという。
 そのハルがあずささんの死以来、落ち着かない動きを見せるようになり、ときには、高い所へ飛び乗ったり飛び降りたりするようになったのだそうである。それがついに、家族の誰もが存在を知らなかったあずささんのレポートを本棚から落すという行動につながったという話なのである。
 それだけではない。とし子様が悲しんで泣いていたりすると、ハルは身体をすり寄せてきて一緒に「ニャーニャー」鳴くのだという。また、同じ敷地内にある南條さんご夫妻の家の玄関に近づいたりすると、「そこを開けてほしい」というように、鳴きながら立ち止まって戸を開けようとするしぐさを見せる。洗濯物の中に文伸さんのものを見つけると、それを爪で引き出そうとしたり、鼻を付けて匂いをかぐような行動も見せるのだそうである。
 ハルはとしこ様のそばを一時も離れない。寝るときも同じベッド、座るときも椅子のそば。そんな猫になったらしい。

 

夫・文伸さんの思い

  あずささんの結婚生活は幸せそのものだった。外国へ出かけることも多く、フラメンコや歌が大好きだった。そんな生活を温かくサポートしたのが夫の南條文伸さんだった。

 文伸さんの悲しみは察するに余りある。ここに文伸さんの寄稿文を引用して悲しみの深さを偲ぶことにする。

 あずさへ 妻と暮らした日々に感謝です
                        南條文伸
 音楽を愛し動物たちを慈しみ 心の優しさが笑顔ににじみ出た妻でした
 目のハンディキャップを少しも感じさせない努力家で いつも前向きにチャレンジを続けてきました
 英語検定は準1級で スペイン語やイタリア語も学ぶ姿は妻の頑張りを物語っています
 フラメンコに心引かれ 踊りや歌のレッスンに通ったり二人でスペインなどを訪れたり輝く思い出をつむぐこともでき 共にあゆんだ25年間は温かく穏やかで 小さな幸せが溢れた日々でした
 平成26年5月14日 妻・南條あずさは天命いかんともならず 50年の生涯を閉じ悠久の旅路に就きました
 結婚するとき「おれ おまえの目になるから」と誓った気持ちはいつまでも変わらず今日まで手をたずさえてきました
 早過ぎる旅立ちに戸惑いは隠せませんが いつかまた会えると信じ 在りし日の思い出を時間をかけて偲んでいきたいと思います

『18歳のあずさ 先天性網膜色素変性症を乗り越えて』から

 

 あずささんは、欄干の無い橋を渡り切れない人生だった。
 毎日のように恐怖の橋を渡り続ける視覚障がい者は多い。落ちれば落命の危機に見舞われる谷底。何としても橋には欄干を付けねばならない。
 ホームドアは視覚障がい者のためだけではない。健常者であっても、体調不良や人との接触で大勢が転落事故に遭遇している。ホームドアは、鉄道を利用する国民全体の命を守るためにも必須の欄干なのである。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?