見出し画像

慶州に行ってきた

1.

新羅の千年古都、慶州を訪ねたのは今回で3回だと思われる。中学時代の修学旅行の時は全く覚えていないため(慶州は日本の京都ポジション)、大学時代のフィルードワークできた時が事実上初めてであった。何と10年前の話である。特に黄龍寺址で、天馬塚発掘に参加していた先生の説明や復元事業に関する見解を聞いた覚えがある。

黄龍寺9層木塔の模型


2.
10年ぶりも慶州であるが、「10年では川と山も変わる」という韓国の諺のように、色々変わっていた。「ファンリダン(皇理団)街」と呼ばれる街はもちろん、雁鴨池は「東宮と月池」という名前に変わっていた。黄龍寺址には、整備/復元事業という目的から立ち入り禁止のしるし標識があった。その歴史文化館では、壮大な復元計画が展示されていた。9層木塔(80m)の模型を立てていて、すごい勢いであった。しかし以前先生に聞いた話のように、址そのものが持つ歴史的意義が大きいため、そのままにするのが良いのではいかと思った。実際ユネスコの立場もそうである。


3.
しかし、世の中常識であるが、人気を集めて人々が集まると、商業的価値が優先される。黄龍寺だけではなく、東宮なども復元事業があった。歴史学徒としては、やはり復元には反対する。しかし整備事業はよろしいものではないかと思ってしまう。とくに、「ファンリダン街」はいまも新しい建物が建てられており、日本の京都や伊勢神宮前のおかけ横丁を思い出すようにきれい場所であった。
資本の論理はいつも怖い。私たちが信じる歴史的価値が容易くそして早く壊れているのか。次に訪れる慶州も姿はどのようなものであるだろうか。

ファンリダン街のカフェ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?