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交通事故の日①

 2020年12月26日は土曜日でとても天気がよかった。11月末から12月上旬に海外出張して帰国後の2週間は自己隔離を兼ねて在宅勤務していた。在宅勤務明けの最初の週末、やっと自由にどこにでも出かけられる。

 定番サイクリングルートで行く。帰り道、田んぼの間を突っ切る自転車道を走っていくと、カントリーエレベーターのあるところで、自転車道と一般道が交差する。一般道は定規で引いたようにどこまでも真っ直ぐ伸びている。景色も単調で車はたいてい飛ばしているが、見通しがよく遠くまで見えるので、ここが危険だと思ったことはなかった。

 右から黒い自動車が通り過ぎる。左側にはずっと遠くに白っぽい乗用車が小さく見える、これなら余裕だ。横断歩道にゆっくり走り出た。

 横断歩道を渡り切る前に、強い衝撃が来て目の前が真っ暗になった。最初の衝撃の後さらに衝撃があって全身に痛みが走った。どうしたんだろう。何が起こった?横断歩道の向こうの車止めかフェンスに突っ込んだのだろうか、でもそんなことあるだろうか?どん、どん、どん…自分がどこにいるのかわらない。
 濡れ落ち葉に覆われた山道を下っていて、滑って転倒したことがあって、その時の感じに似ているけれど、衝撃も痛みも比べ物にならない。

 視界が戻った時には私は道路に落ちていた。カントリーエレベーターが見えた。脚が痛い、いろんなところが痛い、体が動かない。ようやく、自動車にひかれたらしいと気がついた。でもあの車が横断歩道まで来られるはずがない。あんなに遠くにいたのに。

 少しでも動こうとすると我慢できないほど痛む。かろうじて顔だけ少し動かしてあたりを見回しても誰もいない…私はひき逃げされたのか。自分じゃ動けない。誰か通り掛かってくれないかと待っていたが、誰もくる気配がない。そういう場所なのだ。バックパックのポケットには携帯が入っているが、体が思うように動かない。携帯を取り出すこともできなかった。心細くなってきた。携帯が取れれば自分で救急車呼べるのに。

 そのままどのぐらい待っていたのかわからないが、ようやく人が近づいてきた。体を起こすことができないので姿は見えなかったが、男性の声がして、どこに住んでいるとか家族に連絡取れるかとか少し言葉を話した。男性の他に女性がいた。男性が女性に救急車を呼んで警察に連絡するように指図していたので、車を運転していたのは女性で、一緒にいる男性は同乗者なのだろう。女性の声はほとんど聞こえなかったが、言われたままに電話をしているらしい。時々男性が女性に、「H条のカントリーエレベーターのそばだ」とか「5、60キロぐらい」とか声をかけており、女性はそれをそのまま電話口で繰り返していたようだった。男性はぞんざいな口の聞き方で、女性の夫か息子らしい。

 その時は、置き去りにされたわけではなかったことにとにかくホッとした。

 男性に頼んで携帯電話を取ってもらい、夫に電話した。ひどく驚いて、すぐ行くよと言っていたものの、夫と私はそれぞれの職場の都合で離れて住んでいるので、早くても今日の夜だ。

 救急車を待つ間、通りがかった女性サイクリストが自転車を止めて私のところに近寄ってきた。倒れている私のそばにしゃがんで私と同じ高さで顔を覗き込んで「大丈夫ですか」と声をかけてきた。
 関係ない人でもこんなに心配してくれるのに、加害者といえば、道の真ん中に突っ立って何をするでもなかった。大丈夫かとも、すみませんとも言わないし、私に近寄ろうとしない。ベージュのズボンを履いた脚だけが見えた。

 救急車が来た。体中痛くてヘルメットもバックパックも脱ぐことができず、ベルト部分を切って外してもらった。担架に乗せられる時、救急車の寝台に移される時、たまらなく痛かった。救急車に警官が入って来て、話をした。自転車は警察署で預かると説明され、持ち物は全部あるかと聞かれたので、自転車のサドルバッグを外して持ってきてくれるようにお願いした。メガネも道に落ちていたそうで、ケースに入れて他の荷物と一緒にしてくれた。担当警官の名前が入った連絡用のカードを受け取った。

 救急車が走り出すと痛い。救急隊員が胴を固定して左足を持ち上げて吊ってくれたら少し楽になった。私は寝台で天井しか見ることができないので、お世話になってる救急隊員の姿を見ることもできないし、どこを走っているかも全くわからなかったが、車が曲がるたびに脚が痛んだ。

 T大学の附属病院には断られたが、T記念病院に受け入れてもらえることになった。事故の場所から近いところだ。サイクリングの帰りに、T記念病院のそばにあるパン屋さんでお昼を買って帰る時は、この病院の横を通るので、大きい病院だなあと見上げていたものだが、まさか自分がそこに救急車で運び込まれるとは、なんとまあ。

 病院の救急センターについて救急車から降ろされる時、隊員がやんわりと「脚の骨が折れてるかもしれないよ、歯も3本ぐらい。」その声があんまり優しくて、哀しくなって泣きそうになった。そうか折れてるんだ、隊員はもちろん折れてるってわかってるけど、あえて「かも」って言ってくれてるんだろうな。こんなに痛いんだから折れてるよね。
 前歯の折れたところはざらざらで、舌で触ると痛いし、細かいじゃりじゃりした破片がくっついてくる。救急隊員の人はとても親切だったけど、顔も見られなかったし、この後お礼を言うこともできないのが哀しかった。ありがとうって今でも思ってる。(続く)

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