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存在時間という究極的な結果

生物は進化する。しかし、生物には目的がない。ではなぜ進化するのか?だれが進化を司っているのか?現代生物学においては、その答えは"遺伝子"である。生物は生殖細胞を作る時に、2本1組の染色体がランダムな領域を交換する交叉という機能を持っている。また、異なる個体の生殖細胞が合体することで、異なる2本の染色体が1組の遺伝子となる。生物は何世代にもわたって、遺伝情報を少しずつぐちゃぐちゃにしていく。遺伝情報は個体の体の構造やホルモンの機能などを規定し、人体の設計図のような役割を果たす。異なる遺伝情報を持った個体は、それぞれ少しずつ体の性質が異なる。そして、生き残った個体が持っている遺伝情報が子孫に伝わっていく。それこそが進化なのである。キリンは首を伸ばそうと頑張ったのではなく、首の長いキリンが生き残ったのである。

生物種は進化を通して、より長く存在するようになる。より長く存在するというのは生物種が進化した"結果"であり、生物の"意思"ではない。生き残った個体の遺伝子だけが子孫に伝わる、その過程でどんどん生き残りやすい遺伝子になっていく、という単純な因果関係である。

生物種にとっての究極的な結果は、より長く存在する種になることである。それは必ずしも、それぞれの個体がより長く生きるということを意味しない。種の中にはメスが子供を産んだ後に生き絶えるものがある。子供に自分の体を食べさせる種もある。ある意味では究極の利他性とも言える。

人類は子供を育てる時に祖父母が重要な役割を果たす。祖父母とは子供にとっての記憶装置である。子供は自分が生きていない時代の話を聞くことで、時代の大局観を養い、直近の出来事を過大評価するのを抑制される。だから、人類の場合は子供を産んだ後に母体はすぐに生き絶えたりしない。子供に記憶を伝える役割があるからだ。人類は、二足歩行によって両手で道具を扱い、大きな脳で考える、という性質をもった種である。その人類にとっては、過去の経験による知恵を子孫に伝えるというのがより長く生きるために重要な機能なのである。

生物種によって生き方は異なるが、どれにも共通しているのは、より長く生きるようになる、という究極的な結果である。多様性も、社会も、会社も、はたまた音楽の流行り廃りも、基本的にはその原則に従う。生き残ったモノだけが存在するし、より長く存在するように変化したものがより存在するという因果関係は、生物種に限ったことではないからである。

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