見出し画像

計画性と刹那性

多くの組織は、構成員による協力によって成り立っている。構成員は汎用化されている方が望ましい。なぜなら、部品のように取っ替え引っ替えできて便利だからだ。そういった汎用化を通して、組織は計画を立てることができる。

そういうわけで、世の中では汎用化、計画化という一つの強力な力学が働いている。職場や学校では、汎用化が求められる。

しかし一方で、汎用化しなくても価値を生み出している人たちもいる。その人たちは、一般的にはアーティストと呼ばれる。アーティストは汎用化と全く逆の方向の力を働かせている。

この単純な二項対立の構図は個人だけでなく、もっと大きな枠組みでも見られる。計画化した事業を行う会社は安定している。一方、アーティスト的な事業を行う会社は刹那的である。一つのイベントに無駄に見えるくらい多大な時間をかけたりする。

汎用的な価値もあれば、刹那的な価値もあるということだ。前者は積み上げ方式で生み出すことができ、予見性も高い。後者はどんなに時間をかけても生み出せないこともあるし、いきなり生み出せることもある。つまり、予見性が低い。

私が今まで生きてきた中で出会ってきた価値観の多くが汎用性を志向するものだった。便利であるとか、他人に説明できるとか、他人にも便宜があるとか、多くの人に愛されているとか、多くの人に使われているとか、そういう性質を持つものが価値であるという価値観だ。私も、そういう価値観だったと思う。

しかし、この世界は常に刹那的である。どれだけ特定の分野を勉強したとしても、それが資本市場で価値になるとは限らない。どれだけ目標に向けて頑張っとしても、自分にはコントロールできないようなちょっとした出来事で現実が決まってしまうことも多い。

この歳になって気づいたことは、刹那性とどう向き合うか、というのが豊かな人生を生きる上で非常に大事な姿勢であるということだ。それは、偶発性を受け入れるか排除するかという意思決定だったり、計画と無関係にこの瞬間に集中するという姿勢だったりする。

刹那性が価値に与える影響は無視できないほど大きい。勉強している最中にゲームがしたくなったり、楽器を弾きたくなったりする。自分の中で刹那性と計画性が葛藤するわけである。楽器が学習能力に与える良い影響や、ゲームが集中力を鍛えるといったこともある。単純に考えるとテスト前は勉強した方が良いと思われるが、長期的に見ればゲームしたり楽器を弾いたりする方が良いかもしれない。

マックス・ウェーバーは形式合理性にしたがって政治を進める官僚制は価値観の対立や討議を失い、政治の貧困をもたらすと言った。計画化による合理性は、少なくとも政治の世界ではうまくいかないことが多い。

結論、計画性を超えた意思決定をすることが、あらゆる豊かさをもたらすのではないかと思う。そこには、計画性に加えて、それとは矛盾する刹那性、そして素直な自分が常に存在するのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?