インサイダーゲーム2


 第一章

 1

 空調の音だけが響く無機質な空間に年齢も風貌も異なる五人の男女が横たわっている。見るともなく見れば死んでいるようにも見えるが、一人、また一人と目を覚まし身体を起こす。
「う……ここは?」
 スーツを着た銀縁眼鏡の男が呟く。
「なんだ、子供までいるじゃねえか」
 西洋風の顔立ちで筋肉質の男は言葉を吐き捨てる。
「ねぇ、大丈夫?」
 まだ横になっている少年に、垢抜けた若い女性が声を掛けている。少年は目を開けたがまだぼんやりとしている。
 色素の薄い栗色の髪の青年が壁際からゆっくりと立ち上がり、部屋の様子を確かめ始めた。その動きに釣られ、他の男二人も部屋そのものに目を向ける。まだ互いに敵か味方かもわからない彼らは、コミュニケーションをせずに情報収集を優先することにしたようだった。
 部屋の広さはおよそ十メートル四方程度。完全な正方形ではないようだが、中にいる人間からはどちらかが極端に長いようには見えない。出入り口は一つ、鋼鉄製の重苦しい引き戸がある。筋肉質の男がドアノブを力任せに引いてみるが全く動かない。扉の横には壁から突き出た電子式のロック錠にジェラルミンケースが引っ掛かっている。扉もケースのロック錠も鍵穴のようなものはなく、コンピュータ制御で開閉が行われるようだ。
 扉の反対側の壁には大型のモニターが掛けられていて、眼鏡の男がそれを調べている。百インチ程のそのモニターは真っ黒な画面だが電源が入っているようで、極近くで覗けば微かなバックライトの明かりを感じることができる。
 部屋の中央には五つの机と椅子があり、机の上にはJIS配列のキーボードと小型のモニターが配されている。栗色の髪の青年が机と椅子を一つ一つゆっくりと見て回っている。机には引き出しが一つ付いていて、開けると各机に封筒が一通入っている。
「ジョー、っていうんだね」
 栗色の髪の青年が、扉のそばにいる筋肉質の男に声を掛けた。
 何で俺の名前を、と言い振り返るジョーに青年は手紙をヒナヒナと振って見せた。
「みんなの分がそれぞれ入っているみたいだ」
 そう言ってジョーに封筒を渡し、モニターに向かって左端の席を指差す。青年はその一つ隣の机に腰掛けた。
 青年のその言葉を合図に、眼鏡の男は自分の席を探し、腰掛ける。少年を気遣っていた女性も心配そうにしながらそれに続いた。幸い女性の席は一番右端で、少年が蹲っている部屋の端の傍だった。
「で、俺だけ名前バレてんのも腹立つし、お前とかあんたとかでずっと呼ぶのも面倒だから、自己紹介しようか。聞いての通り、俺はジョーだ」
 ジョーがそう切り出すと一番右端の席で女性が反応する。
「随分日本語が上手いのね」
「俺がいつ外国人だって言った? 生まれた時から日本国籍だよ」
 短く刈り上げた癖毛と割れた顎は黄色人種にはみられにくい特徴ではあったが、瞳は黒く深かった。恐らくハーフなのだろうと女性は思ったが、自身の出自について憶測で冷やかされた経験が何度もあったであろうジョーがこれ以上語ることはないだろうと、ごめんなさいと素直に謝り、エリと名乗った。
「私は横井だ。早く済ませてこの手紙の中身を確認したいんだが」
 スーツの男も開口する。眼鏡の奥の切長の目と薄い唇、整った顔立ちが口調と相まって神経質な印象をより際立たせた。
「じゃああの男の子はまだ慣れるのに時間が掛かりそうだし、とりあえず僕で最後で。アキと言います」
 栗色の髪の青年がそう言って自己紹介を締める。横井はその言葉を聞くと真っ先に封筒の端を千切り始めた。他の面々もそれに続く。中には、封筒と同じやや黄味がかったオフホワイトの便箋があり、タイプされた文字でこう綴られていた。

"ルール このゲームの目的は、隠されたお題が何かを当てることです。あなた達プレイヤーはお題を知っている進行役のGM(ゲームマスター)に質問をすることができます。但し、その質問は諾否疑問文、つまりはいかいいえで答えられるものでなくてはなりません。GMはその質問に対し、嘘をつかず回答します。そして、プレイヤーの中には実はお題を知っていながら知らないふりをして質問をしているインサイダーが一人隠れています。……"

「これは……インサイダーゲームか」
 横井が冒頭のルールを読み、声を上げる。インサイダーゲームとは、「汝は人狼なりや?」いわゆる人狼ゲームに端を発する正体秘匿ゲームの一種で二〇一六年に株式会社オインクゲームズが発売した。人狼ゲームでは議論と投票によって、人間側は人狼の嘘を暴こうとするが、派生系ゲームでは別の要素を付帯させることによって嘘と真実の衝突地点を意図的に生じさせることが多い。近年では場所や時間などを利用したアリバイ型や対戦要素を強めたアクション型など無数に枝分かれしているが、インサイダーゲームはその中でも問題解決型と言われるゲームの一種で比較的シンプルなゲームになっている。質問によって答えが何かを類推していくのだが、答えを知っている者と全く知らない者では質問に微妙な差異が生まれる。正解が出た後にその差異を読み取り、「インサイダー」が誰かを見つけるのがゲームの目的である。正体秘匿ゲームが苦手な人でもお題を見つけるパートでは活躍できることもあり、カジュアルな雰囲気が魅力だ。
 それぞれがインサイダーゲームについて考えを巡らせていると、先を読み進めていたジョーの発言で皆の顔に疑問符が浮かぶ。
「今回はインサイダーはいないってなってるぞ。どういう意味だ」
 エリが続きを読み上げる。

"但し、今回はインサイダーを既に捕らえてあります。皆様はお題を見つけることだけに集中してください。"

 アキとジョーは顔を見合わせ、なんとなくそちらに目を向けないようにしていた部屋の左隅に目を向ける。黒い布を被せられた箱型のシルエット。その異様な質感に部屋の様子を確かめていた間も皆、他の人が調べてくれないかと後回しにしていた。二人は意を決し、ジョーが先に立ちアキがそれに続く。覆いとなっている布の両端を二人で掴むとゆっくりとそれを床へと落としていった。
 うわっ――とジョーは小さく喫驚の声を上げたが、努めて冷静に中を観察する。
「おいおいおいおい、冗談じゃない。なんだそれは」
 遠見に目を凝らしながら横井が大声になる。その声に反応して、顔を上げかけた少年の元にエリが駆け寄り見ちゃだめ、と顔を覆う。
「死んで……るのか?」
 アキがジョーに尋ねる。
「いや、どうやら生きている」
 箱は透明の強化プラスチックで出来ていて、中には人が仰臥位に押し込まれていた。肉付きや骨格から恐らく男性に見えるが本当のところはわからない。目には布製の目隠しが、耳は詰め物とテープで塞がれ、猿轡を噛まされている。視覚も聴覚もない中で既に呻き声で助けを呼ぶことも諦めた様子だ。
 ジョーが拘束具を外そうと頭部を掴み、漸く自分以外の人間の存在に気づいたその人物は、嗄れた呻きで喉を鳴らした。ジョーは思わず手を離す。支えのなくなった頭部が箱の床面に下がると、チャペと水音が鳴った。
 アキはその音を聞き、仄暗い箱の底に目を凝らす。光が僅かながらに揺らめき、五センチ程水が張ってあるのがわかる。アメリカ中央情報局がグアンタナモ収容所でも行っていた拷問法の一種だ。閉鎖空間の床面に張られた水は、少しずつ確実に対象者の体温を奪っていく。水の量を増やせば座位や臥位すらも許さず、睡眠をとることもできない。今回は体表面の四〇パーセント近くが水に触れているので十〜十五時間も経てば低体温症で意識を失い、そのまま放置すれば二日も持たずに命を落とすだろう。アキはこれを施した人間の醜悪さに眉根を寄せる。
 身体の下部に回っていたジョーがアキに声を掛ける。
「おい、これ見てみろよ」
 水に使った足首には金属製のリングが両足を繋ぎ、固定されていた。アキは自身の足首と手首に目をやる。同型のリングが四つ付いている。ジョーも自身に穿たれた四つのリングを見ている。皆目を覚ました時に真っ先に気付いた異変だったが、それについて口に出したり調べたりすることはなかった。それの存在を認めてしまえば四肢の自由が常に他人の手に委ねられていることを認めることと同義であり、それを無意識に避けていたのだった。
 携帯電話の振動音よりも小さな呻き声をあげているその人物の両手足の拘束は箱の内側に鎖で繋がれていて、ジョーとアキは仕方なく彼の救出を諦めた。同じ部屋で今も尚死に向かっている人間を残しながらゲームに興じなければならないのは何とも後味の悪いものだった。アキは少しの罪悪感を覚えながらも少年のことを考え、箱の側面を再び布で覆った。
「ねぇ、あの人どうするの? あのまま置いておくの?」
 エリは席に戻ってくる二人に問い掛ける。ジョーは質問を無視し、手紙の続きを読み始めた。
「今はどうすることもできない。とにかく僕らの状況を理解しないと」
 エリはまだ何か言いたそうだったが、それを堪えた。蹲っていた少年は恐怖の色を滲ませながらも少し気持ちを落ち着かせてきたようで、エリはとりあえず自分の隣の席へと促した。少年の机の引き出しから手紙を取り出す。
「ケンタくんって言うのね、年齢は?」
 ケンタは九歳、と小さく答える。
「そう、これからこの部屋からどうやって出たらいいか皆で調べるからちょっと待っててね」
 エリはそう告げると自分の席に戻り、手紙を手に取った。

"……ここからは、基本ルールに付随するこのゲームにおけるローカルルールとも言えるものです。
 プレイヤーが質問をする際の順序はありません。但し、自分が質問をすると他に二人質問をするまで再度質問をすることはできません。
 質問の入力は各自の机に設置された入力装置から行なってください。
 質問とその回答は壁面に設置されたモニターに表示されます。回答の種類は、はい、一部はい、いいえ、わからないの四種です。
 制限時間はありません。
 この部屋の扉はゲームで正解が入力されると開きます。同時に賞金の入ったケースのロックも外れます。 扉の開いている時間は五分間です。その時間を除いてこの部屋の扉が開くことはありません。
 正解しなかった他の人間は扉が開いている間拘束具が作動します。
 ゲームの途中でこの部屋で死亡者が出た場合、全員失格となりそれ以降どのようなことがあっても扉が開くことはありません。
 これを読み終えた後、いつでも入力装置から質問を送信してゲームをスタートすることができます。
 以上 "

「なんとなくわかっていたことだが、これで私達は脱出に向かう協力者ではなく、金と命を賭けた敵対者となったようだね」
 読み終えた横井が告げる。ジョーがやや明るい声で応える。
「まあそうは言ってもインサイダーがいないってのは大きい。ゲーム内で無駄な敵対構造はないし嘘をつく奴がいないんだからな」
 ゲームの範囲の外で嘘を吐いたり、罠にかけたりということの方がよっぽど厄介なんだが……と横井は思ったが敢えて口には出さなかった。
 アキは思案顔でルールに何度も目を通している。エリは手紙を引き出しに戻すとケンタに目を向ける。今まで気づかなかったがケンタは小さなバックパックを肩から掛けていた。何か使えるものがあるかもしれないと声を掛けようとした時、

 質量はありますか  いいえ

 壁面の大型モニターに青い文字で質問が、少し間を置いていいえ、と答えが表示された。電子音が小さくピッピとなり始めゲームのはじまりを告げる。
「ちょっと、誰よ。勝手に始めないでよね」
 エリが咎めると部屋の反対側からジョーが笑いながら言った。
「何でもやってみないことにはわかんないからな。序盤はまだ協力していける段階だろ。仲良くやっていこうや」
「同感だ、あれこれ悩むのはゲームをしながらでもできる」
 横井が同調する。
 こうして、彼らは脱出を賭けたゲームに興じることとなった。


 2

 一つ目の質問、「質量はありますか」。まず対象が物質性を伴うものなのか形而上学的なものなのかを分ける意味で開幕にする質問としてはスタンダードなものだ。その質問をしたジョーはもちろん、ケンタを除いて他の三人もこの質問を見て少しの揺らぎもなかった点において、それぞれに他のプレイヤーがある程度インサイダーゲームをやり込んでいることが見てとれた。尤も、今回の場合は既にインサイダーを排除してあるという点においてはいわゆる「アキネイターゲーム」などと呼ばれることもある単なるお題当てだ。 順番は決まっていないということで横井が次に続く。

 主体は人間ですか いいえ

 壁面モニターには黄色い文字が表示された。
「なるほど。文字の色で誰が質問したのか識別できるようになっているんだね」
 アキが呟く。
「その質問、ちょっとかったるいよね。適当に質問ぶつけてけば人が主体の場合は大枠が見えてくるんだからターンの無駄よ」
 エリが毒づいた。
「質問回数に限りがあるのならそうかもしれませんが、今回のルールなら丁寧に切り分けていった方が利があるだろう」
 横井は反論する。

 主体を特定しますか わからない
 何かの行動か状態か呼び方 一部はい

 エリとアキが立て続けに質問をし、それぞれ白と赤の文字が並ぶ。まだまだこれからだが、閉鎖空間での強制参加という非日常状態であることを考えれば、ゲームの進行においては皆余裕を持って取り組めているように見える。その中で、啜り泣きの声が聞こえる。
「おい、ガキ。お前も質問しろよ」
 ジョーがケンタを怒鳴りつける。ケンタは机に突っ伏していたが肩が弱く震えているところを見るに泣いているようだ。
「ほっときなさいよ。別に一人いなくたってゲームは成立してるんだからいいじゃない」
 エリがジョーを窘める。
「どうせ正解者は一人だからライバルは少ない方がいいってことか」
「そんなこと言ってないじゃない。こんな訳の分からない場所に放り込まれていきなりゲームをしろなんて、子供には無理でしょう」
「いきなり? 何言ってるんだ。俺は稼ぎの良い仕事があるって聞いてきたんだ。これも社会実験かなんかだろ。面接したやつもまともそうな男だったぞ」
 ジョーのその言葉にケンタが顔を上げる。
「僕、何も知らない……何でここにいるかわからないよ」
「そんな訳あるか。ごまかしたって誰も助けちゃくれねえよ」
「自分の事情が他の人にも当てはまるという考えは随分短絡的ですね。そんなことじゃゲームの先も思いやられるな」
 横井がぼそっと嫌みを言う。
「けっ、じゃあ大方そいつの親が差し出したんだろうよ。借金があったとかそういうのでな。あんたはどうなんだよ、横井」
「事情を話す気はありませんよ、関係ないですから。ただインサイダーゲーム、いや今回は単なるお題当てですがこのゲームが得意だからきた、とだけ言っておきますよ」
「ふーん、やっぱりみんな結構このゲームやり込んでるみたいだね」
 アキが伸びやかな声でそう言うと、ケンタは対照的に何かを押し込められたような詰まった声でか細く喋る。
「親は……いないんだ。こんなゲームも僕は知らない」
「ちっ。俺は全員でゲームをすることがこの訳のわからない実験に必要だと思っただけだ。参加しないんならもう黙ってろ」
 暴言を吐くジョーにキッと睨みを効かせてエリがケンタに問い掛ける。
「ここにどうやって連れてこられたかはわかる?」
「思い出せない。自分のベッドにいたと思うんだけど」
「そのバッグは? 何が入ってるの?」
 ケンタはそう言われて初めて気がついたという風に肩から掛けているバッグを机の上に載せ、中身を取り出す。他の人間の手荷物は全くこの部屋になかったので、皆中身が気になっている。
 コンビニのレシート、ウレタン製のボール、白いイミテーションフラワー、キーホルダー型の小型ゲーム機、それと中身のない眼鏡ケース。およそ使えそうなものは何もなかった。
「中身も、鞄も見覚えがないよ」
 ケンタが落胆の声をあげる。ジョーはケンタのうじうじとした態度に苛ついていた。
「なあそろそろゲームに戻ろうぜ」
「あなたが最初にこの少年に絡んだんでしょう。それに、正解するまでこの部屋から出られない、ってことは裏を返せば正解までに制限時間がないってこと。お題当てなんて真面目にやれば二〇分程度で答えに到達するんだから焦る必要はないですよ」
 横井は何が狙いかはわからないがケンタの状況をもう少し深掘りしたいらしく、反論した。
 アキは横井の言葉を聞いて思った。論理的に考えれば、制限時間がなく、かつ正解するまで出られない、というルールがある以上そう簡単に答えに辿り着けるようなものじゃない。一体どんな罠が待ち受けているか。まだまだ波乱はありそうだ。
 ケンタからは結局何も情報が出てこない。本当に覚えていないのか恐怖心から頭が回っていないのかよくわからなかった。次第にケンタの表情は曇り、遂には泣き出してしまった。閉鎖された部屋に泣き声が響き渡る。エリはケンタの肩を優しく叩いてやる。横井もケンタに対してはあくまでも庇護すべき相手だという態度を崩さなかった。しかし、ジョーは違った。彼は明らかにケンタを疎ましく思っていた。ジョーはケンタの胸ぐらを掴み腰に手を当てて脅した。
「おい、何も役に立たずゲームにも参加しないなら部屋の端で大人しくしてろ。これ以上騒ぐんならぶん殴るぞ」
「ふ、うっぐぅぅぅぅふぐっふぐっぅぅぅぅ」
 ケンタは必死に口を閉じ、しかしそれでも漏れてくる嗚咽を何とか誤魔化そうとしていた。
「ちょっと! 子どもになんてこと言うの!」
 エリはケンタの手を取り、ジョーから遠ざけるように扉の近くの壁に座らせた。アキはなおも詰め寄ろうとするジョーの背中に声を掛けた。
「警官がそんな物言いってのはいただけないな。いや、こんなところにいるってことは元警官か」
 ジョーが驚嘆し振り返る。正体のわからぬ相手に対する若干の恐怖を怒りで押し隠し、お前……と何か言いかけるが口を閉じる。
「当たってたみたいだね」
 ちっ――ジョーが舌打ちをする。内から湧き上がる暴力への衝動を無理に制御しているジョーにアキは飄々と答える。
「殴るぞって言いながら誰かを脅す時って普通は利き腕を拳にして振りかぶるもんだと思うんだけど。君の場合は右手で相手を制圧して、左手は自分のベルトの辺りをまさぐっていた。無意識に探していたんでしょう、いつも携帯していた警棒を」
「……めんどくせえやつがいやがるな。いい加減ゲームに戻るぞ」
 ジョーはアキの推理めいた何かに気勢を削がれ、大人しく左端の席に戻って腰掛けた。
「あなた、やるじゃない。スカッとしちゃった」
 ケンタを慰めていたエリはケンタが落ち着くと自分の席に戻る前にアキに声を掛けた。
「いやぁ君にとっては他のプレイヤーが優秀だってことはマイナスなんじゃない? 勝てる可能性が下がるでしょう」
「ふふふ、随分自信たっぷりなのね。いいのよ、このゲームは最後に答えた人が勝ち。道中は優秀な人が多い方が楽だから」
 この部屋で一番ケンタを気遣い、プレイングの観点から言えば、一種の生温さを見せていたエリもなるほど、彼女なりの勝利への哲学と腹案を持って臨んでいる。一筋縄にはいかなそうだな、とアキは少しだけ笑った。一連の会話を聞いていた横井だけは思案顔で何かをぶつぶつと呟いていた。
 ケンタを除いた四人でお題当てゲームが再開すると、しばらくはセオリー通り順当に進行していく。お題には質量がないが、質量のあるものを特定することでお題に近づく、というルートを辿っていくことになった。はいかいいえで答えられる質問でお題を見つける、というシンプルなこのゲームはシンプルであるが故にプレイヤーの性格や経験を如実に映し出す。ジョーはルートの方向性を決定づける質問や、択ではなく確定的に思考が飛んだ質問をしている。自信家でリーダーシップに優れた雰囲気の通りだ。横井は反対にあり得ないルートを消しておいたり、二択の片方がいいえになった後にもう一択を質問してルートの不安を解消したりと全員の思考にノイズが入らないようにしている。エリは他の人間が出した択質問の選択肢を潰し、サポート役に徹している。そんなことを考えてそれぞれの動きを冷静に見てとっていたアキはというと自分の色は極力出さないように可もなく不可もない質問をしていた。インサイダーが中にいるとすれば一番疑われるような動きだったとも言える。しかしながらこれら全てがオーラルコミュニケーションを介すことなく炙り出されているのだから、人は発する言語のみで嘘をつくのではなく、思考で嘘をつくものなのだと改めて思い知らされる。
 関係のある質量のあるものがパソコンで確定し、各々が一体パソコンがどのように関係するのかを特定するために質問を重ねるがなかなか核心をつけない。

 お題に関係のあるものはパソコン  はい
 それはスマートフォンでもいい  いいえ
 インターネットが重要 いいえ
 使用するアプリを特定しますか いいえ
 マックかウインドウズかわける いいえ
 コンピュータウィルスが関係ある いいえ
 マウスかキーボード関係ありますか 一部はい
 お題はミッキー いいえ
 マウスかキーボードではマウスが関係している いいえ
 キーボードが関係していますか  はい
 キーの配列は重要ですか いいえ
 シーザー暗号 いいえ
 検索するという行為は関係ある いいえ
 企業を特定しますか  いいえ

 いつまで経っても湯の沸かない鍋を見ているような、いつまで経っても来ない返信を待っているような、そんな悶々とした思いを皆が抱えながら質問をしていると、唐突に有効質問が投げかけられる。

 学校の教科を特定すると答えに近づきますか    はい

 黄色い文字だ。この今までの文脈を全く無視した質問に皆驚きを隠せない。ジョーが軽口を叩く。
「横井おまえ、インサイダーか?」
 横井はつまらないジョークには反応せずに、淡々と言葉を返す。
「行き詰まっていてダメならずらした質問をする。お題を当てる時の常套手段ですよ。こんなもので疑うのは経験の浅さが露呈しますね」
 ジョーが何か言い返そうとするのをエリが遮る。
「まあこれで先が見えてきたね、答えが近いかもしれない」
 ジョーは少し不服そうな顔をしたけれど、進展があったこと自体に気を良くしているのか会話を続けた。
「学問関係のルートからのお題となると知識を問われる問題で誰も知らなかったらお手上げだぞ」
「出題者はそんなことで誰も答えられずにはいおしまい、で満足するような感じじゃない。閉じ込めてデスゲームなんて悪趣味なことを現実にやろう、って人達なんだからさ」
「確かに。むしろ誰でもわかる簡単な答えなのに、答えが出てこないことをほくそ笑むタイプよね」
 質問の方向性が見えてきたことで場の空気が少し柔らかくなっている。教科の特定から数学へと進み、さらに関連するものは何かと質問を射っていく。

 時間、距離、速さのどれかが関係しますか  いいえ
 数学者を特定すると答えに近づきますか いいえ
 素数が答えに関係ある  いいえ
 小学生でも答えられる はい

 エリの質問にはいが入る。エリは小さくガッツポーズをしている。冷静に考えれば当たり前だ。経緯はどういうものにしろ、このゲームにはケンタがいる。プレイヤーの一人が年齢的知識量の差で回答不可になるようなゲームバランスを組むはずがない。ただこの質問によって、学問の深淵まで足を踏み入れる必要がなくなったことを確認できたのは大きかった。数学から算数へと視点を変えて質問が続けられる。次にヒットを得たのはジョーだった。

 お題は数字ですか  はい

「よし、当ててやったぜ。ここまで来たら答えはもうすぐだな」
 ジョーが得意気な笑みを浮かべている横で、アキは全く別のことを考えていた。
 これは……もしかしたら。
 続いて表示された赤文字の質問に皆が困惑の表情を浮かべる。

 配られた手紙に書かれているルールは全て本当  はい

「どういうこと?」
「いや、いいんだ。皆は答えに向かって質問を続けていてくれれば。ジョーの言った通り、お題まではきっともうすぐだよ。ただ、今重要な回答が得られたからしばらくの間、僕の質問権はお題に対して無駄に使わせて欲しい」
 少しの間、皆の質問の手が止まる。勝利を目指している戦いで、自分は寄り道をしていくからお先にどうぞ、と言われてその言葉を疑わない者はいない。アキの真意を探ろうと頭を働かせる。質問を写す大型モニターから出る、音とは言い難い、電源がついていることを認識させるくらいの高周波な音波が、静寂をより引き立たせている。
「……縛ったんですね、今の問いで」
 横井がぼそっと呟く。エリもジョーも言葉の意味を聞くような真似はしない。答えが近い、ということが彼らの連帯感に綾をつけている。初対面で尚且つ争わなければならない彼らにとって、同じお題に向かって質問をしているという程度の共同作業が演出した連帯感など、元より初めからなかったのであろう。
 誰も質問をしない。できない。アキが苦笑を浮かべて話し出す。
「悪かったよ。みんなを縛りたくてこんなことをした訳じゃないんだ。説明する」
「その説明を信じられると思うか?」
 ジョーが口を挟む。至極真っ当な意見だ。
「この膠着状態は僕にとっても本意じゃないからさ。僕の目的はGMに質問をすることなのに、このままじゃそれすらもできない。わかってもらえれば、少なくとも疑いの部分は消えると思う」
 そう前置きしてアキは続ける。
「簡単に言えば、この閉鎖空間での僕らの状況をもっと正確に把握しておきたいんだ。ここからはゲームも中盤に入ってきて、戦いも苛烈になるだろう。もちろん僕も自分の勝利を目指すけれど、できれば君たちみんなにも死んで欲しくはない。勝ち負けを別にして、全員で助かる方法があるならそれを探す努力もしたいってだけさ。その為に、GMは嘘をつかない、というルールをGM自身に確認して、縛っておきたかった。もちろんこれで嘘の可能性がゼロになった訳ではないけど、戦略に組み込むことはできる。だから、これから皆で生還するのに必要な情報をいくつか集めたい。今回の動きはその為だよ」
 アキの発言を皆精査している。が、先程までよりは空気がいくらか柔らかくなっていた。重く澱んでいた室内に少しずつ対流が生まれる。
「何を質問すればいいの?」
 エリが問い掛ける。アキは遅れてえっ、とだけ反応する。
「二人でやればそれだけ早く済むでしょ、その寄り道」
 呆れたような冷めた口調ながら、やや下がった眉から仕方ないなあ、と面倒見の良さが声を出している。
「ありがとう」
 アキは真っ直ぐに御礼を返した。

 1  いいえ

「数字が答えなら適当に言っても当たる可能性があるからな。俺は先に抽選させてもらうぜ。大事な質問はさっさとしとけよ」
 ジョーの質問を皮切りに戦局はまた動き出す。アキは遅れを取らないように、エリにするべき質問を告げる。
「ええっ! そうなの?」
 エリが驚きの声を上げる。
「わからないから質問するんだ。ただ可能性は高いと思う。さぁ、早く」
 エリの白く細長い指がキーボードを打つ。

 GMとして質問に回答しているのはコンピュータではなくて人間  はい

 これには質問をすでに準備していたジョーと横井の手も止まった。均整をとり、丁寧に整備しているお題までの道に罅が入る。一つ一つの質問が調和していくハーモニーを聞こうと耳を欹てているのに、不協和音が鳴り響く。二人とも、何でもない風な顔をして、できる限り取り繕う。
「ねえ、説明してよ」
 エリはその場に自分とアキしかいないかのように訊ねる。
「どうして答えてるのが人間だと思ったの?」
「最初に違和感を覚えたのは横井さんが、学校の教科を特定すると答えに近づきますか、という質問をした時だ。横井さんがエンターキーを押して質問を送信してから質問の諾否の判定が出るまで、他の質問と比べて少し間があった。その後にも幾つかの質問で同じようなことがあったけれど、問題はその質問の種類に一貫性がないこと。コンピュータが返事をしているのであれば、関連性や文章の難解さによって時間が変わるはずだから、何となく返事の間隔に人間らしさを感じたんだ」
「何かロジカルに話しているけれどすごく感覚的な判断じゃない? それって」
「ははは、バレたか。今言ったことはそうかもなぁくらいの頭の中についた擦過傷みたいなものを言語化しただけだから。でも言語化できないけど確信してしまうことってこのゲームである程度場数を踏んでるとあることでしょう? 何であの時点でお題を分かっているような質問ができたかって聞かれて説得力のないことしか言えない瞬間がさ。まあそんな感じだよ」
 ふーん、よくわかんないけど――とエリは適当な相槌を打った。
 その間にモニターには16と2がいいえの文字とともに表示されていた。16が黄色の文字で横井が、2が青い文字だからジョーが質問したようだ。

 教科特定のルートから数学に来たのは、答えが数字だからで、直接数学は関係がない  はい

「お題は数字ですか、にはいが出た時に僕の適当な確信に感情論的論理が加わった。機械的な回答であればこういうルートは辿らないだろう。そもそもルートを誘導するイメージとこの会話的な質問文にさして間をおかずに答えられた時点で、彼は人間だよ。あ、いや彼女かもしれないけど」
 エリに向かって話していたアキに、横井が横槍を入れる。
「私は数字自体がお題だと聞いた後でも、完全数や友愛数など数字の数学的特徴を指し示したものがお題ではないかと類推していた。今までの質問から数学が関係ないと考え得る部分はなかったように思うがね」
「横井さん、このゲーム相当やり込んでますね。まあ僕がどのようにそれを推理したか、ということは今回のゲームにあまり関係ないでしょう? 大事なのは今の一回の質問でお題の方向性とGMが人間であることの精査、の二つを一度に成し得たことではないですか」
「君が運営側の人間ではないという保証は?」
 アキは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにシニカルな笑みを浮かべる。
「なるほど、そこまで考えられる人でしたか」
「馬鹿にしてもらっては困るな」
「で、どうしますか? そっち方面で考察、議論を重ねる時間にしますか?」
「……いや、いい。このままゲームを続けよう。言ってはみたがそこまで疑ってはいないよ。もっと他に考えるべきことが山ほどある。喫緊の問題は君が示したゲームマスターが人間ってことだな。数学は関係がない、という質問にはいを貰ったところで回答者の主観という概念が入ってしまうとそれもどこまで信じられるかはわからない」
 横井は話しながらキーボードを叩く。

 答えは十進数のアラビア数字で表せる  はい

「純粋に数字と言っても、表記の揺れがお題を限定する要素に含まれていると面倒だからね。とりあえず私はお題を特定することに集中するとしよう」
 続けざまにジョーが打った3という回答がいいえで返される。ジョーは1から順番にとりあえず3まで解答している。一人でお題を直接回答している場合、二択や三択で答えを絞りにいって万が一はいをもらった場合、他の人が二回質問するまで次の質問はできない、というルールのせいで自分が正解できなくなってしまう。また、変に範囲質問をして答えを限定しても同じように自分が解答できない手番で他のメンバーに熟考させるというのは戦略上あまり良くない。この場面では、とりあえず当たればラッキーで一択解答をするのは理にかなっている。
 アキがエリに指示をし、二人は状況に関する質問を打つ。

 部屋内は視覚的、聴覚的に監視されている はい
 このゲームの敗者は必ず殺される   わからない

 自分達の言動がどこまで運営に把握されているのかの確認。そして、敗者の処遇。デスゲームとはいったがルール上で明言されているのは脱出できなかった場合に出入口が閉鎖されるということまでだ。もちろんそのままであれば餓死やその他の理由で死に至るのだろうが、反対に言えば外に出ることさえできれば死を避けられる可能性がある。物理的な殺傷行為があるかは記されてないので何とも言えない。必ず殺される、の問いにわからないの返答が得られたのは僥倖だろう。

 答えは自然数で表せる はい

 横井は決定的なチャンスを他のプレイヤーに与えないようにしながら、確実に答えの存在する領域を狭めていく。そして、それはアキとエリがゲームの枠外で質問できるチャンスが残り少ないことを意味していた。ジョーは少し捻ったのか7を入力し、いいえをもらった。

 この部屋に出口の扉以外に人間が通れるサイズの開口部はあるか いいえ
 この部屋にいる生きている人間は六人 はい

「一つ目の質問は脱出経路の確認ね、私にもそれが重要なことはわかる。二つ目の質問の意図はなに?」
「まずインサイダーとして配置されている彼がまだ生きているかどうかを確認する為。部屋内を監視している、ということだったけど、彼の生存に関して明確にはいが返ってきたのだからおそらく監視カメラやマイク以外の機器も使っているね。布に覆われた箱の中の人間の生存を正確に把握しているんだから。それともう一つ。僕ら以外にこの部屋に人がいないかを確認する為だ。不確定要素はできる限り排除しておきたい」
「うんうん、なるほどね。でも私、やっぱりこの回答を完全に信じることはできないな。全部嘘だったらどうするの?」
「そうなったらルール無用ってことだ。正解したら脱出できる。お金がもらえる。残りの人間は閉じ込められる。それらも全て無視して良いことになるし、お題当てゲームをしている意味もなくなる。それはまあまた別のサバイバルゲームが始まるってだけだよ」
 アキはエリの質問に丁寧に答えながら自分の頭の中を整理していく。
 横井が少し迷い、手が止まっているところでジョーが先に5を回答し、いいえをもらっった。

 答えは十の十二乗以上の数字ではない はい

 横井がさらに外側を削っていく。
「エリ、これが恐らく最後の手番になる。後でまたチャンスが来るかもしれないけれど、ないものと思っていた方が良いだろう」
 アキはそう言うと生存権に関する質問をエリに伝えた。エリは黙ってキーボードを打つ。

 正解者が貰えるジェラルミンケースの中身は一億以上の価値がある はい

「エリ、どうしてだ?」
 エリは悪びれる様子もなく答える。
「私もタダでここに来ている訳じゃない。ゲームに関することを聞ける最後の質問になるなら一番気になっていることを聞く」
「お金がどうとか言ったって、生きてここから出ることができなきゃ意味がないだろう」
「そうね、ここからは価値観の話だから。それこそ意味がないよ」

 答えは100以下 はい

 青い文字で表示された質問に全員が驚愕する。
「ちまちま縮めて様子見しやがって。ほら、答えてみろ。もう択は少ないぞ」
 ジョーは自信満々で挑発をする。横井は表情を崩さず、キーボードを叩いた。

 79 いいえ

「金の原子番号だ。残念ながら正解ではなかったようだが……。さて、これからランダムに一つずつ質問していくとして、百種類の数字で何を言ったか君は覚えていられるのかい?」


第二章

 1

 お題当てゲームは諾否疑問文を使って、無数の可能性から正解のお題を絞り込み、導き出すゲーム。しかし、今この部屋では全く別のゲームが始まろうとしている。正解が百以下の数字に絞られたことで、複数択を提示して解答を絞り込むことの利点がなくなってしまった。ここからは純粋に運と記憶力の勝負。ジョーの挑発を利用し、その土俵を作り上げたのは横井だ。自分の短期記憶、ワーキングメモリーによほど自信があるのだろう。元々設定されていない「一人ずつランダムに数字を一つ答える」というルールを持ち込み、勝負を提案してきた。ジョーは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、自信家でプライドの高い彼がこの勝負を受けない訳がなかった。噛み潰した苦虫を胃の奥まで流し込み、ジョーは横井を睨みつける。

66 いいえ

 二人の男の間に質問が割って入る。
「このゲーム、最低三人いなくちゃ質問権の回転が成り立たないんだから、もちろん私もやるよ。66は私の好きな数字」
 エリはそう言って、二人の視線を集めた。
 神経衰弱ではトランプ五十二枚の位置を順番に覚えていく。ただし、途中で同じ数字が出現した場合、手札にすることができるのでプレイ中に一度に覚えなくてはいけないカードは最大で十三枚。それに対して今回は百個の数字を順不同に覚えなくてはならない。そして一番悪いことには、自分が間違えて既に出ている数字を質問してしまってもいいえと返ってくるだけでそのことを判定する術がないことだ。メモする紙もペンもないこの部屋で一度記憶の泉が泥に塗れてしまったのなら、質問の精度は加速度的に下がっていってしまうだろう。
 アキはそんなことをぼんやりと考えていた。記憶力勝負に参加せずに脳のリソースを別のプロブレムに費やすことにしていた。その間にも三人は途切れることなく次々と数字を質問していく。ただ数字を入力していくだけで一パーセントよりも高い確率で大金が手に入るのだから、考えるよりもどんどん機会を回していった方が効率が良い。
 93、44、27、61、55、17、25、67、88、34、31、57。質問はどんどんと積み上がっていくが、無機質ないいえが返ってくるだけで正解には当たらない。
 横井はキーボードを打ち、モニターに出てくる数字を判別する程度には視界を保っていたが、できるだけ周辺視野で状況を確認し意識は作り上げた内的世界へと向けている。
 豪奢な白塗りの建物の入り口を開けて中に入ると、左右に五つずつ、十の部屋の扉が並んでいる。一つ一つの部屋の扉にはゼロから九の数字が書かれていて十の位の数字を表している。それぞれの部屋には家具や調度品がまちまちに並んでいる。ベッドは1、花瓶は2、カーテンは3……これらは一の位の数字と連動している。十種類のアイテムをそれぞれの部屋に並べていくことで、既に出た数字が何かを管理しているのだ。これはシャーロックホームズが作品内で助手のワトソンに「記憶の神殿」と言う名で得意げに自信の記憶術を披露しているシーンがあるほど、古代から伝わる有名な記憶の手法だ。
 よし、何も問題はない。横井は神殿の中をのんびりと歩き回り、自信の記憶に些かの狂いもないことを確認した。まぐれ当たりが出てしまったらどうしようもないが正解が出なければ出ないほど自分の勝利はより近くなっていく。通常のインサイダーゲームにも自信がある彼にとってこういった形で勝負が決するのは不本意だったが、それでも起こったシチュエーションに対して自分の技術と能力を発揮できていることには満足だった。
 その後も三人の質問のペースは緩まなかった。わずか五分で消化された数字は四十を超えた。そして、最初に音を上げたのは――ジョーだった。ジョーのここ四回の数字は4、6、8、9。自分が序盤で消化していて覚えていた一桁の数字を順番に質問していく。それも尽きてしまった次のターン。

 61 いいえ

 横井とエリが心の中でほくそ笑む。よりによって、ジョーは自分で一度言った数字を再度訊いてしまった。他の二人はジョーの記憶に明らかな欠落があることを確信した。
 一人脱落……厳密に言うとこの後も数字をランダムに選んでいってもまだ訊いていない正解の数字に当たる確率は十分にある。ただ、完全に覚えていて消去法が可能な場合と違ってゲームが進行していっても確率は収束していかない。これによって記憶の確かな者との差はどんどんと広がっていく。
 エリはこの記憶力の勝負を楽しんでいた。昔から物覚えがよく、九九を覚えるのがクラスで一番早くてお母さんに褒められたこともある。エリは数字それぞれに色を割り振っておき、頭の中のキャンバスに一の位と十の位の二色の組み合わせを順番に並べていった。これもまた、意味よりも映像イメージの方が記憶に定着しやすいという特性を利用したものだった。最も彼女は体系づけられた記憶術など知るはずもなく、自然にその術を身につけていた。
 順調だった。ジョーがミスをして残りは横井だけ。勝利まであと一歩だ。そう思って表情が緩みだしたが、その数瞬後に彼女の耳に異質な音が飛び込んできた。
 ケへュッケへュッケへュッ。
 エリは集中を切らさないように注意深く音のする方に視線を向ける。
 ケンタが倒れている。
 仰向けで涙や鼻汁、涎を垂らしながら苦しそうな呼吸音を鳴らしている。傍らにはアキが駆け寄っていて、声を掛け反応を窺っている。その光景が視界に入った時には既に、エリは席を立っていた。
 どいて――言いながらアキを脇に避け、ケンタの鼻と口を軽く掌で覆う。
「ケンタ、大丈夫……大丈夫」
 エリは優しく声を掛けつづけ、しっかりと息を吐き切れるようにケンタの胸をゆっくりと押していく。部屋に反響する歪な呼吸が徐々に間隔を空け、周りと同化していく。
「エリ、大丈夫そう?」
 アキが心配そうに言う。
「うん、落ち着いてきた。ただの過呼吸だと思う。こんな所にいきなり閉じ込められて、静かにしてろって暴力的に脅されて。そりゃあ平静になんていられないよね。ケンタ、もう大丈夫だからね」
 ふぅぅ、ふぅぅ。ケンタは目を閉じ、穏やかな呼吸で眠るようにしている。
「あー、これで横井の勝ちで決まりだね。まあ仕方ないか」
 エリが明るさを装った口調で言った。
「いや、まだわからないと思うよ」
 アキはエリに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた。

 2

 なあ、済んだのなら早くしてくれないか――横井のその言葉を受けて、アキがエリに声を掛ける。
「ケンタは僕が見ておくからゲームに戻りなよ。仮に忘れてしまっていても、まだ挑戦することはできるだろう」
 エリは小さく微笑み、席に戻った。ジョーも質問をやめることはないが、やはり意気消沈しているようでキーボードを叩く音にも力がなかった。
 横井は自分の記憶の神殿の中心で満足そうに各部屋を見回している。調度品がどの部屋も同じ間取りと配置で並べられ、まるで神々の帰還を待つ神官のように寸分の狂いもない部屋の完成を目指している。残りの実数は二十三個。いつ当たってもおかしくない。当たりが出れば神殿は不要になる。決して完成されることなどないであろう部屋々々を横井は少し寂しくも思っている。ジョーとエリの告げる数字は、既に出ているものばかりになっている。
 残りは十九個。自分だけが当たりを引くまで挑戦できるくじ引きとは、何とも楽しいものか。横井は笑顔を隠せない。
 残りは十六個。ジョーとエリが祈るように真剣な眼差しで既に不正解となっている数字を打つのを見るのも楽しい。
 残りは十一個。…………おかしい。いくらランダムに答えているからといって、百分の一の数字をここまで外すことなんて有り得るだろうか。肝心な場面で不運に見舞われる人間は結局のところ大成しない。横井は不安になってくる。しかし、この不安はあくまでも残りの数字を完全に把握している横井だけのものだ。ジョーもエリもただ当たりが引けないことを悔しがっているだけだ。まさかゲームを攻略しているからこそ自分だけが別の悩みを抱えることになるとは。横井は自分の圧倒的有利を確信しながら刻々と減っていく数字に冷たい汗が止まらなくなっていた。
 遂には残りの数字は二つになっていた。71と29。横井の焦りは最高潮に達していて、それはもう誰が見ても明らかなものだった。
 ジョーもエリも横井のその状態を記憶の糸が途切れたのだと思った。そうであれば自分達にもまだチャンスは巡ってきている。まだ、勝利の目は消えていない、と闘志を燃やしている。

 71 いいえ

 横井が二択で選んだ数字はいいえをもらう。外れてしまった……いや大丈夫だ。どんなに確実なプレイをしても、ポーカーでも麻雀でも運の悪さがどうにもできないことは間々ある。今回もそうだっただけのこと。逆に言えば、今回は運が悪くても自分だけが抽選できる権利を維持していたのだから、実力で運をねじ伏せることができた。何も問題はない。私は他のギャンブル狂いとは違う。常に勝算を持ってゲームに参加している。私にとってはカジノも競馬場も、あくまでも仕事場に過ぎない。運否天賦ではなく長期的な視点で見れば必ず収入を得られる場所。私はギャンブルにハマっている訳ではない。偶々他のやつのことがカモに見えてしまっただけだ。運営も。奴らはカウンティングだといって私を追い詰めこんな所まで送り込んだけれど、最後まで証拠は掴ませなかった。統計的な疑惑、という訳のわからない暴論を振りかざしてきただけだ……。
「ねえ、あんたの番よ。早く押しなさいよ」
 エリが横井に声を掛ける。いつの間にかジョーもエリも質問を済ませ、横井に順番が戻ってきていた。
「あ、ああ。すまん」
 横井はゆっくりと29と打ち、幼児のような弱々しい圧力でエンターキーを押した。たとえその人にとって重大な局面であっても世界は一人の人生に対して演出を提供したりはしない。モニターにはひどくあっさりと

29 いいえ

 と文字が並んだ。横井は表示を見ると首をタコンと項垂れて目を閉じる。どこだ、どこで間違えた。横井は自信が築き上げた記憶の神殿を走り回る。どの部屋も用意した調度品が全て整い、同じ見た目をしている。抜け漏れはない。脳内を全速力で走り続けた横井は、現実世界の部屋に戻っても息を切らし、汗が噴き出ている。周りを見回す。100までの全ての自然数を質問し、答えがなかったのだから前提が間違っているとしか考えられない。「答えは100より小さい はい」この質問だ。横井はジョーを睨みつける。悔しい。あいつが何かしたに違いない。騙されたことがただただ悔しい。
「おい、何をしたんだ」
 横井は絞り出すようにジョーに訊ねる。
「何を訳のわからないことを言ってやがる。次は俺の番だ。邪魔をするな」
「もういいよ、何をしたのかはわからないが完全にいっぱい喰わされた。もう終わったんだよ、さっさと種明かしをしろ」
「あ、どういうことだよ?」
「お前はどんな目的があったのかは知らんが、時間稼ぎでもしたかったんだろう。だから一番に重複した数字に移った。もうタイムオーバーだよ。100までの数字は全て答えてある」
「だってまだ正解は出てねえじゃねえか」
「だからお前が何かしたんだろう? 私たちをペテンにかける何かを」
「馬鹿なことを言ってんじゃねえよ。お前がちゃんと99個の数字を記憶してたかどうか疑う方がまともな思考だ。お前が間違えてるんだよ」
「まだしらばっくれる気か。私が間違える訳ないだろう。くそっ。さっさとゲームを終わらせろ」
「俺は何も知らねえよ。当てて終わらせてやるから黙ってろ」
 モニターに赤い文字が踊る。

答えは100より小さい いいえ

「なっ!?」
「なんだこれは」
「どういうこと」
 数字の記憶ゲームに興じていた三人は質問の主、アキの方を見る。
「さあ、閑話休題だ。お題当てゲームを再開しようか」

 3

 横井の記憶の神殿がドズドズと轟音を立てて崩れていく。肉体も脳も精神も、人は向かっている先に光が見えていれば困難や疲労に耐えることができる。自分の努力が徒労に終わったことを理解した時に疲弊やダメージが一度に押し寄せるのだ。
 横井は放心状態で動くこともできず、自分は何が悪かったのかをあてどなく考えていた。 ジョーとエリは途中で記憶の持続が不可能になり運否天賦の勝負に差し替えたことと、横井の憔悴しきった姿を見たことで自己を見つめ直すことができてアキがひっくり返したゲームにかろうじて戻ってくることができた。
 答えは100より小さく、100以上である。その可能性を満たす条件は? 質問の回答からお題を適切に類推する、お題当てゲームの本質に立ち戻っていく。100より小さい数字と100以上の数字の組み合わせが答えの場合はそういう回答に成り得る? 例えば複数の数字が答えでどちらでも条件を満たす場合は? 二人は正確な思考でほぼ同時にその地点に行き着いた。

 答えとなる数字が二つ以上ある   わからない
 奇数、偶数などある種の特性を持った数字のグループがお題ですか いいえ

 瞬発力を持った良い発想だけど、的確とはいえない。この発想では100より小さい自然数が全ていいえだったことを捉え切れていない。
「ねえ、あの質問ができたってことはもう大体の答えの可能性には気づいてるんでしょう? 早く何か質問しなさいよ」
 エリがアキに促す。
「私はもう負けでいい。何が起こっているのか教えてくれ」
「いや横井さん、僕は答えの可能性については確信を持っている。だけどこのゲームはまだ終わっていないんだよ。むしろ、本当に厄介なのはこれからさ。キーポイントはなぜ僕達はお題当てゲームをやっているのか、だ」
「なぜって大金が手に入るゲームができるって誘われたからだろ」
「それは君の場合だ、ジョー。僕には僕の、きっと他の人にもそれぞれの理由があるんだろうけど今はそれを聞いている訳じゃない。僕達はインサイダーゲームをするために呼ばれたはずだろう? それをインサイダーは先に捕まえてある、なんていう訳のわからない説明でお題当てゲームに転換された。つまりこのゲームにはインサイダー、答えを知っているプレイヤーが存在しない。それはなぜか。答えを知っている人が参加していたら、ゲームが成立しなくなる恐れがあったからさ。たとえば、さっきのように数字をランダムに言ってお題を当てていく流れになったとして、当てた人間がインサイダーかどうかをロジカルに特定することができるゲームになったか。答えはもちろんノーだ。誰が勝者か、完全に運に頼るのであればサイコロでも振ってしまえば終わりだよ。つまり、今回のゲームの答えは、実際の答え自体はなんてことのない数字であってその意味性において特異であり、それを見つけられた人が勝者になるゲームなんだ」
 アキは記憶力勝負に参加せずに脳のリソースをゲームそのものから解答を導くことに割いた。捕らえられたインサイダーの存在、集められた人間の差異、ゲームシステム。部屋中を再度検分し、情報を集めていく。一通り調べ終わり椅子に座って思考しながら、正面のモニターをぼんやりと眺めている。三人の勝負が順々と続いている中で、アキは違和感を覚えた。三人が数字の質問をしてから、いいえの回答が表示されるまでの時間が極端に短い。いつからだろう。三人が記憶力勝負を始めたときはそれまでの質問と同様に回答を得られるまで少しの間があった。今は機械的にいいえの回答が続くだけ。アキが最初に考えたのはGMが変わったということ。回答をしている人間に何かトラブルがあり、本当にコンピュータが答える形に変わったのか。いや、それだとこのゲームの本質が変わってしまう。仮に、お題に対するあらゆる質問の正否を判断できるAIを用意していたとして、途中から使用する理由がない。トラブルがあったのなら別の人間にGMを任せる方がよっぽど道理にかなっている。となると考えられるのは、回答しているGMが正否を判断するスピードがあがったということだ。それはなぜだ。決まっている。GMには質問を見る前から不正解しか出てこないとわかっているからだ。つまり、彼ら三人がやっている勝負の前提が崩れているんだ。彼らが今やっているのは1から99までの数字の中で正解を探すこと。しかし、あるタイミングからこの数字の中に正解がないことをGMは知っている。
 アキは数刻前に自分の導き出した推論を皆に示すように質問を打つ。

 答えの数字は変化している   はい

「なっ。うわあああ、そういうことか」
 ジョーが真っ先に声を上げる。エリも得心のいった顔をしている。横井は状況を理解した後、自分が明確に間違いを犯していたことを突きつけられ、歯を食いしばった。
「つまり100より小さい、ではいの回答が得られた時は100より小さかったし、さっきの100より小さい、がいいえになった時点では100以上の数字になっているってことだ。数字は段々と大きくなっている可能性が高い」
 アキは説明を加える。エリは直情的に閃いた質問を打つ。

 答えは時間で変化している  いいえ

「違うの?」
「その可能性もあったと思うよ。でも秒で区切るにしろ、分で区切るにしろ質問と回答のタイミングが同時じゃないから矛盾が生まれる可能性は否定できない。もっと直接的に自分たちに関係しているものさ」
 ゲームが進むにつれて数が増えていく自然数で数えられるもの。
 まさか――ジョーは呟き、やや怒気を孕んだ調子で質問を送る。

 俺たちがしている質問の回数が答えか  はい

「くっ、そんなのわかる訳がない」
 ジョーは吐き捨てる。
「そう、わかる訳がないんだ。ゴールに到達してから、スタート時点で準備が必要でした、と言われているようなものだからね」
 アキのその言葉の後には、誰も動けなかった。皆状況を理解するために思考している。ここから先、自分が勝つためにはどうすればいいのか。
 横井はさっきまでの落胆から精気を取り戻し、机を指でトントンと叩きながら考えを巡らせている。エリはやや上を見上げながら時折指を折っているところを見ると質問の数をある程度まで絞れないかどうか数えているようだ。飄々と何も考えていないように見えるアキの横から、ジョーが皆に声を掛けた。
「なあ、さっきこいつが言ったとおり、このゲームは答えを出すことなんかできっこない。皆で協力して質問を使って特定するしかないようにできてるんだろ。200より小さい? 110より大きい? そうやって答えが今どの位置にあるか範囲を狭めていくしかないだろう。結局、このお題は協力が不可避のゲームってことだ」
 エリが口を挟む。
「さっきまでのように当てずっぽうで数字を答えていくって手もあるんじゃないの? いつかは当たるでしょ。恨みっこなしでさ」
「自分の思惑も話さずに協力しようっていうのはムリなんじゃないか? この後どうやってゲームを進めるか、質問権のない君たち二人は質問をぐるぐる回す戦略を取りたいだろうが私やアキは焦る必要がない。その方法しかないような物言いはミスリードだろう? ここからの質問権は貴重だ。そう簡単には渡せない」
「じゃあどうするっていうんだよ」
「結論を出すタイミングを決定するのも質問権がある者の特権だよ。今この場はまだ君のターンではない」
 先ほどまで負けを認めて項垂れていた横井が、自分の勝利への希望がまだあるとなると途端に態度を翻した。蜘蛛の糸に縋るカンダタのように。
 そして、ここからこのゲームはまた別の様相を呈すことになる。


第三章

 1

 あれから既に三十分程が経過している。誰も質問を入力しようとはしない。
 横井は相変わらず机を小刻みに叩きながら如才ない眼差しを他の人間に向けている。ジョーは部屋を行ったり来たりとうろつき、時折持て余してシャドーボクシングやスクワットをしている。エリは、壁際のケンタの所へ向かっていた。そのケンタはというと過呼吸の騒動からしばらく周りの人間から放置されていたことが幸いし、自分を取り戻していた。冷静に心を落ち着かせてみるとひどく退屈になり、バッグに入っていた小型のゲーム機(テトリスだけが遊べるキーホルダー型のもの)に熱中している。エリは開始から真剣にゲームに臨んでいるつもりではあるけれど、膠着と沈黙の中で自らの思考よりも優秀な人間の成果を掠め取ろうという生来の戦略から時間を持て余し、ゲーム機で遊んでいるケンタに自分もやらせてもらおうと近づいたのだった。真剣勝負の最中ではあまり発揮されているとは言いづらかったがエリは基本的に根明で人当たりが良い。ケンタとすぐに打ち解け、二人でテトリスを一緒にやっている。
 アキはそんなエリとケンタの元へと向かっていく。
「エリ、ちょっといい?」
 ケンタのプレイを眺めているエリに声を掛け、エリが顔を上げる。
「場の空気が段々と膨張している。ここからは一手間違える毎に死ぬ可能性がどんどん上がっていく気がする」
「えっ。ちょっと、子どもの前でやめてよ。また調子崩したらどうするの」
「子どもだろうとここからは関係なくなる。彼もプレイヤーの一人なんだ」
「お姉ちゃん、もう大丈夫。この人の言ってることの方が正しいよ」
 ケンタは二人の顔を見て声を上げた。
「僕はできれば全員を助けたいと思っている。協力してくれないか」
「協力って……こんな疑心暗鬼の状態であなたを信じられると思う? 質問権を持っていながら動かないあなたもこの状況を作っている原因じゃない」
「簡単に信じられないのはわかっている。だから僕は、これから起こり得る事態について説明をする。助かる可能性があがる対処についても伝えておく。もし本当にそうなったら、僕の予測が正しかったら協力してくれ。頼む」
「……とりあえず話だけは聞く」
 ――アキは二人に推論を告げる。ケンタとエリは青ざめていく。
「随分とヘビーな予測なのね」
「この閉鎖空間でそれを止める手立てがなかったらそうなるしかない。最後にこんなことが信じてもらえる理由になるかはわからないけど……一つ個人的な話をしよう。僕はこのインサイダーゲームを元にしたデスゲーム、二回目だ」
 えっ――思わず声が大きくなったエリを横井とジョーが不審そうな顔で見る。エリは問い質されるかと身構えたけれど二人ともあまり興味を示さずに元の体勢に戻っていった。「リピーターってことは、賞金は? 本当にお金は貰えるの?」
 アキは首を振る。
「僕は勝ったんじゃないんだ。一回目で負けて脱出することもできず、かといって殺されずに僕は再度プレイを強要されている。毎回プレイヤーを集めるのは面倒ということもあるかもしれないし真意はわからない。GMとして参加すると言われていたがなぜかプレイヤーとしてここにいる。本当にこの後協力するのなら、自分を知ってもらわないといけないね――僕の本当の名前は海。カイっていうんだ」
「名前、変えていたの。それも勝つための準備なのね。前のゲームでは何があったの? あなた充分優秀なのに、勝てなかったなんて」
「恋人と一緒に参加させられたんだ。ゲームの展開によっては二人とも助かる可能性もあったんだけど、物事はそううまくはいかない。彼女は何とか勝利できて、外に出られた。おそらく今も僕のことを探しているだろう」
「そう……こんなヒリついたゲームを恋人の身を案じながらやり遂げたのね」
「君もケンタの身を案じながらプレイしているじゃないか。極限状態ではたとえ子どもであっても見ず知らずの人間のことを心配するのは難しい」
 エリはケンタの頭をくしゃくしゃっとなぜた。
「私にも弟がいるから。今はなかなか会えないけどね。私は嘘つきだから身の上話をする気はないけれど、一つだけ教えてあげる。私の本名は百合子よ」
 カイは少しだけ驚く。
「私はあなたのように戦略上の理由とかじゃなくて本名を名乗ることに慣れてないだけ」
 エリは少しだけ淋しそうに笑った。カイはケンタの方に目をやり、声を掛ける。
「ケンタ、今度は君がお姉ちゃんのこと守ってやってな。ここから先、何がきっかけになるかはわからない。何が起こっても冷静に、だよ」
 ケンタはカイと握手を交わし、カイは二人の元を去っていった。

 2

「横井さん、少し話をしませんか」
 横井は椅子に腰掛けたままカイに目を遣る。「悪いが、私は君のことを一番警戒している。洞察力も推理力もここにいる中では一番だろう。私も勝たなくてはならない理由があるんでね。君とは話をしない」
「少し、聞いてもらうだけでもダメですか」
「相手の嘘に騙されないように、相手に自分を誘導されないようにするのに最良の方法は関わらないことだからね。私から君に提案することがある時に、君の言い分も聞くかもしれないが今はまだその時ではないね」
 カイは少しだけ逡巡したが、仕方なく椅子に戻っていった。
 カイは椅子に座り、ジョーのことを注意深く見ていた。彼にはどのような提案を投げかけようかと考えている。
「ああ、またダメだったぁ」
 そこにエリの声が部屋中に響く。エリとケンタはまたすぐにゲームを始めたらしい。
 エリはパズルゲームがあまり得意ではない。けれど自分が不得意だという事実も人と親しくなるツールとして使えることは知っている。「わ、よく見るとこのハイスコア、すごい。ケンタがやったの? コツとかあるなら教えてよ」
 ケンタは基本的には無口な少年だったが、聞き上手なエリにのせられ、おずおずと話し始めた。
「このテトリス、多分機体が小さいからだと思うんだけど中のシステムが単純化されているんだ。七種類のブロックがそれぞれ二百五十六回出るまでで確率が一旦収束するようになってる。だから千七百九十二個が近づくにつれて残りのブロックがどれくらい残っているかに合わせて置き場所を残しておくと簡単だよ。あとは他のブロックより三回以上多く出ると極端に出る確率が下がる。完全なランダムになってる訳ではないみたい」
「ちょ、ちょっとまって。何を言ってるの? そんなことできないでしょう」
「あ……言っちゃいけないんだった」
「どういうこと?」
「いや……まあしょうがないか。小さい頃からなんとなくそういうことができちゃうんだよ。数がわかるんだ。ほら、たとえば横井さんが机を叩いてる回数。828、829、830……」
 横井の手が思わず止まる。
 レインマン――アキが小さく呟く。そして、ジョーの方を見る。
「ケンタ、面白そうな話だな。お前、俺らのゲーム見てたのか? モニターに順番に出てくる俺らが質問をした回数。わかるのか?」 ジョーは明るい調子で訊ねる。しかし、部屋中にはヌトッとした緊張感が漂っている。
「教えないよ」
「何だと?」
「それが勝つ条件なら、僕はお姉ちゃんにだけ教える」
「ハハハハッハッハハハハッハハハッハ。よしよし、お前がどう考えていようと関係ない。その言い方をするってことは本当に答えがわかってるんだな。これで勝つのは俺だ」
 横井はやや侮蔑の混じった声でジョーを諫める。
「何を言っているんだ、落ち着け。君とエリには質問権がないんだ。ケンタが答えを言えば私かアキが入力する。私は自分が勝てるようこの状態を維持してきたんだ。ケンタから聞き出すのなら、それでゲームはもう終わりだよ」
 ジョーはゆったりとした速度で座っている横井に近づく。ジョーが右腕を大きく振り回すと、横井の身体が床面に叩きつけられ、勢いよく跳ねた。背中を強く打ち、呼吸ができずに苦しんでいる横井を見下ろしながらジョーが大声を出す。
「全員動くなよ。殺しちまったら終わりだからな。今からこいつがもう質問できないように気絶させる」
 立ち上がろうとする横井の顔面を容赦なく殴りつけ、馬乗りになる。鼻が歪み、鼻血の噴き出た横井の顔を同じくらい大きく、堅く握った拳で再び殴る。気を失わせるだけなら頸動脈を絞めれば簡単なことだが、周りに暴力への恐怖心を植え付けるため、あえて殴って気絶させることにする。
 左手でさらに一発。右手を大きく振りかぶったところで、やめろ! という言葉にジョーは止まる。
「それ以上殴るなら、このゲームはここで終わらせる」
 カイは舌を出し歯の間に挟み、下顎に掌底を当てている。
「そんなもので綺麗に自殺ができると思ってんのか。まあいい、もう済んだよ」
 ジョーは振りかぶった拳をゆっくりと下ろし、横井の額を小突いた。横井はピクリとも動かない。
「少しだけ時間をやる。お前が自分から俺に答えを教えに来い。お前やお前の大事なお姉ちゃんがこんな目に遭いたくなかったらな」
 ジョーはケンタにそう言うと端の席に戻った。
 エリはすぐさま横井に近づき、容体を窺う。呼吸はしている。あまり動かさないように頭の下に羽織っていたジャケットを敷き、ネクタイを取りボタンを外した。
「私は医者でも看護婦でもないから、このくらいしかできないけど」
 エリは申し訳なさそうにそう言うと、ケンタの元へと戻った。
 カイもケンタの所へ来ており、三人は沈んだ調子で顔を突き合わせる。ジョーは直視しているわけではないが注意は怠っていない。
「ありがとね。もういいよ。このゲーム終わりにしよ」
 エリの言葉に、でも――とケンタは口惜しそうにしている。
「ケンタ、君の能力は素晴らしいよ。隠すようなことじゃない。大切にしな。だけど、躊躇のない暴力には理屈も才能も通じないことがある。そういう意味で彼は最悪の相手だった。彼は――殺人鬼だ」
 ケンタは言葉の意味が宙に浮いているように中空を見上げる。
「おまえ、やっぱり俺のこと知ってたのか?」
「いや、途中で気づいたんだ。僕には余計なことを考える時間がたくさんあったからね」
「ジョーって……『ジョー・スカーレット』?」
 エリは恐怖で声を上ずらせる。
「世間では色々言われてるが、俺は快楽殺人者じゃない。ビビってくれるのは俺としちゃありがたいが、必要以上に怖がって時間を無駄にしたくないんだ。さっさと答えを教えて終わりにしようぜ」
 エリが恐れるのも無理はない。報道されていたジョーの殺人は極めて残忍なものだった。被害者は膂力のみで身体を破壊されており、殴られた顔の形は変形し、手足はあり得ない向きにまでねじられていた。被害を受けた六人は男女問わず、中学生の女の子までいたのだが、その誰もが不可逆な怪我を負ったまま生かされて発見された。被害者は端整な顔立ちであり、自分の容姿に自信を持っていたからか、顔が元に戻らないことを知ると皆自殺してしまった。彼が殺人罪に問えるのか、という議論はテレビやインターネットで活発に語られていたけれど、最後の六人目の被害者が搬送されたICUで治療中に亡くなったことにより明確な殺人事件となったことで皮肉にも世間の興味は薄れていった。
 なぜそれ程まで世間を騒がせた殺人鬼がこんな場所にいるのか。そんな不毛な考えがエリの頭をよぎった。不安な顔のエリにカイが微笑む。
「さっき言ったことを思い出して。きっかけはわからなかったけど、進んでいる方向は僕の想像通りだろう?」
 エリはカイの目を見つめ、深呼吸をする。
「ジョー、君のその言葉、信じるよ。君はただの殺人鬼じゃないし話のわかる人間だ。一つ、取引をしたい」
 ジョーは目だけで先を催促する。
「君が質問権を得るためにはまだ二回質問が必要だろ。そのうちの一つを今使わせてくれ。その答えを君にも見て欲しいんだ」
 カイの真意を読み取ろうと睨みを聞かせるが特にデメリットの見えないその提案にジョーは乗っかることにする。
「ゆっくりと質問を打つんだ。数字のキーには触れるなよ」

 正解者は一人でも部屋から脱出するのは何人でも良い       はい

 質問が表示されてから回答まで随分間があったが、はいの回答が返ってきた。
「その質問がどうした?」
「脱出の手段を整えてから正解を出せば、少なくともみんなこの死のゲームからは解放されるんだ。これからさらに無駄質問をして、君に質問権を譲ろう。君が勝者となるのは構わない。だが、せめて皆が脱出できる手段を考えさせてくれ」
 ジョーはほんの束の間、思案に暮れるような顔をするがすぐに返事をする。
「その提案には問題が二つある。一つ目、俺が正解者になるとして、お前らは俺を信用できるのか? 俺がお前らの脱出を邪魔する可能性は? そして大事なことがもう一つ。俺がお前の提案に乗る必要が全くないってことだ。俺はこうやって自分で質問権を回復すればいいんだからな」
 ジョーは自分の質問権を復活させるために横井の席に向かった。
 カイはエリとケンタに目配せをする。エリはジョーの入力装置に、ケンタは自分の入力装置に向かう。
 ジョーは二人の動きを見て、すぐに狙いに気がつく。
「ジョー、あなたが何かを入力したら私があなたの端末で捨て質問をする。あなたはそこから自分の質問権を復活させるのに、また二つの質問を入力しなくてはならない。それぞれ別の端末でね。こっちはその間にケンタに答えを入力させる。わかった? これであなたの勝ちはなくなったの」
「お前、俺の前でよくそんな口がきけるな。お前らを横井と同じようにノシてから、ケンタに答えを聞き出せば済むことだ。俺の有利は何も終わっちゃいない」
 ジョーがエリの方に向き直ったところで、カイが大声で呼びかける。
「それ以上、エリに近づくな! もちろんケンタにもだ」
 ジョーが振り向く。カイは部屋の隅の暗がりに立っている。ジョーの表情がみるみるうちに怒りを携える。
「てめえ……」
「そうだよ、ルールブックをよく読んだか? ゲームが失格で終了となるのは、この部屋で死亡者が出たら、だ。お前が少しでも不穏な動きを見せたら、俺はこいつを殺す。僕はこいつに少し前に痛い目に遭わされたことがあってね。こいつを殺すことに些かのためらいもない」
 カイは暗がりの中で拘束されていたインサイダー(名は亀井と言った)の傍に佇み、彼を殺そうと両の手を首にかけていた。
 ジョーはその身勝手な脅迫に怒りで瞼がプツプツと震えていた。
「おまえ、自分で何言ってるのかわかってるのか? お前のその選択は、殺人鬼と同じ部屋に閉じ込められるっていうことを選んでるんだぞ。大金を得るチャンスを邪魔したお前らを俺は許さない。たっぷりある時間でお前らを痛めつけることで溜飲を下げるしか方法がないだろ。まずは指からだ。エリとケンタの小指を捻りきってお前に喰わせてやる。全部で四十本もあるからな。腹空かしとけよ」
 ケンタとエリはジョーの物言いに立っているのもやっとだった。
「こいつらのこともよく考えてやれよ。今俺が正解するだけなら、まだその後三人で平穏に過ごせるじゃねえか、俺はここのシステムのことは知らねえけど、脱出できるかはその後考えればいいだろ? 少なくとも俺みたいな奴と一緒に閉じ込められる方が最悪に決まってる。よし、今ならお前のさっきの提案を聞いてやっても良いぞ。お前がそこから離れて三人で脱出の手段について話し合えば良い。俺は俺だけが勝者になれればお前らを痛めつけるなんてことはしない。約束してやるよ」
 カイはケンタとエリのことを交互に見やる。確かにここまでは上手くいったけれど、もう二人は限界だろう。ここから離れたら自分はすぐに無力化されるだろうけれど、それはもう……仕方がない。
「わかったよ、ジョー。僕からケンタに答えを教えるように言う。少しだけ待ってくれ。あと、横井さんの容体をエリに見させるのを許可してくれないか」
「おう、俺は優しいからな。許可してやるよ」
 エリとケンタは二人のやりとりを聞いてその場にへたり込んだ。エリは何とか四つん這いになり、横井の元へと向かう。呼吸が寝息の様に安定していて問題はなさそうだ。ゆっくりと壁際まで引きずってやることにする。
 カイはケンタの方へ向かう。しかし、インサイダーを拘束している壁はモニターに向かって左側、ケンタに近づくためには横井の席にほど近いところで待機しているジョーの近くを通らざるを得ない。
 ジョーはインサイダーの箱から注意深く離れたカイにわずか三歩の大股で近づいた。その驚くほどの身のこなしはネコ科の大型獣を思わせた。カイは身構えることすらできないまま、後ろ手に壁に押しつけられる。
「ナメたことをしてくれたな。俺は優しいからこのまま取引には応じてやるが、これは手数料だからな」
 ジョーはそう言ってカイの右手第二指を折った。ひどくあっさりと。
 カイは止めどなく迫り来る激痛に全身から汗が噴き出る。しかし、暗がりにいることで部屋の反対側にいるエリとケンタに何が起きたか見られた心配はないことに気づき、叫び声をあげることは我慢した。代わりに涙と鼻水も溢れ、顔はぐしゃぐしゃになる。
「ぐぅぅぅ、ふしゅぅぅうぅぅぅぅう、ぐぅぅう」
「はは、自分はスマートに立ち回れているとでも思っていたか。イケメンが台無しだぞ。得意の機転でその痛みも消してみろよ」
「ふぅぅぅ、ふぅう。僕はまだ許してやっている。優しいからな」
「あっそ、もうどうでもいい」
 ジョーはカイの腕を取り、そのまま部屋の真ん中へと投げ飛ばす。椅子の一つがカイの身体にぶつかり、吹き飛ぶ。
 カイに近づこうとするエリとケンタにジョーが睨みを効かせる。
「動くんじゃねえぞ。インサイダーを殺して全員仲良く失格って線はもう見込めないんだ。利き手の指が折れた状態で俺が制圧するより早く自殺なんてできっこない。もうお前らの対抗手段なんてないんだよ」
 ジョーはゆっくりとケンタに近づく。
「今ならまだお前の身体に触れないでいてやる。答えを教えろ」
 ケンタは身動き一つとれない。威勢のいい矜持も頼れる庇護者がいたからできたこと。心が折れるのも無理はない。
 エリはケンタの手を握ってやり、自分に答えを教えるように小さな声で諭した。
「答えは教える。私たちにそれ以上近づかないで」
 エリは気丈な声でジョーに告げるとゆっくりとモニターから離れるように部屋の端へと後退る。ジョーは笑って後を追おうとしたが、思い留まった。
「そうだ、そうだな。俺は快楽殺人鬼じゃない。世間じゃそう言われてるけどな。よし、そうしよう。答えをお前が教える。俺は正解者になってこの部屋を出る。お前らは多分死ぬけど、お前らだけは俺の言ったことを信じろよ。俺は暴力のために暴力を振るってるわけではないって」
 散々脅し、実際に暴力を行使し、それでも自分勝手な論理で自分は正しいと思わずにはいられない。エリはそんな男に心底嫌気がさしたが、いや世の中はそんな人間ばかりだった……と頭の中で少しだけ皮肉に笑みを浮かべて答えを告げた。
 ジョーはすぐに自分の質問権を回復するために横井の端末に向かった。横井の机にはカイが寄りかかっている。ジョーが端末を打ち込む。

 リンゴですか  いいえ

「残念だったな、ゲームってのは頭が良かったら勝てるってもんでもない。質問できるのが俺しかいなければ、俺の勝ちだからな」
 ジョーはカイに何の気もなく話し掛ける。
「ジョー、やめるんだ」
 カイが呟く。
「はは、気が向いたら助けを呼んでやるかもな」
 ジョーは自分の座っていた一番端の席へ向かい、エリに言われた答えを入力する。

 184  正解


 第四章

 エリとケンタ、まだ目の覚めていない横井の両手足の拘束具が機械的な駆動音を立て三人の身体の自由を奪う。
 エリは壁にもたれ掛かり何とか座位を保っている。ジェラルミンケースを壁に留めていた輪が外れ、ドパンと音を立てて床に落ちる。そして――扉が開く。
 ジョーが床に転がっている。カイは横井の机に左手を掛け、ゆっくりと立ち上がった。
「なんだ? 何が起きた」
 四肢の自由を奪われたジョーが状況を理解できずに呟く。
 カイがジョーの元へと近づく。
「ふぅぅ。僕が君を許している、と言った言葉は嘘じゃない。僕の指を折った君より結奈を危険な目に遭わせた運営の方にもっと腹が立っているからね。できれば、君も救いたいくらいに思っていたんだ」
 ジョーは仰向けに見上げながら声を張り上げる。
「俺が正解を入力した。勝ったのは俺だ!」
「前半は正しい。後半は間違っているね。君が入力して、僕が勝った」
 ジョーは少し考える。自分の質問権を回復するために横井の端末で捨て質問を入力した。もしあの時、答えを入力していたら勝っていたのは横井だったろう。しかし……改めて自分の席を見る。
「いや入力する席を間違える程、俺は馬鹿じゃない」
「そうだね。でもジョー、君は何でその席に座っていたんだ?」
「何でってここは俺の席だろう」
「言い方が悪かったかな。どうしてそこが君の席だと思ったんだ」
「どうしてって、手紙に名前が入っていたから……」
 ジョーはその瞬間、ゲームが始まる前のことを思い出す。俺はこいつに知るはずのない名前を呼ばれて……。
「お前――席を入れ替えやがったのか」
「ゲーム開始前に皆が思い思いに部屋を探索してくれたおかげで入力端末のある机を最初にチェックできたのは僕だけだった。ジョー、君は自分の名前の入った手紙がその一番端の席の引き出しに入っていたのは見ていない。僕が手紙を渡したからね。本当は一番端の席には僕宛のルールの書いた手紙が入っていた。君は他の人が引き出しを確認して、席に着くのを見て自分の手紙もそこに入っていたと思い込んだのさ。ゲーム中ずっと君は僕の、僕は君の端末で質問をしていたってこと」
 ジョーの脳に段々と怒りを覚える余地ができてくる。
「そんなこと……できる訳がない。質問者の名前が質問の度に出ないことが、質問をする前にどうやってわかる? 開始一周目で破綻していた可能性だってあったじゃないか。そんなもの攻略法でも必勝法でもない」
「まだまだ頭が固いがよくわかってるじゃないか。これは必勝法じゃない。けれどやる価値のある仕掛けの一つだ。インサイダーが捕まえてある、と言ったってこれは騙し合いのゲームだろう。仕掛けの種をいくつも蒔いて、実にならないものだってたくさんあった。終わってみればこの策がハマったってだけだよ。そのおかげで僕は道中も思考の時間を充分に確保できたしね」
 自分ではなく他の人間を勝たせるように動く。多人数勝者決定型のゲーム形式では、そういう人間がいた場合、擬似的なチームプレイも可能になるのでメイクキングと言う名で明確に違反行為とされている。
「俺は認めねえ」
 ジョーは苦し紛れにそれだけ言うと拘束具を外そうと手足を動かし始めた。
「残念だ……長話をしてしまったせいで、扉が再び閉まるまであと三分とちょっとしかない。ゲームの決着がどうしても避けられそうにない場合、助かる可能性をあげるためにエリとケンタにはできるだけ扉の近くで拘束されるようにアドバイスをしておいた。そのおかげで二人、いや横井さんも時間内に扉の外まで運び出すことはきっと可能だろう。でも君は、こんなに遠くで動けなくなってしまったし体重も重い。そして何より、僕は利き手に怪我を負っているからとてもじゃないが君を救うことはできないだろう」
 カイは扉の方へと向かう。ジョーを背にしながら思い出したように一言付け加える。
「気が向いたら、助けを呼んでやるかもね」
 カイはジョーがその言葉にどんな顔をしていたかを知らない。敗者に目をくれる時間などなかったのだから。

 部屋の外は廊下が続いていて、エレベータで下に降りることができた。ここはどうやら六階のようだ。カイは周りに注意を配り、伏兵がいないかを確認する。エリ、ケンタ、横井、そして賞金の入ったジェラルミンケースは廊下の壁に等間隔で並んでいる。
「あと十秒だよ、九、八、七……」
 ケンタがカウントをする。
「驚いた。時間も正確にわかるのか」
 ケンタのゼロの声とともに扉が無機質な音を立てて閉まる。ゲームが終わった。疲労と安堵と少しの緊張と言語化できない抽象的な感情がない交ぜになって四人のいる空間を満たした。扉が完全に閉まったのと同時に手足の拘束具が外れ、音を立てて床に転がる。
 横井も目を覚ましていた。顔の腫れが熱を持ち始めていたが、意識ははっきりとしている。
「私は、勝てなかったか」
「病院に連れて行くよ」
「いや、いい。ここからは自分の足で始末をつける。怪我をしたのもそもそもこんなゲームに参加したのも全部自分の身から出た錆だ。甘んじて受け入れるよ。それより、助けてくれてありがとう。私に出来ることなど少ないけれど、どこかで恩返しできるといいんだが」
 そう言って横井は蝸牛のようにゆっくりとエレベータに向かっていった。
「今出てったら一緒にエレベータ乗ることになっちゃうね」
「かわいそうだから待っててあげよう。でせっかくだから、席の入れ替えの仕掛けについて教えてよ」
 エリは拘束具が外れて軽くなった手首をさすりながら明るい調子で聞く。ゲーム中もそうだったが相変わらず切り替えが早い。
「教えてっていうか、ジョーの話していたのを聞いていたでしょう。それ以上のことはないんだけどな。強いていえば、単純な仕掛けだったから皆がある程度警戒心が高くて助かったよ」
「どういうこと?」
「色だよ。質問文の色。名前を毎回表記するのが煩わしく思ったのか色によって質問した人を識別するようになっていた。横井さんは黄色。ケンタは村崎ケンタで紫、エリは百合子だから白、僕はカイ、海だから青、そしてジョー・スカーレットは赤だ。皆名前から連想される色が割り当てられているんだ。エリは偽名だったし、ジョーも自分のフルネームをバレたくなかった。おかげで上手く紛れられていたけれど、あからさますぎて途中で誰かが気づくんじゃないかとヒヤヒヤしてたよ」
「そっか、全然気づかなかったな」
「ケンタを家まで送ってくれるかな? 僕は早く結奈に会いに行きたい。心配してるだろうから」
「もちろん。ケンタ、家どこかわかるでしょう?」
「東村山だけど……」
 ケンタは口ごもる。
「まあ家族とうまくいってない感じはしてたし、帰りたくないんでしょ? わかるけど今は家に帰りなよ。もう私たち友達なんだからいつでも相談に乗ってあげるから」
 うん――ケンタの顔にようやく笑顔が戻った。
 エレベータは一階に着き、再び六階へと戻ってきた。半日ほどだったけれど凝縮されて引き延ばされた時間は彼らに相当の疲労を与えていた。エレベータで階下に降りる時、なんとなく閉じ込められはしないかと不安になるが何事も起こらなかった。
 三人は手を取り合い、ビルのエントランスを通り外へと出る。無機質で整然としたビルの冷淡さやゲームルームの陰惨な雰囲気と打って変わって青空の広がった外の世界は、その落差がある種ファンタジーな趣きを漂わせていた。
「とにかく、今回はちゃんと君らを助けられてよかった。横井さんも」
「うん、感謝してる。私だけだったらゲームに負けていただろうし、脱出もできていなかった。私、頭の良い人好きよ。ありがとね」
 そう言って、エリはカイの頬にキスをした。
 路上にプリウスが一台止まっている。社内にはビルから出てくるカイ達を見つめる視線があった。
 後部座席のスモークガラスがゆっくりと開き、氷のように冷たい目つきの顔が徐々に露わになってくる。
 周囲を警戒していたカイはいち早くその姿に気づく。
「カイ、その女の人だれ?」
 それはカイの恋人、結奈だった。
 カイは心臓が跳ね上がり、顔から血の気が引いていく。
「結奈。いや、違うんだ。これはそういうんじゃなくて、その……」
 否定の言葉がより疑いを強めていく。いや、疑いも何もカイからしたら何もやましいことなどないのだが、刻一刻と状況が悪化していく。
「あら、この子が例の彼女さんね。どうも、カイくんにはお世話になりました」
 結菜の顔がみるみる怒気を孕んでいく。
「ありゃあ、こっからは私いない方がいいみたい。ケンタ、ほら一緒にいこ」
 エリはケンタの手を取り、車の横を抜けて路地裏へと去って行く。
「結奈、これは違うんだ。ちゃんと説明させてくれ」
「ふーん、私がどうやってここまで来たかわかる? すっごく大変だったんだから。心配してたのに」
「いや、ほんとにこっちもギリギリだったんだよ。ほら怪我だってしてるし。彼女もプレイヤーの一人で何とか勝利してみんなを助け出して……あれ? お金の入ったトランクがない! まさかエリが――」
「エリ? 呼び捨てにするような仲なの?」「そんなことより早く追いかけないと!」
「そんなことって何よ。今このことより大事なことなんてない」
 運転席では男性が苦笑いをしている。結奈がカイの居場所を掴んだのは彼が関係しているけれど、それはまた別のお話で……。
 嘘と本当が入り混じった頭脳戦を逞しく勝ちぬいたカイにとって最も難しいことは本当を信じてもらうことだったようだ。
 カイの本当の戦いは、これからだ。

 おしまい

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