解釈力をあげると見えている世界が変わってくるよ、という話

突然なにを言っているんだって思われそうなのですが、私はほとんど謝らないんですよね。

会社のSlackで2023年の投稿から謝罪と感謝をどれだけしていたかを検索してみました。
「from:@howdy39 during:2023 すみません」で検索したら42件でした。一方「from:@howdy39 during:2023 ありがとう」が385件です。
簡易的なありがとうは、テキスト絵文字リアクションで返すことのほうが多いのでそれを合わせると700件は超えるんじゃないでしょうか。
ざっくり計算で、謝罪:感謝は1:18ぐらいです。圧倒的に感謝が多いんですよね。試しに皆さん検索してみてください。

謝罪 ではなく 感謝 として解釈する

別に絶対謝らないってわけではなくて、感謝としても解釈(変換)できるなら感謝にしましょう。そのほうが双方幸せな気持ちになれます、という話です。

例えば、自分で作ったドキュメントや資料に不備がある場合とかよくあるじゃないですか、このとき「〇〇の記載を忘れててすみません」ではなくて「気づきをありがとうございます!」の形で返してるんですよね。こうするとあら不思議、謝罪が感謝に変わるんです。

また、それに加えて改善プランがつけられる場合は一緒に提示すると良いでしょう。上記の例で言えば
「気づきをありがとうございます!〇〇の記載を追記しときました!」
になります。

指摘する側は「改善してくれたんだな。これで次に同じとこで躓くかもしれない人も救えたな。あぁ伝えてよかったな。」と思えたら指摘する側も幸せな気持ちになりませんか。次になんかあったときも臆せずにちゃんと伝えようって気持ちになりませんか。

すみませんでした、で終わるコミュニケーションは良い循環を作りません。
ありがとう + 改善 のコミュニケーションは良い循環を作ります。

解釈力をあげる

本記事では、謝罪の解釈を変えましょう。ということを書いたのですが、これはあらゆることに言えます。

人の欠点をみてイライラすることもあるでしょう、でもその欠点は美点につながるところもありませんか?それをひねり出しましょう。

それは自分や自分のチームの仕事じゃない!みたいな仕事を依頼されることありませんか、でもそれは個人にとっては良い成長の機会かもしれません、自分のチームの管掌範囲が拡がり裁量が増えることにつながっているかもしれません。

悪いと思われることの多くは良いことにも解釈できます。大事なのは起こった事実ではなく受け取り方です。それを解釈力をあげると書きました。
解釈力を上げても過去の事実は何ひとつ変わりません、でも見えている世界は少しずつ変わってきます。

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