自己満足

降りると発車ベルが鳴り、私の髪を揺らして電車は、徐々に勢いを増しながら動き出す。やけにホームが狭くて、私の眼前には白色にところどころ赤い錆の入った、ガードレールのような素材の大きな壁がひしゃげて聳えている。電車にぶつかって怪我をする妄想が頭をよぎらざるを得ない狭さだけれど、私の進行方向である右側はもっと狭くなっていて、焼き鯖みたいな形だなと思った。右側は改札口ではないが、焼き鯖の尾の少し手前にくだり階段があり、外に出れるようになっている。私はその階段を降りる。回送列車が通り、私の髪を乱していった。

高架下には人だかりができている。制服を纏った女学生たちが、列を作り、小さな日本国旗を持ってしきりに振っているが、何に向けて振っているのか、人だかりでよく見えない。戦争が始まるのか、と思い一人の女学生に尋ねると、あ、あの、これ持っててもらえますか?私は行かなければいけないので、と言って、巨大な凧を渡される。これも今行われているイベントのにぎわいづくりの一環なのであろうか。私は戸惑う隙もなく、まんまとイベント参加者として凧を操ることとなった。

ここは軍服を着た男が通るパレードの一拠点ということらしく、まもなくそのパレードも終了というところらしい。通りの店から見ていた店主やアルバイトは続々と店へ戻って営業を再開し、集っていた人々もそれぞれ会話をしながら退散していく。私は突然預けられたこの凧をどうすればよいかわからなかった。このまま知らぬふりをして手放して逃げてしまおうか、なんか恥ずかしいし、とも思ったが、大人として、おそらくこれを管理する者に返却するべきなのだろうと考えた。他の凧揚げ野郎たちの見様見真似でルアーのようなもので凧を巻き戻す。一瞬手を離れそうになって慌てながら、額の横から汗が出てくるのを感じながら、力一杯糸をまく。しかし、驚くべきことに、その凧は、空に浮かんでいる分には小さな日本国旗と、クラッカーの中身のような華やかな装飾のように見えていたが、引けば引くほどに様相を変える。糸も1本だったものが2本、3本と増え、最終的に私の手元に残ったものは、絡まり合った漁師網であった。こうなってしまっては、私は漁師の経験もないし、正しい処理の仕方がわからない。しかも頼りの綱である他の凧揚げ野郎たちもどこかへ行ってしまってヒントがない。

同時に困ったことは、このパレードへ巻き込まれて忘れてしまっていたが、私にも目的地と、それに対応する交通手段の時間が決まっている。時計を見ると14時35分、乗らなければいけない船の時間まであと10分しか残されていなかった。私は、この街は小さいから、どの人に渡しても届くべき人に届くであろうという若干無理のある考えのもと、その漁師網然とした何かを持って船着場まで歩いていくことにした。

海のある街、しかし海沿いの人間を置いてきぼりに新時代の観光産業が発展する街。海の方に出ると、大きな幹線道路の下に弱々しい木製の納屋や住居が軒並ぶ。船着場も、戦時中は物流で栄えたが、特需も消えた今では、大きな会社名が描かれているプレハブ型の倉庫だけが残って、人の影は見当たらない。あれ、今は戦後なのだっけ。子供が作った秘密基地のような船の待合室は、両側に日焼けした、酒を持った水着姿の女性が描かれているポスターが貼られている。海の方を見ると、少し日が傾いて水面で光を反射しているがまだ暑い。

待合室に老婆が入ってきた。次の船はきっとあなた一人だで、と老婆は言った。そうですか。-あ、あの、と漁師網の話をしようとすると遮られる。今日はどこまでえ?と老婆は私に尋ねる。私は、あの、浮水町まで、と返す。浮水!?浮水ってあのふぐすまのかい?随分遠くまで出るんだな。と老婆。沈黙。あの、これを預かっていただけませんか?と私は老婆に漁師網の凧を渡した。あら~これだとだめねえ、ちゃんと巻いだ方がいいねえ、と老婆は言う。その後ろから、一人の男が現れた。あ~かんちゃん、これ預けたいって言うんだけど、どうかねえ。と老婆は男に向けて話しかける。男は良心的な人間のようで、全然いいっすよ、問題なしっすよと言っている。頭はよくなさそうだけど親切な人だ。私は頭を下げて、ありがとうございます。とお礼を言った。また海の方を向くと、私の乗るものであろう船から縄が飛んで、それをポラードに括り付けられるのが見える。来たようなので、それでは、と言って私はお辞儀をしながら船へ向かった。

2980円の切符を船から降りてきた乗務員に見せる。終始無言だが、私の身なりを目で確認しているのがわかる。私はおそらく船に乗るには軽装だった。黒いワンピースに小さな手持ちのスーツケースを持っている。肩からは黄色のポシェットが下がっている。成人していることがわかるものはありますか?と乗務員に聞かれて慌ててポシェットからマイナンバーカードを出して見せる。乗務員は少し怪訝な眉を元の位置に戻して、どうぞ、と船の中へ案内した。

 家の中は物置のようになっていて狭い。5人家族が2LDKに同居すると言うのは無理な話なのだと思う。それぞれの少しずつの怠惰が、5人分になると爆発的に家を爆発的にさせる。布製品はハウスダストの原因、食べ物は異臭や害虫発生の原因、風呂やトイレはカビの原因となり、強力なチーム力を発揮して家を腐敗させていく。6人目の家族である私は、その空間とは関わりを持たないが、今日のような日は現状と対峙せざるを得ない。朝、決して悪気のないみんなと会うと、本当に自分の居場所がここであったという実感を持てないことに対して、時計との訣別を感じる。

今日は暑かったでしょう、一度シャワーを浴びておいで、と母が優しく言ったので、ありがたくシャワーを浴びさせてもらうことにした。18時30分、夜明けか日暮れか曖昧な光が風呂場の窓から暗い廊下を照らしている。支度をして風呂場へ向かうと、その場にはいないはずの祖母がいた。

7人目の家族。祖母は行方不明になって3ヶ月が経っているはずだし、生きていたとしても、この家ではなく隣に住んでいるはずで、それに、母がもたらす腐敗した暮らしを全面的に拒絶していたから、ここにいるはずがない。何故。祖母は裸に、バスタオルを当てている。私は反射的に、「あ、ごめんね。入るところだったの知らなくて、私後で入るね。」と五月雨式に声をかけた。すると、間をおかず、「ゆりちゃんも一緒に入る?」と祖母は私に訊いてきた。

私はまさかそんな言葉が発せられると思っておらず、呼吸をやめてしまった。徐々に意識が朦朧とする中、目の前の祖母を見ると、癌でなくしたはずの乳房があるのが見えた。そうだ。祖母は私が小さい頃無邪気に一緒に温泉に入ろうと言っても、決して一緒に入ることがなかった。片乳を欠損した姿を大衆に晒すことにどれだけ抵抗があったろうと今の私には少しわかる気がするけれど、でも私はそんなこと、おばあちゃんの価値に関係することじゃないでしょうと言いたい気持ちでいっぱいだった。でもそんなこと、だなんて、私には言えないことだった。おばあちゃんの苦しみはおばあちゃんにしかわからない。結局最後だって、わからないまま会えなくなってしまった。ねえ、何が辛かったの?今更きいても遅いよ。どんな苦しいことがあったの?私にもわかることがあると思うの。

「自分のことは自分にしか守れないのよ。やってやるっていう気でいなきゃ。」

そう言っていた祖母が消えた理由は、私には本当はわかっている。誰にも症状を理解されない孤独と、誰にも手を煩わせたくない孤独。誰も信用になんか値しないことを目の当たりにした絶望と、拭われない嫌な記憶。

祖母は私、私は祖母。椿の花が好きでした。揺れるまだ青い楓が赤く染まるのが楽しみでした。夜中に一緒に目が覚めて誰にも秘密で食べるおやつ、レコードから流れるクラシック音楽で目覚める朝、手作りのキウイジャムを塗って食べる食パン、パラソルを持って歩く川縁にはいつまでも幼い私と花柄の青いワンピースのおばあちゃんがいる。

息を止めるのに限界が来て目が覚めると、私の家。今はいなくなる直前の祖母と同じく一人で住んでいる。

ただいま、と言って寝床からでる。私の居場所はいつも散らばっていて、いつもどこにもない。

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