今日のお花づくし#1 プリムラ(サクラソウ・トキワザクラ)
(2021年12月16日のインスタより転載・加筆)
気まぐれで、これからインスタとノートで、自分の勉強を兼ねて毎日一個ずつ、できれば季節に合わせてお花の話を簡略にすることにした(週末は休む場合もあるし飽き性なので毎日とは限らん)。なお、写真は著作権などいろいろ問題があるので、適当にご自身でGoogleでお探しになるように。
さて、はじめてのお花。やはり当分は冬のお花にするがよかろう。しかし冬にはやはりあまり花が咲かないものだ。しかし、それでも強かに咲く花はある。その一つが「プリムラ」。英語ではPrimulaと綴る(後述)。
プリムラ。和名は桜草(さくらそう)・常磐桜(ときわざくら)。厳密にいえば三つともに微妙な違いはあるようだが、ともかくサクラソウ科サクラソウ属に属している。プリムラは外来種であり、またプリムラ〇〇などの形で、プリムラの一種として数多い種類を持つ。園芸品種は600種を超えるとの由。基本は12〜3月に薄紅色の花が咲くものだが、品種の数だけあって色も様々(サクラソウはイワザクラ・クリンザクラ・ケショウザクラ・クリンソウなども含めるらしい。『大辞林』『日本国語大辞典』)。
その歴史はさほど長くなく、江戸時代から散見されるらしい(明治時代の百科事典『古事類苑』にも数個の文献の記録からの引用が載っているがここでは省く)。
サクラソウは万葉・平安の書物には顔を出さない。その栽培は江戸時代に盛んになり、後期に多数の品種が出現するが、前・中期にはまだ少ない。日本最古の園芸書『花壇綱目』(1681)には、「花薄色、白、黄あり」と二つの色変わりをあげるが、黄色とあるのはクリンソウと思われる。江戸の園芸が花開いた元禄時代(1688~1704)でも、貝原益軒の『花譜』(1694)に紫と白、紅黄色の3品種、伊藤三之丞の『花壇地錦抄 (かだんちきんしょう) 』(1695)に紫と白の2品種しかみられず、続く『地錦抄付録』(1733)で8品種とナンキンコザクラが図示された。江戸でサクラソウが流行するのは安永年間(1772~1781)以降で、『嬉遊笑覧』(1830)に「安永七、八年さくら草のめずらしきが流り、檀家の贈り物として数百種を植え作る」とある。文化元年からは花の美しさを競う花闘が始められた。また、幕末には『桜草百品図』(行方水谿)が出る。
(『日本大百科全書(ニッポニカ)』、一部引用者が適宜編集)
もともと寒い地方で自生した花だそうで(ちなみに、さいたま市田島ヶ原にはサクラソウの自生地があり、天然記念物である)、そういったところでは夏までも咲き続けるともいう。「常磐」、つまり永遠という修飾語はそのことからついたものらしい。花言葉もなんとロマンチック。同じ理由から「長続きする愛情」。しかし他方では、実がならずに夏前に散ってしまうので、「青春の悲しみ」という、少し寂しげな花言葉も両持ちしている不思議な花である。文学では春の季語として、永井荷風が「葡萄酒の色にさきけりさくら草」と(『花のことば辞典』)、山口青邨(1892〜1988)が「咲きみちて庭盛り上る桜草」(『角川新類語辞典』)詠んだ。
英語の語源について。primulaという英語名(イタリア語、スペイン語も同じく)は、ラテン語のプリムスprīmus(意味:最初の)から来ている。英語のprime, primary(最初の、最重要の、最良のなど)という形は見慣れた言葉であろう。そのprīmusに、接尾辞-us(樹木名などに変換する。『はじめてのラテン語』)がつき、prīmulusとなり、その女性単数主格の形こそが、prīmula、今日のお花のプリムラである。なぜ「最初」の名がついたのか?春に最も早く咲き始めるお花だから、らしい。『世界大百科事典』には、
英語のprimroseはprimerole(最初に咲く花)から転訛したもので,和名も春先に咲く花の意味であり,バラやサクラとはまったく関係がない。ギリシア神話では,青年パラリソスParalisosが許婚を失った悲しみにやつれ死に,サクラソウに変身したと語られる。この話から,西洋文芸においては悲しみや死のシンボルに使われる。イギリスでは弔花あるいは棺を飾る花であり,春先に咲くことや,薄幸やはかなさとの連想などから花言葉も〈青春〉ないし〈若者〉。また若さにまかせた享楽的生活を比喩的に〈サクラソウの道primrose path〉という。ビクトリア朝期の政治家ディズレーリはこの花を愛したので,4月19日の彼の命日はPrimrose Dayと呼ばれ,市民はこの花を身につけるという。
とある。
せっかくのお花づくしなんだから、言葉の話をもっとしてみようか。『日本方言大辞典』によれば、「桜草」は大分市(1933〜1934年調査)の一部では「コスモス」(いずれ話すだろうし有名だが、こちらも和名・秋桜。たまに難読クイズで「秋桜」と書いて「コスモス」とよむということを見かけるが、間違っているというつもりはないけれども、正確には当て字。戦後になってから当てられはじめたらしい。『花のことば辞典』『新明解国語辞典第8版』)、山形(1970)・岐阜(1934)・三重県(1933)一部地域では草夾竹桃(クサキョウチクトウ)の意味だそうだ。逆に、地域によって車草(くるまぐさ)・桜麻(さくらあさ)・縄綯草(なわないそう)・めどち花(ばな)などと呼ばれる。
くるまそー:埼玉(1931〜1938)・長野(1950)・岐阜(1959)
くるみそー:新潟(1936)
さくらあさ:山口(1737)
なわないそー:富山(1919、1935)
めどちばな:青森(1936)
(『日本方言大辞典』を元に引用者が整理)
また『日本国語大辞典』に載っている用例としては、
*俳諧・毛吹草〔1638〕二「三月〈略〉さくら草」
*大和本草〔1709〕七「桜草 三月紫花を開く。桜花の形に似たり」
*俳諧・素丸発句集〔1796〕春「盛り切りの飯売〓やさくら草」
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「サクラサウ」
*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一〇「萱野へ行って桜草(サクラサウ)を取って」
というものもあり、やはり本格的な歴史は江戸時代からなんだろう。
富本節の家の定紋。転じて、富本節の異称。
*雑俳・柳多留‐九四〔1827〕「酒池肉林の花となるさくら草」
という語釈と用例も載っている。富本節(とみもとぶし)は浄瑠璃節の一派だそうだ。
のみならず、「桜草売(さくらそううり)」という言葉まである。
鉢植えの桜草をかついで売り歩く人。また、その業。
*随筆・守貞漫稿〔1837~53〕五「桜草売 〈略〉さくら草は季春の比売〓之。瓦鉢に植る」
蘊蓄傾けすぎて、途中でそっけない話になってしまった。
最後に一つだけ紹介しよう。
「桜草の鉢植へ鳳凰が降りた」
鳳凰は桐の木に舞い降りるといわれているのに、それがこともあろうに桜草の鉢植えに降りたとは。突飛なこと、荒唐無稽なことのたとえ。「鳳凰」は、中国の空想上の瑞鳥。
*洒落本・南極駅路雀(1789)「口じゃア桜草の鉢植へほうはうがおりたともいわれるものだ」
(『故事俗信ことわざ大辞典』)
『詩経』はじめ儒学経典では、聖君の世にしか顕れない吉兆・しるしこそが鳳凰という。桐に宿るという話は『荘子』にも見える有名な話だ。
昔の話となったから、日本におけるサクラソウの記録を振り返ってみよう(なお、以上のフォームは今後とも維持する計画)。『古事類苑』(植物部)を引いてみましょう。
『書言字考節用集』(おそらく元禄11年=1698の『和漢音釈書言字考節用集』)六・「植生」:「櫻草サクラサウ」
貝原益軒『大和本草』(宝永7年=1709)七・「花草」:「櫻草 三月紫花ヲ開ク、櫻花ノ形ニ似タリ、又白色アリ、ウスキ紅黄色アリ、高キ事一尺餘ニスギズ、葉ハ蘿蔔ニ似テ小ナリ、花如錢大畏寒暑、又九輪草アリ、七重草アリ、此類ナリ、好陰地」
→意訳:桜草は3月に紫の花が咲き、その花は桜の花の形に似ている。また白いもの・薄紅色のもの・黄色いもののものもある。高くても1尺(約30センチ前後)余りを超えない。葉は大根に似ていて小さく、銭くらいの大きさで、寒さや暑さに弱い。九輪草(クリンソウ、Primula Japonica)や七重草(ななえぐさ、植物「さくらそう(桜草)」の異名。*俳諧・俳諧二見貝〔1780〕彌生月「桜草 七重屮トモ」、『日本国語大辞典』)というものがあって、同じ類いである。陰の地を好む。
『和漢三才図会』(正徳2年=1712)九十四末・「湿草」:「桜草 按櫻草生山谷中、即九輪草之一類異種也、葉形相似微小、邊無齒刻不甚光澤、而葉心白、〈九輪草葉心紫〉三四月抽莖頂生花、似九輪草花而單、淡紫色、或白色、又如櫻花最艷美、故名櫻草、結蒴兒青色、内結子、初青後茶褐色、人家移種之」
→意訳:桜草 思うに、桜草は山谷に生える。つまり九輪草と同類の異種である。葉の形はよく似ているがやや小さく、辺(まわり)に歯刻(ぎざぎざ)はなく、それほど光沢はない。葉の心は白い〔九輪草の葉の心は紫〕。三、四月に茎が抜ん出て頂きに花が生える。九輪草の花に似て単(ひとえ)の淡紫色が、あるいは白色で、また桜の花にも似ている。大へん艶美で、それで桜草という。蒴児(さくじ、子を包んでいる胞)を結ぶが、青色で内に子を結ぶ。初めは青く、後に茶褐色になる。人家ではこれを移し種(う)える。(『和漢三才図会』17、東洋文庫、1991年、71頁。)
岩崎灌園 (いわさきかんえん)・阿部櫟斎 (あべれきさい)『草木育種』下(天保8年=1838)「美花」:「櫻草 種類甚多し、悉擧に暇あらず、大抵黒ぼく土五升、下谷邊の溝のあげつちを、曝し墾(こな)し、細に篩たるを五升、鳥のふんを入てまぜ合せ、此土へ二月初に根を分植てよし、一説に馬糞水を澆ば花多しと云、あまり肥過たるは葉大にして花の莖長く、且少して不揃なり、又ゆき わりさうあり、小ざくらと云、日光山にあり、葉小く花も頗小く淡紅し、又阿蘭陀には黄色のさくらさうありといふ」
佐藤信淵 (のぶひろ)『草木六部耕種法』(天保3年=1833)十・「需花」:「櫻草モ作法同様ナリト雖ドモ、〈眞土野ヲ論ズルニ及バズ、少シク砂ノ交タルニ、馬屎干鰮油糟酒糟、及ビ厩肥ノ能蒸テ粉ニ成タルヲ、耕交置テ植ベシ、〉此物ハ種類頗多ク、又雪割草ト云モ有リ、俗ニ小櫻ト呼ブ、日光山ニ多シ、葉モ花モ小クシテ淡紅ナリ、又ホウドキト稱スル有リ、莖葉頗大ニ紅白黄ノ三色アリ、出羽奧州ニ甚多シ、此ヲ作ルニハ野土ノ粘ラザルモノ一荷ニ、炙日泥〈培養秘録ニ詳ナリ〉一荷、鷄糞五升、鰛粉五升、以上四種共能耕交タルヲ花壇ノ如クニ置テ、二月初旬ニ其根ヲ分ケ植ウベシ、或ハ馬溺ヲ澆バ花多シト云フ説有リ、然レドモ肥養ノ過タルモ宜シカラザルコト有リ」
岩崎灌園『武江産物志』(文政7年:1824)「遊觀」:「櫻草、紫雲英(れんげさう)、 戸田原 野新田 尾久の原〈れんげさうすみれあり〉 染井植木屋〈立春より七十五日位〉」
喜田川季荘 (きたがわきそう)『守貞漫稿』(天保8年=1838~嘉永6年=1853年)六・「生業」:「三都トモニ市店無之、唯江戸ノ陌上ヲ巡ル生業
櫻草賣 サクラ草ハ季春ノ比賣之、瓦鉢ニ植ル、〈◯中略〉植木屋ト同形ノ具ヲ以テ擔ヒ巡ル」
→意訳:江戸・京都・大阪にこれを売る店はなく、ただ江戸の道を回る商売・サクラソウ売りはサクラソウを春の末頃に売り、すりばちにうえる。(中略)植木屋と同じ道具を背負って巡る。
…ということで、プリムラとサクラソウは非常に近似している種ではあるが、やはり日本国内種のサクラソウと外来種のプリムラはやや異なるみたいだ。サクラソウはやはり春に咲くのだろうか。ここでいう3月とは陰暦(旧暦)の3月だろう。しかし、旧暦では1月から3月まで(新暦でいえば大体2月~4月前後だろう)が春。立春も大体旧暦12月末~1月初旬頃(新暦でいえば2月3~5日前後)。ということは、新暦の3月ころから咲き始め、4~5月に盛りで商品として売られる、といったところだったのろう。それで、夏前に散ってしまうのがやはりプリムラと同族ともいうべきところ。
そんなことはどうでもよい。花にこんな華のない話なんて無粋すぎる。次の言葉でしめくくろう。
だから、好きな人がいれば、咲き誇っている今のうち、プリムラを差し上げれば如何だ。花自体ももちろんとても綺麗だが、あなたは私の最高で、一番の人で、いつまでも愛情を注ぐべき人であり、私に春をもたらしてきた人だと。加えて、小林一茶が52歳でやっと結婚できて、その2年後嬉しさあまりに詠んだ「こんな身も拾う神ありて花の春」(『性からよむ江戸時代』)も添えてな。まさにあなたはこんなさくらそうのような小さな花に降りてきたとんでもない大物でいらっしゃると。そんなあり得ないことが実現してしまって、あなたに巡り会えたとさ。
私にはまだそういう人がいないんだけどね。でもいつかいってみたいよね。
そんな人になってくださる方募集中です(迷言)この最後の一言は要らなかったな、いつも一言多くて損する吾が輩よ。というか書き並べてみたら少なくともサクラソウは全然この季節の花じゃねーじゃん。最初回早々すべっちまったもんだぜ
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