マガジンのカバー画像

ハウスドゥ社員インタビュー

15
不動産会社・ハウスドゥで働く社員の本音とは? 実際のエピソードや仕事を楽しむヒントをコラムでお届けします。
運営しているクリエイター

#営業

120%で働いて休職した私に、上司が言い放った言葉

新美舞子:2014年入社。新卒で入社し、事務職と設計職を経て企画・広報に。 ■酒屋仕込みの英才教育で、無事社会人に 実家が酒屋の私は、仕事の英才教育を受けて育ちました。 というのも、お客さんから仕事の話をたくさん聞かせてもらったからです。 漠然と将来について考えて始めた高校生時代、ほとんどのお客さんは私に 「社会人になったら大変だぞお。学生のうちは遊んでおけ」 と言いましたが、ひとりだけ 「社会人は楽しいよ」 と笑うお客さんがいました。その人が建築士だったので、 「建築

不動産営業は仲介と売買のどっちがいい?両方経験してわかった適正

田原章雄(不動産仕入れ営業) ■仲介営業一筋だった私が、不動産仕入れ営業になった理由 実は、ハウスドゥの中途採用を一度辞退しています。 前職は別の不動産会社で仲介営業をしていたのですが、ハウスドゥに転職した元同僚から 「総合不動産会社でフランチャイズ展開もしていて、将来性がある」 と聞いて中途面接を受けて合格したものの、前職の業務が忙しくて辞めるタイミングを失い、辞退したんです。 それでも採用担当者から1年近く「最近はどうですか?」といった連絡が定期的にありました。そ

高卒で底辺給だった僕が、未経験で不動産上場企業の部長になれた理由

伊藤基晃:2012年入社。未経験から営業部の部長に。 ■一番苦手だと感じた営業職に、あえてチャレンジ 僕が一番苦手意識を感じていた職種は、営業職だ。 スーツを着て仕事する姿をイメージしただけで「苦手だ」と思った。 でも、営業職になった。しかも不動産。 人に話すと「なんで?」と驚かれる。 僕は高卒で、当時の給与はお世辞にも高いと言えず、仕事を掛け持ちしても、生活していくのがやっとだった。 このままずっと働き続けるには過酷すぎたので 「底辺からどこまで上に行けるか試した

独立するつもりだった僕が会社員を選んだ理由

池淵寛之:2012年入社。新卒で入社し、南日本営業部の部長に。 ■「お金を稼ぐだけじゃ意味がない」と言う代表に惚れた 僕の実家は、地元・出雲にある昔ながらの写真館だ。 いずれ継ぐつもりなので、就活では 「営業になって売る力をつけつつ、しっかり稼ごう。大きな取引ができる職業に就きたい」 と思い、安易な気持ちで営業色が強く稼ぎやすい不動産会社や証券会社に絞って面接を受けた。 デベロッパー業者から内定をもらって入社する気満々でいた僕に、父は 「お前、なんでその会社に行こうと決

楽な仕事は楽しくない。楽しく働くたった1つの条件

内藤風章:2014年入社。新卒で入社し、営業から施工管理へジョブチェンジ。沖縄エリアでチームリーダーを務める。 ■「体育会系っぽくない」という理由で再面談 実は、ハウスドゥの一次面接を2回受けている。 10年前、大学生だった僕は 「社会人になったら、自分の力をとことん試したい」 という思いがあり、就活では年功序列の会社ではなくベンチャー志向の会社を目指した。 営業を選んだのは、当時の自分にとって職種は「営業」と「事務」の二択しかなく、 「学生時代にサッカーしかやってこ

新卒入社した会社がM&Aされたベテラン社員の本音

坂本陽一郎(店長) ■長年働いた会社が突然、M&Aで吸収された 長年勤めている会社がある日「違う会社」になったら、あなたはどう思うでしょうか? 私が新卒入社したのは小山建設。創業50年の歴史を持つ、地域密着型の中小企業です。賃貸営業から始まり、売買仲介と建設営業を兼務しながら、2019年まで働いていました。 中小企業だからこそ社長と直接コミュニケーションし、チーム一丸となって働く一体感があり、幅広い業務に携わりながら一定の成果を出せていました。 ところが、ある日突然M

前職でドン底だった私が、事業部長になるまで。

古田治(売買事業部長) ■ドン底の元保険営業担当が不動産営業へ もう14年前の話になる。 保険の営業担当として働いていたころ、私は人生のドン底にいた。 「保険の営業担当」と聞くと、厳しいイメージを持つ人が多いだろう。実際、厳しい仕事だった。 まず、顧客を獲得するのが桁違いに難しい。 保険営業は、会社からお客様を渡されることがほとんどなく、自分で0から開拓していかないといけない。さらに9割の人はすでに保険に入っているので、切り替えてもらえるように営業する必要がある。 そし