備忘録(2)

対人ゲームを遊ぶとき、自分ルールを設けることにした。

1つ、最低でも50戦は遊ぶこと。
2つ、頑張れるようなら上位2割のところまで遊ぶこと。

というのも、面白さと自分の好みは別の次元に存在するからで、どんなにファーストインプレッションがゴミでも、遊ぶうちに「あれ?なんかこのゲーム、俺のこと好きかも……トゥンク」になるかもしれないからだ。
双方の機会損失を防ぐためにも、ちょっとは浅瀬より深いところまで行こう、ということである。

ちなみに、1つ目はゲームの理解度を高めるため、2つ目はゲームの上達による面白さの度合いを知るために設けている。

当然のことながら、対人ゲームには「自分の行動」と「相手の行動」の2つが関与する(システム側の割込みは「相手の行動」に分類している)。よって、面白さは①自分の行動を上達させること ②相手の行動を読むこと の2つから発生しがちになる。むしろ対人ゲーでこれ以外から出たら刮目して見たほうが良い。
よくわからんちん、という人は、格ゲーは一定のボーダーまでは自分のキャラのコンボさえ覚えていればOKだけど、対面のキャラの確定反撃とかコンボを理解しないと上には行けないよ、みたいなのを想像してくれればいい。

この、①自分の行動を上達させること はオフゲーでも体感できるが、自分の行動の可否が相手に依存する場合、理論上無限に上達の余地が存在することになるのが大きな特徴となる。これが嫌な人もいることが最近話題になった。対人ゲームを上げてソロゲーを下げるやつはここが考えの基盤になっている。

②は面白いように見えるが、実は結構くだらない。ここが面白くなっているのは開発・調整の涙ぐましい努力によって成り立っていることを忘れないでほしい。
相手の行動を読んで、それに対するカウンターを用意すること、そして相手がその行動を出す理由が明確に存在すること、この2つを両立させることはものすご~~くむずかしいからである。勿論、これはそのキャラ特有の強み、みたいなものを用意すれば実現できるのだが、その調整はとてもしんどいのである。
調整を放棄して全キャラをリュウにしたり、じゃんけんに重み付けをせずマジモンのじゃんけんにした瞬間にゲームはクソゲーになってしまうのである。ここら辺の話は長くなりそうだから端折るけど、何となく分かってほしい。
むしろ②の本質は①に近くて、自分が相手になった場合のことを想像して考える……みたいなことかもしれない。

話がそれてきたな。こんな短い話でも、すべてを共有するためには必要な情報、もしくは価値観が多すぎるかもしれない。
そうだ。FPSのことを話すためにこの記事を書き始めたんだった。
以前よりFPSアンチだった僕が、食わず嫌いを無くすためにちょっと触れ、クソ面白くなくて、いや好みに合わないながらも頑張ってプレイした、という話である。

たいていの対人のFPSは不完全情報ゲームである。
不完全情報ゲームというのは完全情報ゲームでないゲームのことである。
完全情報ゲームというのは

すべてのプレイヤーが、自身が意思決定をおこなうすべての時点において、それ以前に行われたすべてのプレイヤーによる意志決定の内容を観察できる

https://wiis.info/economics/game-theory/game/game-of-perfect-information-and-game-of-imperfect-information/

ことである。
つまり、不完全情報ゲームとは、
すべてのプレイヤーが、自身が意思決定をおこなうすべての時点において、それ以前に行われたすべてのプレイヤーによる意志決定の内容を観察できる
わけではないゲームとなる。
オセ口やチェス、イゴなどが完全情報ゲームで、麻雀とかポーカーが不完全情報ゲームとなる。
ここで、不完全情報であればあるほどカジュアル寄りになる、という持論を展開したい。
50000年前から言われていそうなことだが、改めて言わせていただきたい。
ゲーム的にはカジュアルの反対はフォーマルでなくてコアということも改めて言わせていただきたい。
展開って言葉かっこよくね?傘差すときも展開!って言いたいよな。

ちょっとFPSに戻る。FPSは開示されている情報が少ない。超少ない。マジで少ない。視界だの聴覚だので、相手の行動が分かることはあんまりない。カウンターストライクみたいな短距離走のゲームは特にそう。というか今から話すのはカウンターストライクのこと。
これが何を意味するかというと、負けた際の「反省点」が、思い浮かびにくい、ということである。負けた理由は敵の弾が俺の頭に当たったから、なんだけど、じゃあ何で当たったか、というところが、明確に分かるシチュエーションが少なすぎるのである。麻雀で言えば2巡目でリーチされてるみたいな状況が多い。そりゃ当たったら不運ですね、で終わるわけです。しかもオリれねえし。
相手の行動が全然わからん以上、改善点は必然的に自分の行動に絞られてくるわけで、だからエイム練みたいな現象が起こるわけです。リプレイなんて見る必要なし。棋譜見て勉強するか~wなんてことを思っている人はFPSをやらない。

負けた原因が「不運」で終わりがちなので、コミュニケーションツールとしてはうってつけなのである。エイム良くしろ!なんて言える訳ないし。
相手の行動が読みづらいゆえに、言ってしまえば、FPSは複数人で遊べるソロゲーと化してしまっているのである。そりゃ流行るわけだ。
だから、不完全情報ゲームはカジュアルになりやすいんですね。僕の思う面白さとはとてもかけ離れているけど。

ということで、明日からは一人ゲームに移ります。ピン抜きパズルのえっちなゲームを見かけて購入したので、それも楽しみです。ほな、さいなら……


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