備忘録(2)のおまけ

キャラクターが思うように動かんなあ、というゲームがある。大抵のゲームはそうで、そこが難易度に絡んだりしがちなので、おいそれと「操作感が悪い!クソゲーだ!」とは言いづらい。こんな風に、思うように動かんなあ、というゲームを「不満足操作ゲーム」と呼ぶことにする。
ちなみに、不満足操作はプレイヤーの習熟によってある程度改善可能である。満足操作ゲームは操作が鍵を握らないゲームで、カードゲームとかシミュレーションとかになる。

また、ゲームによってこの操作感というのはひどく上下する。
モンハンやスーパードンキーコング(GBA)と、フォールガイズやヒューマンフォールフラットを同列に置くことは出来ないように、操作感、操作満足度はゲームによってまちまちなのだ。
では、なぜゲームの操作感が悪いのか、というと、最近は「わざと」やっていることが多い。またも室町時代には言われていそうなことだが、不満足操作であればあるほど、カジュアルになるのである。というか、カジュアルになるしかない。

対戦ゲームをやっている時、こう思うことはないだろうか。
「あーあ、同じぐらいの腕前のプレイヤーと遊びたいなあ」
大昔ならまだしも、今はランクマッチとか内部レートとかの恩恵で疑似的にその願いは達成できるはずなのだが、愚かな人類は未だにそのようなことを言うときがある。
不満足操作ゲームこそ、この「同じぐらいの腕前」を体現する切っ掛けと成り得るのである。全プレイヤーに強烈なハンディキャップを掛ける、もしくは複合操作でなく単純操作に絞ることで、だいたいのプレイヤーがだいたい同じぐらいの腕前になる、のである。

お手手を繋いで一緒にやろう、的な日本人ゲーミングの風土では、このようなシチュエーションは最適であり、コミュニケーションツールとしてのゲームには最適なのである。

そういえば、ここまでで触れていない大ヒットコミュニケーションツールゲームとして「人狼ゲーム」がある。が、これはゲームシステムが面白さに繋がっているわけではなく、人間の会話の面白さを引き出すタイプなので、ちょっとこういう文脈では語りづらい。またの機会に。


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