絶望系の文章を読むのも自己責任
今回も例に漏れずブラウザバック推奨の記事ですのでご了承を。それでも最後まで読んで頂けると幸いです。
前回の記事でも書かせていただいたが、僕は「絶望系」ブログやアカウントに多大な影響を受けており、今でもたまにお邪魔することがある。
彼らの文章は僕みたいにネガティブ耐性がある者は問題ないけれども、それ以外の人にとってはかなり刺激が強いと思うし、下手したらトラウマになってしまうかもしれない。僕の文章もそれに近いと言われればそれまでだが。
そこで勝手に懸念していることが、こうしたブログを読んだ人が最悪の結末を辿った時ににその責任をブログ主に問うケースだ。
絶望系ブログではないけれども、過去に鶴見済氏の著書「完全自殺マニュアル」のレビューにて自殺をした家族が著書を所持していて、そのことで痛烈に批判していたのを見た。
僕のブログでも以前書かせていただいたが、完全自殺マニュアルは自殺を推奨する本ではないし、自殺された方の原因は別のところにあるのではないかと考えている。
確かにその方の行動に影響を与えたというのは事実だろう。しかし、実際に自殺を教唆したりほう助したりしなければ書き手に罪は問われない。
絶望系とは真逆の自己啓発系や根性論系の本を読んで鬱になり、それで命を絶ったとして、それを本や著者のせいにするのもおかしな話ではないのか?
あくまでも読み手の責任であり、命を絶つ前に自己のケアを行うべきだったのだ。
まあ絶望系ブログなんてものは本来存在しなければ良いのだろうし、他者に
薦めるものでもない。それでも書かずにはいられない、読んでいると安心してしまう層もいるのも事実なのだ。
もしも絶望系ブログを一掃しようとする法案が可決されたらそれは悪手であり、単に臭いものに蓋をするだけだ。
そんなことよりももっと根本的なものに目を向けろと強く言いたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?