ボードゲームを作る理由〜少年時代編(2)〜【1-2】
この記事は私HOUROUが現在ボードゲームを作る理由を再確認しようと、少年時代に遡った話の続きです。
前回をまだお読みでない方は、下記のリンクからご覧ください。
ボードゲームを作る理由〜少年時代編(1)〜
起/少年時代(2)
私の作った紙ペンすごろく風ゲームはクラスに一大ムーブメントを起こしました。
しかし、1つのエンターテイメントというのは終わりがくるものです。
ボードゲームで言えば、終了条件です。
私の作ったすごろくゲームは最後のマスにラスボスが待ち受けていました。
…あの日のことを今でも鮮やかに思い出せます。
クラスの男の子たちが操るそれぞれのドラゴンは最終形態まで進化し、六角えんぴつのどの目が出ても強力な技が繰り出せます。
ダイスロール…ではなく、えんぴつロールの行方をみんなが固唾を飲んで見守り、ロールする側も手に汗握りながら、運を天に任せていました。
からからからん。
えんぴつが乾いた机に転がります。
停止。
勝利を決定づける、えんぴつロールの出目。
…彼らは見事に勝利をもぎ取りました。
今思えばゲームバランスはゆるゆるでしたから、割と一方的な戦いでした。
それでも男の子たちは自分たちのプレイするゲームに熱中し、そして終了条件を迎えたことに、ある種の満足感を得ていることが伝わってきました。
私もとても嬉しかった。
押し寄せる幸福感。
作者にとってのゲームは、第三者に遊ばれてこそ初めて終了条件を迎えます。
それはこの時に初めて学んだのだと思います。
「たのしかったね!」
「ボスかっこよかった!」
「あのとき、○○してくれたから勝てたよ!」
子どもの純粋な感想など、今思えばなんて贅沢なんでしょう。
自分のゲームでなくとも、感想戦は今でも大好物です。
座りながら、そしてニヤけながら聞いていた私に突然、とある疑問が降りかかりました。
「HOUROU! 次は何作るの?」
次?
からからからん。
どこかで、えんぴつが、乾いた机に転がったような音が聞こえました。
空耳。
いえ、もしかしたら、
自分で意図しない、コントロールの効かない歯車が回り始めた音だったのかも知れません。
次。
男の子たちの期待に満ちた目が、多くの目が、私を捉えていました。
プレイしていなかった、観覧していた男の子たちもそれを私に向けています。
押し寄せた幸福感が波のように引き、私はその日のうちに新作のカードゲームに着手しました。
期待に応えないと。
このカードゲームが私が小学校生活で作る最後のゲームになりました。
そしてこのカードゲームは男の子だけでなく、クラス全体を巻き込むことになります。
良くも悪くも。
…本日はここまで。
続きはまた次回とさせていただきます。
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それではまた。
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