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うまくなるとは

短歌の修行、と言う文字列を見た。
修行……結構慄いてしまう。
まぁ私も百首会とか好きだけれど。

前に書いて結構話題になった私のnote記事があったが、消してしまったので少し話が被るが私の話をする。
私は今年で短歌を始めて13年目だが、1年離れたので歴は12年。
でも、7〜8年目までぼーっと過ごしていた。Twitterをあまりやってなかったと言うのもあって、競争にさらされず、人にあまり嫉妬したりもせず、ゆるーくやっていたのだ。この頃も賞に出したりはしてたので、「うまさ」を意識していたのは間違いないが、今のそれとは比べものにならない。でも楽しかったし充実していたように思う。
Twitterを始めるようになって、短歌人口も増えて、そうすると必然競争にさらされる機会が増えた。競争にさらされると「うまくならなければ」と思う機会も増えた。これが結構苦しいし、その実よく分からないのだ。
多分、ストイックにそれこそ「修行」のようなことをしたら、自分の色も分かるし、安定感も出て、見てすぐ「この人はうまいな」と分かってもらえるようにはなる。ただ「良い短歌」が全部そうとは限らないし、何より「苦しくなって」は本来だめなのでは、と思う。
苦しんで修行して「うまい」境地を目指す人を否定する気はさらさらない。むしろすごいことだ、と思う。でも一概にそうじゃなくて良いと私は思う。
休んだり離れてみたり惰性で作ってみたり、色々あって良いと思う。楽しい、やりたい、好きだ、という気持ちが大事に思える。だからお前はぱっとしないんだ、と思われても仕方ない。私は無理をして苦しくなるのは嫌だから。

私はほとほと嫌になって離れて、でも好きな気持ちが抑えきれず戻ってきたものの、いまだにしばしば苦しくて、そういうときは昔のことを思い出したり原点に帰ったり(なぜ短歌をやっているのか、と言う理由を思い出す)してコンディションを整える。

百首会なんかできなくても何も問題ない。今年にでも賞が欲しい! とかなら別かもしれないけど。
これを見ている皆さんはおそらくまだ先が長いのではないだろうか。焦る必要はないから自分のペースで少しずつ良くなっていけば良いと思う。

偉そうに書いてしまったけど、そう言うのが息長く続けるコツなのかなと思っています。

お読みいただきありがとうございました。

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