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医心方について(2)

著者の丹波康頼(たんばのやすより)は、

阿智王の孫にあたります。

後漢・霊帝第三代の子孫である阿智王が日本に帰化。坂上一族となった後、その孫が著医心方を著し、

円融天皇から花山天皇に代わった永観二年に、

医心方を献上した事で丹波姓を拝受し丹波の地に封ぜられています。

つまり、霊帝から数えて五代目です。

細かな流れは書籍等を読んでもらうとして、

その後正親町天皇の代に半井家に下賜され、

江戸期に多紀家が江戸医学館から出版し、一般の人でも読めるようになりました。

多紀家は丹波康頼の流れ、

そして

半井家は垂仁天皇から和気清麻呂、半井家と言う流れになっています。

つまり、純和風医学(和気家)と漢医学と言う和漢混合だけでなく、宗教も民間療法も兼ね備えた当時最高の医学書が丹波家から和気家へ流れ、江戸期にまた丹波家が取り戻し、世間へ広めたのが医心方と言うわけです。

阿智王がなぜ日本に渡来し、帰化したのかは調べていませんが、

この時代に既に分野も国境も越えて、

命についてあらゆる角度から観た書を書き、まとめた事は驚愕に値すると同時に私と同じ想い、

医学は病だけを観るのではなく、人を観る必要がある

1は10にも、100にも、1000にも、
万にも分けられるが要は1

と言う事を理解、実践しておられたと考えています。

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