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老子道徳経と中医学的身体観五十三




副題 益證

中医学的身体観としては、

心は無心であってこそ、必要な時に最大の力を発揮でき、

無心である為には腎が規則的に気を消費、循環する必要がある事。

つまり、心腎相交は腎水が上へ上り、心火が降りる事で命が維持できている事を表現しています。


鳳凰堂流解釈

体験によって智恵があれば、力を抜く事に注力し、徒に力を使わない。

知識で頭ばかりが先行しても身体を無駄に浪費するだけだから。


鳳凰堂流意訳

私に英知があり、『道』にもとずいた政治を行うとしたら、私は煩わしい政策をやたら施行しない。  

大きな道は平らだが(検問所などがある為)、人々は小道を選ぶ。  

宮殿は非常に美しく清められているが、田畑は荒れ放題、民の倉庫は空っぽなのに、王侯、貴族たちは美しい着物を着て、鋭い剣を帯びている。  

おいしい食べ物にも飽き、有り余る財産を保有する。まさに『非道』な話ではないか。

直訳

われをして介然(かいぜん)として知るあり、大道を行なわしむれば、ただ施
(ななめ)ならんことをこれ畏る。大道は甚だ夷(たいら)なれども、民は径
(こみち)を好む。

朝甚だ除(ととの)えば、田甚だ蕪(あ)れ、倉甚だ虚(むな)し。文綵(ぶんさい)を服し、利剣(りけん)を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨余りあり。これを盗夸(とうか)と謂う。非道なるかな。

原文

使我介然有知、行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好徑。朝甚除、田甚蕪、倉甚虚、服文綵、帶利劔、厭飮食、財貨有餘。是謂盗夸。非道哉。

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