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養生訓巻第一 貝原篤信篇録 総論上 ⑬ 鳳凰堂流解釈


[原文を現代文に改変]
藥や鍼灸を用いるのは、やむを得ない時だけであり、人の命、健康全体の中での策としては下策である。

飲食、色欲を慎み、時節に従って寝起きし、良く養生すれば病なし。

腹中の硬く満ちていて食氣が支えている人も、朝夕歩行し、身体を疲れさせ、長い時間坐わったり、寝たりしないようにすれば、藥や鍼灸も用いず、硬く塞がるような憂いはなく、これが上策である。

薬は全て氣の偏り。

參茋朮甘と言った上薬であっても、病の気の偏在に合っていなければに害がある。

ましてや中下の藥は元氣を損ない他病を生じる。

鍼は泻法はあるが補法がない。

病に対応した泻法でなければ元氣を減らす。

灸もその病に対応せず妄りに灸すれば、元氣を減らし氣を上げる。

藥と鍼灸の損益は以上のようになっている。

その為、やむを得ない状況でなければ鍼灸、藥を用いないように心して、ただ保生の術を行う方が良い。

鳳凰堂流解釈
貝原益軒は養生の立場から発信している為、薬や鍼灸を上記のように言っていますが、そもそも養生ができる人には養生を指導するのが本来の治療家。

養生しておらず、病が出る前に気づかず、病が発症して、或いは発症してもほったらかした結果、症状が改善しない事で診させていただくのが現代の治療家。

立場が違うので表現は異なりますが、根本の大切さを語ってくれている事には賛同します。

但し、鍼が泻法しかないと言うのは大きな誤りで、鍼は泻法を通して補泻し、場所を指定できるからこそ、東洋医学において1番難しく、1番凄い技術だと言うことを知らないのは医家としてのレベルが問われます。

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