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養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈㉔


原文を現代文に改変

昔日本に方書の來たりし初めは、千金方なり。近世醫書板行せし初めは醫書大全なり。

この書は明の正統十一年に熊宗立編む。日本に大永の初め來たりて、同八年和泉國の醫阿佐井野宗瑞刊行す。活版なり。正徳元年まで百八十四年なり。その後活字の醫書ようやく板行す。寛永六年巳後扁板鏤刻の醫書漸多し。

鳳凰堂流意訳

昔日本に処方の書が来た時の最古のものは、千金方である。

近世での医学書が出版された初めのものはは医書大全である。

この医学書大全は明の正統十一年に熊宗立が編纂したもの。これが日本に大永年間の初め来て、同八年和泉の国の医である阿佐井野宗瑞が刊行した活版である。

正徳元年までの百八十四年間。その後活字の医学書がようやく出版される。

寛永六年以後は紛いものの医学書がやや多くなる。

鳳凰堂流解釈

中国から来た医学書2点の説明。

千金方、医書大全はまだ全て読み込めてはいませんが、医心方の抜粋は千金方からのものも多い為、死ぬまでには読み合わせていきたい書の一つです。

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