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医心方 第二十七 養生篇 大體第一 鳳凰堂流解釈(3)


 養生要集とは、張湛が著したとされる書物ですが既に散逸しており、張湛自身も晋代の人が有力ですが、北魏にも同じような人がいたそうです。

    養生要集については、、陶弘景が編纂した『養性延命録』上で「張湛・養生集の銭に臼 く(曰く)」として、十項目の大要が挙げられています。

以下鳳凰堂流解釈

養生の大 要は、 
1、脚を大事にする事
2、気を大事にする事
3、形を大事にする事
4、呼吸による気の出し入れ(導引)を大事にする事
5、 言語
6、飲食
7、房室(夜の性交渉)
8、今流行の風俗(ファッションや芸能等)は切り離して考える事
9、調味料や薬
10、禁忌
この10項目を意識すること。やっていなかったりやり過ぎれば意味がなくなる。

養生の具体的な方法については人によっても、養生法にも機微(各個人の特性やタイミング)があることを示してくれています。

この辺りの引用の順序はさすがに丹波康頼の心配り、考えて練り込んだ部分が現れています。

養生要集には次のように書かれています。

神仙図に書かれているのは長生する術であり、それは行動としての歩行法、立ち居振る舞い、飲食、呼吸にある。この全てを意識して一日中忘れず、神気が身体から逃げないように保ち、心神と身体が一体化していることが、長生である。

又養生要集に引用されている中経には次のように書かれています。

五常の気を受ける際には、気には静躁剛柔の性質があるので簡単ではありません。

静の性質を持った人は騒がしくさせすぎていてはいけない。

躁の性質を持った人が静かにさせすぎていてはいけない。

静躁の性質の違いを間違えればそれだけ気を失い、この性質を無闇に解放しすぎれば害となる。

静の性質の場合の弊害は、開通せず塞ぎ込みがちなところであり、

躁の弊害は精密、緻密なものが不得手であることである。

この性を上手く調整する為には、自分の性質を知って性質に順い、分に順い、抑えるところは抑えて損益を調整すること。

つまり適度、中庸が肝心です。

静の性質を持つと寿は長くなりやすく、躁は命が短くなりやすい。しかし、静の性質であっても養わなければ命は減り、躁の性質であっても能く養えば延年長寿を持つ事ができます。静は制御しやすく、躁は将軍を従えているような難しさがある。養う事の適宜は静も躁もどちらにも必要な事です。

又次のようにも書いています。「大体においてものおしみせずにふるまい、あくせくしない人間は長寿を保ち、けちでせかせかと焦って動き回るものは短命。拘り無くさっぱりしている人間とくよくよと執着する人間との違いです。小作人は長命で、富祐な家のものが短命なのは、欲望の少ない者と多い者との差がこの様な結果をもたらしている。」

仕官せず、物作りをしている人は病む事が少なく、故郷を離れて仕事に着いている人間が多病なのは、事務仕事の繁雑さや人間関係の違いである。

俗人は自分の利益を守ることに汲々としているが、道を志す人は自分の欲の為に目が眩んで、ものの本質を見失うことは滅多にない。

と言う風に書かれています。

端的に言うなら、
1、その日のマイナスに感じた事は次の日に持ち越さない。(心の調整)

2、身体のケアを十分に行う。(身体の調整)

3、言葉、飲食、夜の営み、今流行の事等をしっかりと考え中庸を保つ。(言動や外の流れの調整)

この3点です。

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