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医心方 第二十七 養生篇 大體第一(9)鳳凰堂流解釈


晋代の葛洪が書いたとされる抱朴子には、

「寿命を長く保ちたいと思う人は、必ず善を積み、功を立て、物に慈悲心を持とうという気持ちを常に心がけるべきである。

自分の怒りを人にぶつければ、仁に影響し、昆虫にすら及ぶ。

人の喜びを自分の喜びのように楽しみ、人の苦しみを自分の苦しみのように感じ、人が焦っていれば落ち着く雰囲気を出し、人が危急の状態に陥っていれば救う。

自分自身から傷を押さえ、幸福を勧めて行くのではなく、そういう人がいたら自分自身に起こっているように感じ、失う人がいたら、自分が失っているように感じる。

自尊心は持ちすぎず、自分自身を褒める事はなく、自身より優れたものを持つ人に嫉妬せず、妄りに愚痴をこぼさない。

このようにしていれば、徳は育ち、天から福が降り、したいことは必ず叶い、仙人のように行きたいと思えば叶う。」と書かれています。


また、更に

「五声、八音、音楽、高い音調は聡明さを損なう。華麗な装飾、色彩、キラキラしたもの、腐った温かさは明を損なう。遊び楽しむ、安楽に耽る、清酒、芳香な酒はその人の性質を乱す。妖艶な容貌、媚びた姿、素質は命を伐るものとなりやすい」等とも書かれています。

抱朴子にも老子に書かれていた損益について書かれています。

「損する事は分かりやすく、直ぐに損は起こる。

益する事は分かりにくくて、時間もかかる。

このような簡単な事も理解せずにそれより難しい事が分かるわけがない。

損は灯火の脂が消えるように、見ている間に直ぐに尽きて消える。益は苗木を植えるように時間はかかるが、育ちだすと一斉に繁る。

従って身体を治め、性を養う場合もできるだけ細かく行い、しかもやり過ぎないようにする。小さな益をすぐに求めようとするものではない。小さな損をすることは損ではないと考えて、小さな益なら損しても良いと考えるべきではない。

小さな事を集めていけば大きな事に繋がり、1を積むからこそ億になるからです。この微細だと思われがちな志を大きく持つものは道を知るものと同等の価値がある。」と書かれています。

損益については、老子も同じことを言ってましたね。

鳳凰堂は現代では一見愚者に見える行為を大切にしています。

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