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養生訓 巻第七 用薬 鳳凰堂流解釈⑮


日本人は中夏の人の健にして、腸胃の強きに及ばずして、藥を小服にするが宜しくとも、其形體大小相似たれば、其強弱の分量、などか中夏の人の半に及ぶべからざらんや。

然らば藥劑を今少し大にするが宜しかるべし。たとえ昔よりあやまり來りて小服なりとも、過っては則改るにはばかる事なかれ。今の時醫の藥劑を見るに、一服この如く小にしては、補湯といえども攝養の力なかるべし。

況んや利湯を用ゆる病は、外風寒肌膚をやぶり、大熱を生じ、内飲蜀腸胃に塞がり、積滞の重さ鬱結の甚だしき内外の邪氣甚だ強き病をや。

小なる藥力を以て大なる病邪にかちがたき事、たとえば一盃の水を以て一車薪の火を救うが如し。

又小兵を以て大敵にかちがたきが如し。藥方其病によく應ずとも、かくの如く小服にては、藥の力なくて効(しるし)あるべからず。

砒毒といえども、人服する事一匁許(ばかり)に至りて死すを古人言えり。一匁より少なくしては、砒霜を飲んでも死なず。河豚も多くくらわされば死なず。つよき大毒すらかくの如し。

況ちから弱き小服の藥、いかでか大病にかつべきや。此の理を能思いて小服の藥効なき事をしるべし。今時の醫の用ゆる藥方、其病に應ずるも多かるべし。しかれども早効を得ずして癒えがたきは、小服にて藥力たらざる故に非ずや。

鳳凰堂流意訳

日本人は中華の人程健やかでなく胃腸が強くない為、薬を小服にする方が良いと言っても、人の形体の大きさは似ているのに、その強弱の分量等が中華の人の半分にも及ばないと言うのか。

それならば薬剤を今少し大きくする方が良いだろう。たとえ昔からのあやまりで小服だったとしても過っていればすぐに改める事を躊躇する理由はない。

今の時医の薬剤を見ると、一服をこのようにマニュアルで小さくしているので、補湯と言っても摂養の力はない。

ましてや利湯が必要な病は、風寒が外から肌を破って大熱が生じ、内から飲食が腸胃で塞がり、積滞の重さ鬱結が酷く、内外の邪氣が非常に強い病はどうするのだろうか。

小なる薬力で大きな病邪に勝つのは難しい。たとえば一盃の水で一車に積まれた薪の火を救うのが難しいと言えば想像できるだろう。
又小兵で大敵に勝つのは難しいと言うたとえもできる。

薬方はその病に良く応じても、このように小服では薬力がなく効果もない。

砒毒であっても人が一匁ばかり服用すれば死ぬとに古人は言っている。つまり、一匁より少なければ砒霜を飲んでも死なないのである。河豚も多く食べなければ死なない。強く大毒ですらこうなのである。

だとしたら力が弱い小服の薬が大病に勝てるわけがない。

この理を良く考えて小服の薬効がない事をしるべきである。

今時の医の用いる薬方は、その病に適応するものも多い。しかし早く効かずに治癒しがたいものは、小服では薬力が足りないと言う理由ではない。

鳳凰堂流解釈

小服だから効かないのではなく、適応していれば必ず、大小便、舌、脈、肌、顔色、睡眠、気持ち等に変化があります。

その変化までちゃんと追えていますか?
と、貝原益軒に詰問したくなるような文。

当然、今も昔も未熟な医による杜撰な治療はかならずあります。

人の命を自然に照らし合わせると、1日の回復、5日(五行)の回復、半月、1ヶ月、2カ月と回復周期があります。

俯瞰して診る事ができず、その場の結果だけを論じれば、簡単な陰陽五行ですみますが、俯瞰して診る事でその人の人生や命が見えてきます。

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