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養生訓 巻第二 総論下 鳳凰堂流解釈②


原文を現代文に改変
家にいて、時々我が体力の辛苦せざる程の労働を為すべし。我が立ち居のいたつがはしきを苦しまず。室中の事奴脾を使わずして、しばしばみずから立ちて我が身を運用すべし。我が身を動用すれば、思いのままにして速やかに事調い、下部を使うに心を労せず。これ心を清しく事を省くの益あり。かくの如くにして常に身を労働すれば、氣血巡り食気滞らず、これ養生の要術なり。身を常に休め、怠るべからず。我に相応せる事を勤めて、手足を働かすべし。時に動き、時に静なれば、氣巡りて滞らず。静に過ぐれば塞がる。動に過ぐれば疲る。動にも静にも久しかるべからず。


意訳
家で時々辛いと思うくらいの運動、労働をする事必要がある。自分が動く事を嫌がってはいけない。室内の事は伴侶や子供を使わず、できるだけ自分で立って自分の身体を使う事。自分の身体を動かして用いていれば、いつも自分の動かしたいままに速やかに事を成し遂げる事ができるだけでなく、誰かを使うことで争いや気を使うこともない。これによって心は清らかにやる事は直ぐに行えるという有益な面がある。このようにして常に身体を動かしていれば、氣血は巡り飲食したもの、エネルギーは滞らない。これが養生の要、テクニックの一つである。身体を常に休める事と動かす事を意識する。自分が今できることは努力して手足を働かす。時に動かし、時に休めば氣は巡り滞らない。休み過ぎれば気は塞がる。動かし過ぎれば身体は疲れる。動であっても静であってもずっとそればかりするものではない。

鳳凰堂流解釈
今まで貝原益軒氏は休むな動かせと書いていましたが、ここにきて動静のバランスを大切にする事を説いています。
つまり、恐らく本当に主張したいのは動静、陰陽のバランス。ただ一般的には休む事が主体となりがちな為、先ずは全身をしっかりと動かせと書いていたと推測し、それに対して鳳凰堂は今の人は脳は一つの小さな事にフル回転させ、身体は一部だけを酷使しているので急に動かすと壊れる、合わないと書きました。
着地点は一緒です。

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