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養生訓 巻第一 貝原篤信 篇録 総論上① 鳳凰堂流解釈


治療を受けるまえに、治療を受けなくて良いように、養生の大切さを書いていっていますが、今回は福岡藩の御典医であった貝原益軒の養生訓を子孫が校注したものから引用しています。

[原文を現代文的に改変]
人の身は父母を本とし、天地を初とす。天地父母の恵みを受けて生まれ、又養われたる我が身なれば、我が私の物にあらず。天地の御賜物、父母の残せる身なれば、慎んでよく養いて損ない破らず、天年を長く保つべし。是天地父母に仕え奉る孝の本なり。

鳳凰堂流解釈
人は元々自身の両親から生まれ、両親がいなければそもそも存在してません。また、天地自然から何万年とかけて現在の自分がいます。

つまり、両親の気と言うエネルギーを受けて生まれ、また成人するまでは養育していただいた事を考えると、自分の体ではあっても自分だけのものではなく、両親や天地自然からいただいたもの。
だからこそ、大切に使い、養い、壊さないように寿命を長く保つべきであり、それが天地自然、父母の願いに適う孝行の一つである。

鳳凰堂は、この点はかなり反省が必要ですが、人は失敗して学ぶことが多くあり、人それぞれの人生を歩みながら、最終的にはこの気持ちにたどり着ければ良いと想います。

[原文を現代文的に改変]
身を失いては仕うべきようなし。我が身の内、少なる肌へ、髪の毛だにも、父母に受けたれば、妄りに損ない破るは不孝なり。

鳳凰堂流解釈
身体が壊れたり、死んでしまえば、この恩に報いることもできません。身体であれば、ちょっとした皮膚の1部や髪の毛であっても、父母からいただいたものですので、妄りに損ない、壊すのは不孝です。

鳳凰堂は、二十中盤から髪の毛を損なってきました。隔世遺伝もあるでしょうが、明らかに睡眠不足、乱れた飲食に心当たりがあり、幼少期の病も飲食に起因している事を東洋医学を学んでから自覚しました。


[原文を現代文的に改変]
況んや大なる身命を我が私の物として慎まず、飲食色欲を恣にし、元氣を損ない病を求め、生付たる天年を短くして早く身命を失う事、天地父母へ不孝の至り、愚なる哉。

不孝なだけでなく、自身の身体を自身だけのものと勘違いして、飲食色欲を欲望のままに行う事で、病を自ら誘発し、元々の寿命を短くして、死んでしまうことは、父母だけでなく、この世界に対しても極めて不孝であり、愚の骨頂であると言わざるを得ません。

鳳凰堂流解釈
すみません💦


[原文を現代文的に改変]
人となりて此世に生きては、ひとえに父母天地に孝を尽くし、人倫の道を行い、義理に従って、なるべき程は寿福を受け、久しく世に長らえて、喜び道を交わえ、養生の術を学んで、良く我が身を保つべし。
是人生第一の大事なり。

鳳凰堂流解釈
人としてこの世に生まれたからには、父母、天地自然に孝行を尽くし、倫理観を持ち、守るべきものを守れば、寿命を全うし、長く生きられ、他の人との交流によって喜びを分かち合える。その為には、養生の術を学んで、しっかりと自身の健康を保つ事が人生において1番大切である。

この点に関しては、若干意見が異なります。
寿命は誰にも分かりません。安穏と生きながらえるよりは、志を持って生き、いつ死んでも悔いのないように今を生きる事が前提で天地自然に適うと考えています。


[原文を現代文的に改変]
人身は至りて貴く重くして、天下四海にも代えがたき物にあらずや。

然るにこれを養う術を知らず。欲を欲しいままにして、身を亡ぼし命を失う事、愚なる至りなり。

鳳凰堂流解釈
人の命は貴く、重く、あらゆるものに代えがたいもの。

それにも関わらず、養生の術を知らず、ただ欲のままに生き、死にそうになると命に焦点を当てるのは、喉が渇いてから井戸を掘るような愚の骨頂です。

鳳凰堂は、上記を念頭に置きながらも、この歳になると、いつ死んでも笑顔で、人生を楽しんだと思える志を持っています。


[原文を現代文的に改変]
身命と私欲との軽重を良く慮りて、日々に一日を慎み、私欲の危うきを恐れる事、深き淵に臨むが如く、薄き氷を踏むが如くならば、命長くして、遂に殃なかるべし。

鳳凰堂流解釈
命と欲を良く見比べ、考えて、日々を慎んで過ごし、過剰な欲は慎み恐れる事。それは深く恐ろしい淵を覗き込んでいるようなもの、薄氷の上をあるいているようなものなので、しっかり養生していれば寿命を長くし、災いを少なくする事ができるはず。


[原文を現代文的に改変]
豈楽しまざるべけんや。命短ければ、天下四海の富を得ても益なし。財の山を前に積んでも用なし。しかれば道に従い、身を保ちて、長命なるほど大なる福なし。故に壽(命長き)は、尚書に、五福の第一とす。是萬福の根本なり。

鳳凰堂流解釈
楽しむなと言っているのではなく、命が短ければ、富も使う暇がなく、得ても利がないからです。養生の道に従い、身体を健康に保ち、長寿になる程大きな福はない。
このような事から、尚書には五つの福の中でも1番に位置し、あらゆる幸福の根本であると書かれているのです。

ただ単に寿命を長くし、健康を維持することは、昨今では反対に死の不安、恐怖の裏返しであるという面も見えています。

長寿の志と同時に、自分が何を成し遂げ、次代に繋ぐかが分かる事も大切で、陰陽だと鳳凰堂は考えています。

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