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鍼灸大成⑤鳳凰堂流解釈


原文
《子午經》一卷,論針灸之要,撰成歌訣,後人依托扁鵲者。
 
《銅人針灸圖》三卷,宋仁宗詔王維德,考次針灸之法,鑄銅人為式,分腑臟十二經,旁註俞穴所會,刻題其名,并為圖法,并主療之術,刻板傳于世。夏竦[1]為序。然其窌穴,比之《靈樞》本輸、骨空等篇,頗亦繁雜也。
 
《明堂針灸圖》三卷,題曰:黃帝論人身俞穴及灼灸禁忌。曰明堂者,謂雷公問道,黃帝授之,亦後人所依托者。

《存真圖》一卷,晁公謂楊介編。崇寧間泗州刑賊于市,郡守李夷行遣醫并畫工往,親決膜摘膏肓,曲折圖之,盡得纖悉,介校以古書,無少異者。比《歐希範五臟圖》過之遠矣,實有益醫家也。王莽時,捕得翟義黨王孫慶,使太醫尚方與巧屠共刳剝之,量度五臟,以竹筳道其脉,知所終始,可以治病,亦此意耳。
《膏肓灸法》二卷,清源莊綽季裕所集。

[1] 985年~1051年。字は子喬。江州徳安県(現在の江西省九江市徳安県車橋鎮)の人。北宋時代の著名な政治家、文学家。一般的には夏文庄公、夏英公、夏鄭公と呼ばれた。


鳳凰堂流意訳
《子午経》一巻、鍼灸の要について論述され、歌訣を編纂し、後人が扁鵲に依託している。
 
《銅人鍼灸図》三巻、宋代仁宗詔王維徳が考えた鍼灸法であり、銅人を鋳造した方式で、臓腑十二経に別れ、兪穴に集まっている。この名を題名として、同時に図を加え、治療術を主体として世の中に刻版した。夏竦が序を書いている。
治療穴は《霊枢》本輸や骨空等の篇と比較すると、非常に煩雑で多くなっている。

《明堂鍼灸図》三巻。題名は黄帝論人身兪穴及灼灸禁忌。明堂とは、雷公との問答により黄帝が授けたもので、後人が依託したものである。
 
《存真図》一巻、晁公が楊介の編集といっている書。崇寧年間泗州刑賊において郡守李夷が医業と絵画美術を行った際に作成した。古書と大きく異なる。《歐希範五臟圖》とはかなり異なるが、実際には医家にとって有益なものだった。王莽の時代に、翟義党王孫慶を捉えた際、太医(御典医)が巧みに解剖し、五臓を測量し脈を測り、その終始を理解することで治病が可能になった。《膏肓灸法》二巻は清源荘綽季裕が編集。

鳳凰堂流解釈
子午流注鍼経、銅人図、明堂灸経は有名ですが、

《存真図》、《歐希範五臟圖》、《膏肓灸法》は見た事がない為、機会をみつけて見てみようと思います。

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