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養生訓 巻第七 用薬 鳳凰堂流解釈②


原文を現代文に改変

前漢書に班固が曰く、「有病不治常得中醫」。云う意は、病あれども、もし其の病を明らかにわきまえず、其の脈を詳に察せず、その藥方を精しく定めがたければ、慎んで妄りに藥を施さず。

ここを以て病あれども治せざるは中品の醫なり。

下醫の妄りに藥を用いて人をあやまるにまされり。故に病ある時もし良醫なくば、庸醫の藥を服して身をそこなうべからず。只保養をよく慎み藥を用いずして、病の自ずから癒るを待つべし。

この如くすれば藥毒にあたらずしてはやくいゆる病多し。死病は藥を用いてもいきず。
鳳凰堂流意訳

漢書を書いた班固は次のように書いている。「有病不治常得中醫」。

意味は、病があってもその病を明確に区別できず、その脈を詳細に診察できず、その薬方を詳しく定められなければ慎んで妄りに薬を処方しない。

ここから考えると、病を前に治療しない事を選択するのは中品の医である。

下醫は妄りに薬を用いて人を誤った方向へ導く。

従って、病がある時に良医がいなければ、庸医の薬を服用して身体をそこなわないようにする事も重要である。

ただ常日頃の保養をよく慎み、薬を用いず、病が自ら癒えるのを待つべきである。

このようにすれば薬毒にあたらず、はやく治癒する病は多い。死病の場合は薬を使っても治癒することなく死ぬ。

鳳凰堂流解釈

貝原益軒が書いている事は、本当に人、病を診て、その際に自分(治療家自身の経済や欲)を律していなければ出ない事。

深く同意します。

一方で、一般の方に対して、養生、保養を広め、生命には生死の循環がある事を理解してもらわなければ、この輪廻からは逃れられず、苦しみも輪廻する事になるでしょう。

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