見出し画像

長野の梨農家さんとの50年の繋がり

NPO法人放課後のおうち理事長の谷口です。

三連休、相変わらず愛知は暑かったです。
敬老の日は長野に行ってきましたが、それほど山の中ではないので気温は多分それほど変わりはないですが湿度は明らかに違って爽やかでした。

津島市の学童保育は、1973年に保護者たちの手によって誕生しました。
天王川公園という都市公園の中にあった、中央公民館の一室をお借りして始まったそうです。
その頃はまだ学童保育という制度が「放課後児童健全育成事業」として法制化されておらず、補助金もなく、本当に保護者たちのチカラだけで始まりました。

そんな誕生したばかりの学童保育の(多分)初代会長さんの繋がりで、長野の梨農家さんとのご縁が始まったそうです。
学童保育のために、それはそれは美味しい梨を安価で売って下さり、学童保育は、その梨を地域の方々にほんの少し上乗せした価格で購入していただき、その利益を学童保育の運営資金として活用してきました。
それがなんと50年近くも続いています。

現在も放課後のおうちの活動ではなく、最初に始めたクラブの父母会の活動となっていますが、津島市の学童保育の創成期を支えてくださった梨農家さんにどうしてもお会いしたくて、引取りのトラックに同乗させてもらい、長野まで行ってきました。

梨農家のご夫婦はとても気さくで親切であったかい方たちで、お茶や手作りのお漬物をいただきながら昔の話を聞かせてもらいました。
多分学童保育の小難しいことは理解されてはいらっしゃらないけれど、自分たちの育てた梨を喜んでもらえて、子どもたちのためになるのが嬉しいとおっしゃっていました。

梨農家さんは個人の農家さんで、代替わりもされてないですが、農産物は自然の物なので思うように収穫できなかったこともあるでしょう。また、学童保育の保護者や指導員は50年前とは全く違う人たちです。
50年の間、多くの保護者たちが関わり続ける中でこの活動が途絶えそうになったことも多分あったのではないかと思います。

梨農家さんが、「昔、虫の被害のひどい年があり、いつものような梨が出荷できないと学童さんに伝えたら、それでもいいから買います。と言ってもらえたことは忘れない。」とおっしゃってくれました。

実は3~4年前くらいまでは梨農家さんがご自分でトラックを運転して津島市まで配達もして下さっていましたが、ご高齢のため配達ができなくなったため、もう梨も終わりにするしかないかというタイミングで、トラックを運転できるOBが引取りに行くことになり、引き続き継続できています。

きっとこれ以外にも、50年もの間、色んな困難があったと思いますが、なんとか継続したいというお互いの強い思い、相手が困った時には助け合おうという思いやりがあったからこそ、50年という長い長いお付き合いができているんだなと歴史をひしひしと感じました。

この梨は、本当に甘くてみずみずしくてとても美味しので、学童保育の保護者だけではなく、近隣の方々からも絶大な支持をいただいています。そのため、長野から届いたらすぐに、地域の病院や保育園等に配達に行きますし、多くの保護者OBもとても楽しみにしています。
50年途切れずに続けてきたことで、購入してくださる方も増えてきたんだと思いますが、50年もの間、地域の方々に支えていただけていること、梨農家さんが美味しい梨を栽培し続けてくれたこと、保護者たちが続けてくれたこと、その全ての人の繋がりに感謝しかありません。
これからも応援よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?